アリエスと僕②
◆◇◆◇◆
僕とアリエスは窓の外の人影を睨みつけていた。
じっと、息を潜めながら。それが動こうものなら、背後にある包丁で——。
「大丈夫だよ、多分」
アリエスの声が聞こえた気がした。その直後、人影が一瞬で消え去り、僕の緊張は解けた。
「あの人、今日は偵察だと思う。また来る」
「また?」
「いつだろうね、楽しみだわ〜〜!」
「楽しみじゃないし」
けっきょく、家に来たのがぼさっと研究者だと断定できぬまま、夜は更けていった。
5
紬から、成績よかったよ褒めて〜、という連絡が来たのは、アリエスの報告からちょうど一週間が経った頃だった。
『おめでとう。よく頑張ったね。』と返すと、『ご褒美ちょうだい兄さん』と図々しいことを言い出したので、『気が向いたらな』と返した。
「たしかに、学年一位はすごいけど、なにしてあげたらいいかわかんないんだよなぁ」
「お兄ちゃんでしょ? それくらい余裕だと思うけどねぇ、ご主人様? あれ、それとももしかして、ワタシのほうが紬のことよく知ってたりしてぇ〜!」
久々にウザいな。いやいつもだったか。
膝の上の黒猫は、尻尾を規則正しく振りながら僕を見上げていた。
「アリエス、お前はいつもそう煽るような口調しかできないんだよ……」
「別に煽ってないです〜、そう、これは奉仕!」
「わからん」
いつも一緒にいない。何が足りないとか、文房具のなにがなくなりそうとか、近くにいないと気づくことが難しいこと。どうしたら、どんなプレゼントが、喜ばれるか。……いつも一緒に?
「アリエス、お前たしか昼間はいつも紬のところにいるんだったよな?」
「そうですよ? だって、そういう契約ですからねぇ。仕事しないわけにもいきませんよぉ」
「じゃあ、欲しいものとか知ってるんじゃない?」
「わかんない」
「即答?!」
「現物を見れば思い出すかもしれない!」
「はぁ……」
黒猫は僕の膝から飛び降りると、ぶわっと黒煙が立ち昇り、僕の左手は人間に戻った。
『さあ、一緒に買い物に行きましょう!』
左手の奥深い場所から、そんな声が聞こえた。
僕たちは何駅か電車に揺られて、大型ショッピングセンターにやってきた。
休日なだけあって、子供連れが多い。
こういうところで大抵知り合いに遭遇する。だが、今日は仕方ない。ご褒美を買うという使命が終わったら、逃げるように帰ればいい。
「とりあえず、紬がここに来るといつも行くお店をひとつずつ回っていこう」
僕は紬とここに来たときの古い記憶を思い起こしながら、文房具屋、服屋、ちょっと高級な生活用品店、本屋……。
回ってみたものの、ピンとくるものがない。アリエスも同様に。
「疲れたな……」
「お腹空かない?」
「そうだな。お昼にしよう」
フードコートは3階。今いるのは2階だから、この上だ。エスカレーターで行こう。
「ねぇ、ご主人様。ワタシにさ、この間、家に来た変な人の調査させてよ」
「変な人って……ああ、ぼさっと研究者さん? 調査が必要なの?」
「なんか、アイツ、変。すごく変。いやかなり変」
「ふんわりすぎてどんな変かわからないけど、紬最優先で余裕があるならそっちを調査してもいいよ」
「ありがと〜ちさと最高〜!」
正直、あの研究者はどうでもいいのだが、まあ、アリエスがやりたいと言うのならやらせておこう。
「そうだ、委員長あの人にお礼とかしたのかな……。一日だけだけどアドバイザーしてもらったし、なにかプレゼントしようって女子の中で話してた記憶があるんだよなぁ」
「ニンゲンは面倒なことするんだねぇ」
「そりゃ、お世話になったわけだし」
ふうん、とつまらなそうな返事をするアリエス。
黒猫でも、気味の悪い姿でもない、ただの左手と、テレパシーのように会話をしているのだが、最近彼女の微細な反応が受け取れるようになってきた。だが姿が全く見えないのは反応がイマイチわからない。
「ね、杠葉椛とは仲良くないの?」
「杠葉……ああ、委員長? 委員長はめったに話さないからな。基本無口っていうか」
「ワタシ、あの人意外と好き」
「へぇ、ど、こ、が、ぁ…………?」僕は歩く脚を止める。いや、勝手に止まった。無意識に。
僕は目が離せなかった。アイスをイートインで食べていた、その二人から。
同時に、アリエスからひしひしと感じる嫌悪。
そこにいたのは、母親と紬だった。
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