ぼさっと研究者
4
その日はえらく早瀬に質問を受けた。まるでインタビュー記事でも作るのかというほどに。
調査の一環だとか言って、個人情報を問い詰める彼に、僕は辟易していた。
その夜、母の作ったオムライスを食べながら、
「冷たい」と呟いた。
僕はそれにラップをかけて電子レンジに入れる。ボタンを押すと、ウィーンと動き出す。
「ちさとちさと!」
僕にだけ聞こえるその声は、どこか興奮気味だ。
「どうしたの?」僕は尋ねる。
「あのね、紬がね、定期試験で学年一位をとったよ!」
「え?!」
紬の通う中高一貫校は県内でも三番の指に入る偏差値の高い学校だ。その中で一位というのは……。
「すごいな、紬は」
「試験前、紬すっごく頑張ってたんだよ〜!」
「努力したんだな」
「……あれ? でも——」
アリエスの言葉を遮って、電子レンジがピーピー、と音を鳴らす。
僕は右手でそっと温度を確認して、テーブルに運ぶ。一口。「ちゃんと中もあったかいね」
「でも、ご主人様。ご主人様も優秀だよねぇ?」
「僕が? そんなわけないでしょ。現に、この間の定期試験は散々だった。物理はあやうく赤点取るところだったよ」
「違うよ。だってちさとは模試の成績はいつもとても良いでしょ! 悪いのは定期試験だけ。小テストだっていつも満点」
「多分、問題を作る先生と合わないだけだよ」
「違う!」
黒猫と化したアリエスは、僕の右手を甘噛みした。
あくまで落ち着いて問う。「…………なに?」
「…………っ。ご、ごめんなさい」
「アリエス、何が言いたいのかハッキリさせてくれる? 別に怒ってないし」
「だから、ご主人様、模試と定期試験の偏差値の差が開きすぎてて、明らかにおかしいって思って」
「それは、僕が意図的に手を抜いたと言いたいの?」
彼女は黙ったままだ。僕はオムライスを一口、口に入れる。
「僕がそんな器用なこと、できるわけないだろ」
僕とアリエスの間に沈黙が流れる。長く、重い。オムライスを平らげて、食器をキッチンに持っていく。
黒猫は、イスの脚の下でじっとしている。ただ、呆然と、何かを見つめている。
僕も彼女が見つめるほうに、目をやる。
リビングの大きな窓の外に映った人物を見て、僕は彼を睨みつけた。
「……いつからいた?」
僕は小声で黒猫に問う。「ついさっき」
「ついさっき……」僕は彼女の言葉を反復する。
「これ、窓開けたほうがいいかな」
「ワタシあの人知らない。けど、本能が心の底から嫌悪してるの」
「僕は面識があるよ。でも、あまり好かない」
「ご主人様の心、大体ワタシに通ずるんだけどさ、好かないレベルじゃないと思うねぇ」
「あの人、苦手な人種っていうかさ……」
◆◇◆◇◆
文化祭開幕数日前————。
僕のクラスは筋肉のマッサージによって美容効果を促す企画が通り、クオリティの高いマッサージ店を作ろうとしていた。
企画内容が大まかに決まって、生徒会から予算も降り、あとは実際に作ってみようというところであった。
「ねぇ、ジャージ着るなら異装届が必要なんじゃない?」
「異装届っていつまでに出せばいいの〜?」
「ってか筋肉に詳しい人誰かいない〜?」
「え、届出もう締め切った?」
「ジャージって学校の? やだよーダサいもん」
文化祭が迫ってきて、みんなが慌てている様子だった。クラスの中で五人くらいが企画内容を把握していて、そのほかは皆、自分たちが担当することしかわかっていなかった。
そんなとき、彼を呼んだのはあの杠葉椛——委員長だった。
「委員長が、筋肉とか、肌とかを研究してる人とちょっと知り合いらしくて、アドバイザーしてくれるっていうんだけど、みんなどお〜? 専門家に手伝ってもらおうぜ〜」
早瀬の——半分は委員長の提案にクラスは乗った。
その翌日の放課後にでも、研究者は僕のクラスにやってきたのだ。
そいつは、
ぼさっとした前髪のせいで目元は見えなかったが、よれた白衣とダサいジーパンのせいで印象は複雑だった。彼を見て、一体どのような印象を抱いてほしいのかさえもわからなかった。
だが口を開けば、印象は反転したのだ。
「こんにっちはー! 俺は佐山透! 透センセーって呼んでいいよ〜。もう全身の筋肉とか、調べまくっちゃって、いや〜、これが意外と興味深くてさ、特に好きな筋肉はこの表情筋のさぁ——」
マニアな話に発展しかけたとき、委員長のマスクが僅かに動いた。
「ん? ごめんごめん、ユズちゃん。なんだっけ、みんなマッサージしたいんだっけ? 資格持ってる? あれ持ってないのか。ん〜、資格がなくてもできるマッサージかぁー。えっとねぇ……」
彼はむむむ、と頭を押さえながら教室をぐるりと見回した。教室の後方にいた僕を見て、目を細めた気がしたのだ。その、前髪の隙間から。
人の目を気にしてきた僕は、視線に敏感で、感情を含んだ視線は僕にピリピリと感じさせる。
ひと通り、資料やマニュアルを作ったり、実際にマッサージ師を演じる生徒に教え終わったとき、彼は僕に近寄ってきた。僕は早々に気がついたから、すぐに看板の製作を手伝ったり、クラスメイトに話しかけて手伝おうとしたのだが。
「きみ、名前は?」
「えっと……?」
「なーまーえーは?」
ニッコリと構える彼に、捕まってしまった。
近くにいた女子が、「答えてあげなよ白部ー」と、もうその時点で僕の苗字を公開した。
「白部くん? 下の名前は?」
「ち、ちさと、です……」
「白部ちさとくんね〜ハイハイ。ちょっと、お話いいかなぁ? いいよね! 俺自販機の場所を教えてほしいね!」
「は? いや、それは別に僕じゃなくても——」
僕は論理的に断ろうとしたが、周りがそうさせてくれなかった。
「白部、透センセーと仲良くなれるチャンスじゃん。こっちは大丈夫だから、行ってきなよー」
「え、いや、そんな、ことは」
「よし行こー……ってどこだー? 自販機どこだー?」
僕はぼさっと研究者につられるまま、教室を出た。
僕が先行して、ラウンジまで連れて行き、ここに自販機が四つありますよ、と謎に数を強調してやった。
ぼさっと研究者はブラックコーヒーを購入して、僕をまっすぐ見た。このときは、しっかり目があった。
「白部ちさと、ちょっと真面目な話をしようか」
「はあ……」
この人が真面目な話とか無理だろと思いつつ、近くのソファに腰かけた。
「ちさとくんは、何か困ってることがある?」
「ないです」
「じゃあ、悩んでること」
「ないです」
「ん〜、恐れていること」
「ないです」
「嘘ついてない?」
「ないです」
尋問か、カウンセラーか、なんなんだこの研究者。
「ねぇ、ちさとくん。これから何かが来ても、いや、わかりにくいかな。……悪魔の囁きには、耳を貸すな、そう。これ絶対」
「なんですかそれ」
彼は得意げにふふん、と鼻下に人差し指を当てて言った。
「占い師ってわけじゃないけどさ、いま、君の未来を見たら、近々死ぬらしいからさぁ?」
「……そりゃあ人間ですからね。そのうち死にますよ」
「きみ案外さっぱりしてない? つまんねぇな〜。俺みたいにちょっとふざけて生きてみたら?」
絶対にこんな大人にはなりたくないし、手本にだってしない。
結局彼と話したのはその日だけだったのだが、一日で彼に苦手意識を持った。
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