第2章 彼女の疑惑は家族の再会。

正義なんて安い言葉は。——早瀬

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 奴がなぜ副学級委員になったのか、というのは早瀬が挙手したときからクラスメート全員が感じたことだろう。


 実際、早瀬は学級委員の一人としてふさわしいとは言えない性格をしていた。

 仕事は頻繁にすっぽかす上、授業中は爆睡、成績は下から数えた方が早い。

 しかし、彼も欠点ばかりじゃない。


 例えば、家に帰ったら真面目に勉強して課題は必ず提出する。学校より家のほうが集中できる、深夜活動型の人間だ。

 学校で眠ってしまうのはそのせいで、成績が悪いのは授業を聞いていないから人一倍時間がかかるためだ。


 単位認定が危ないと教師に通告されることも多々あるけれど、課題と補習授業、追加試験でどうにか留年せずにいられる状態だ。ただ、少しサボると留年だと脅されるが。


 そうやって、悪い点を深く分析すれば、本来の姿が見えてくる。

 早瀬みなとという人間はいかにも真面目な青年だ。


 ……とまあ、自己分析はここまでにしよう。自身を客観的に見ることも大事だってこと。


 クラスの学級委員長つまり早瀬の上に立つのは寡黙な女子だ。いつも澄まし顔で怒っているような、気が強いだけのような気がする。


 見ての通り、彼女は学級委員長に向いていない。いつもマスクをしていて顔の半分は見えない。


 委員長がコレだから、号令は早瀬がやるし、話し合いも基本的に早瀬が仕切る。委員長はといえば、教卓の隣に姿勢よく座りどこか虚空を見つめている。


 けれど、彼女も彼女で物事を冷静に客観的にみる点においては早瀬も尊敬するところだった。


 委員長が苦手なコミュニケーション面の仕事はやる、というのが早瀬のスタンスだった。


 そんな早瀬に、委員長――杠葉ゆずりはもみじがコピー用紙を手渡した。

 いつもはテーブルに置いて滑らせ、会話や触れ合いは最小限控えるはず。早瀬は多少動揺しつつも顔には出さなかった。


 ひと通り用紙に目を通す。文化祭で頑張ったクラスの表彰についてだ。

 いちばん最後までさらっと読み終えると、左下に杠葉の丁寧な楷書でコメントが入っていた。


[白部くんの様子がおかしいようです。]

「ん?」


 軽い適当なメモのようには見えず、明らかに早瀬に伝いたいメッセージのような気がした。


 説明を求めて彼女を見たけれど、すでに仕事モード& 対人苦手モードの澄まし顔で、

 その一行でわかるでしょ、という勢いだった。

 いくら副委員長だっていったってこれだけじゃわからない。


 早瀬はクラスでも少し浮いた存在だった。どこにでもいそうな人気者、とはいかず、杠葉が唯一クラスで話す相手として初めはさまざまな憶測が飛び交った。


 それは学級委員という仕事があるから仕方なく会話を交わしているだけなのかもしれないいが、こうしてあまり仕事に関係のないこともごく稀に会話に登場する。


 早瀬は彼女がなぜ学級委員長なんかを務めることになったのか、その経緯を


 委員長だけ人気がなくて成り行きでそうなってしまったのか、あてさて杠葉が率先して立候補したとも考えにくい。

 早瀬はメモのコメントについて数分考えた結果直接く、という手段を選ぶことにした。


「これ、どういう意味?」


 案の定、とでもいうべきか、杠葉は顔色ひとつ変えずに手だけを動かしている。

 答える気は一切ないということか。半年以上、杠葉と仕事をしてきた早瀬は、こういうときの対処法を知っている。


「杠葉って細かいところよく見ていてよく気づくよな」


 彼女の手が、止まった。動きを止めた右手を、ぎゅっと握る。


「そんな杠葉に細かい説明を求めてるんだけど……どう?」


 首を傾げて、彼女に尋ねると、すこし考え込んだのち、ため息をついた。

 手元のメモ用紙を近くに寄せて、紫色のシャープペンを手に取った。


 しばらくしてそのメモを早瀬の方に滑らせた。ひらりと舞ったが、早瀬のちょうど目の前に落ちた。ゆるカワなくまが三体、下のほうで微笑んでいる。


 口で教えてくれればいいものを……と思いつつ、杠葉のそういう態度にはもうすっかり慣れてしまった。


[小さな気づきが、命取りになるときもあります。

 早瀬くんも学級委員のひとりなのですから、

 クラスメートの細かな変化にも気を配らないといけません。]


 なるほど、と頷いてから、これは馬鹿にされているのではないかと疑問を持ったが、彼女の顔がいつになく真面目だったので、


「ご忠告通り、とりあえず白部の様子はよく見ておくことにするよ」


 とりあえず、一応。

 杠葉がクラスメートの話をしたことはなかった。様子がおかしいなんて曖昧な言い方をすることもなかった。基本的にわかりやすい書類を作ってくれるし、ノートを借りたときも綺麗にまとまっていた。


 だけど、どうしてこう、会話に近くなるとこんなに遠回りな言い方になるのか。

 早瀬には彼女がよくわからない。


   ◇◆◇


 早瀬は、会議室の扉を静かに閉めた。

 外は日が暮れ始めて、空は赤く染まり始めていた。委員の仕事があると言って今日は部活を休んだんだっけ。


 早瀬は昇降口に向かって足先を向ける。


 ――白部ちさと。

 最初から、妙な奴だとは思っていた。


 いつも一人だし、暗いし、早瀬がテンション高めに話しかけると迷惑そうに顔を歪める。


 あの文化祭。女の子を連れている白部を珍しく思った。彼女の隣にいる白部は、早瀬が見たことのない表情かおをしていた。


 妹がいるなんて話は聞いたこともなかったから驚いたけど。

 うん、かなり驚いたけど。 ――妙だ。


 兄妹だというのに、二人とも他人と接するかのようで。


 早瀬は少しの間、二人から目が離せなかった。


 文化祭のときの白部はそんなにおかしな様子はなかった気がするが、文化祭のあとでなにかあったのだろうか。


 早瀬は足を止めて、自分の靴箱を開けた。


 早瀬のローファーが、消えていた。


 ――あちゃー。またか……。


 静かな昇降口に、早瀬のため息だけが残されたのだった。

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