ブラッククロー


「ありゃ、かっこつけすぎちゃったかな……」


 その黒いモノが僕を生贄と言った。全身がしばられたような感覚に陥るが、僕はどうにか声を絞り出す。「生贄、だと?」

「正確には、ちさとのが、ワタシの存在の生贄になってくれたということだけどねぇ」


 次の瞬間、スルスルと黒い影が大きくなっていき、


「う、うわあ、うあ、うぎゃああああああああああ!」


 僕の左腕は、僕の頭を通り越して黒く長く伸びていた。いや、これは僕の腕じゃない。


 よく見れば肘あたりから黒いモノが僕の左手を侵食しているのが分かる。僕の腕が黒く染まり、腕を動かしていないのに、黒い影が天井に向かって伸びている。その頂上――黒い影の終点には、指が五本。一本一本が細長く、爪が鋭く尖っていた。


 必死に拭うが全く消えない。長くなった左手は僕の肌の面影は消え、なんだか乱暴で自分の意志で動いてくれない。


 とても自分のものとは思えない左手から、焦る声が聞こえる。


「ちょ、ちょっと、振り回さないで! 無駄、無駄だから! 落ち着いてってば!」

「落ち着けるわけないだろ、お前なんなんだよどこにいる!?」

「なに言ってんのさ。ワタシはコレだよ。ちさとが今、振り払おうとしているコレさ」


 いつの間にか金縛りは解けていて、とりあえず呼吸を整える。


「なぜ僕の名前を知ってる。僕の左手を戻せ」

「そりゃあ、適当に主人を選んでいるわけじゃないからねぇ」


 主人? わけがわからない。そんなものに選ばれた記憶はない。


「まず話を聞いてくれるかい? そうそう、落ち着きなさいな」


 うざい。グロい怪物みたいな姿をしているのに、話し方が絶妙にうざい。


「そうそう! 落ち着いて~、呼吸をしようねぇ」

「そのノリ嫌い」


 僕にはない、陽気なノリ。まさに紬や早瀬のような。


「あ~そんなこと言わないでよご主人様。ワタシ泣いちゃう」

「お前のキャラどうなってんの」


 男?  女? オネエ? 怪物って性ある? 


「は~い、次ワタシをお前呼ばわりしたら殺す」


 おいおい、物騒だな。


「名前知らないし」

「あれ、自己紹介がまだだった? も~、ちさとが暴れるからじゃん」


 あ、これ全部僕が悪いことにされるパターンだ。


 鋭利な爪を持つは、ふにゃふにゃと動いていたが、ピタリと動きを止めた。


「はじめまして、ワタシはアリエス。ちさとの左腕に棲みつくことになりました、呪いの種。まあ、化身とも言う〜! よろしくねぇ。人間様にはブラッククローとかださい名前で呼ばれてるけど、ご主人様にはアリーって呼んでほしいかなぁ」


 やばい。情報が多すぎて、もう頭がパンクしそう。母との会話の情報量の少なさの反動か?


「その口調、女?」

「怪物に性別があると思う? いや、あるのかなぁ。自分では女だと思ってるけどねぇ」


 気軽にテンション高めでアリーって呼んでね、とウインクでも飛んできそうな口調で言う。


 だがしかし、まったく可愛くない。逆に怖い。こんなどこに目と口があるかさえわからない黒い影。


「とにかく、ワタシは白部ちさとを主人として勝手に選ばせてもらって、棲みつくことにしたの。しばらく動く気ないから」


「今すぐどこか行って。おま……」危ない、殺される。「――アリエスの生贄とか絶対嫌だから」


 怪物とか一番関わりたくない。

 こんな手を持っていたら、紬を助けるどころか怖がられる。


「ワタシがちさとの腕にいる間、メリットもあるよぉ? ご主人様の願いなら、な~んでも聞いちゃうヨ」

「叶えてくれるの?アリエスが?」


 気持ち悪い黒影は僕の方をむいて頷いた。

 どういう仕組みなんだこれ……?


 自分で左手を動かそうとしても、感覚がない。麻痺しているのだろう。そしていま、この恐ろしい左手は僕のものではないのだろう。


「そりゃ、ご主人様の片腕をいただくのだから、願いをかなえるくらい造作もないよ。どんな手を使ってでも、ちさとの願いを叶えるよ」


 忠誠を誓ってくれて嬉しくないこともない、だが、これは――


「少し考えさせてくれない?いきなりそんなことを言われても困る」

「別に時間ならいくらでもあげるけれど、なにを考えるのかなぁ」

「アリエスを受け入れるかどうか、だ」

「受け入れるもなにも、ワタシはちさとの腕を選んだ。ちさとがワタシに願いを言ってくれれば、ワタシとちさとは契約を結んだも同然。少なくとも、ワタシがちさとの願いを叶えきるまでここを離れる気はないヨ?」

「それ最初から僕に拒否権ないよね」

「さすが! そのとおりなのだよご主人様。やっと気がついたねぇ」


 なんだろう。メイドカフェで言われる言葉がいま、僕に恐怖を感じさせる。少なくとも癒されはしない。


 真っ黒なアリエスだが、かすかに微笑んでいるようにも見える。いや、微笑んでいるんじゃなくて、ニヤニヤしてる。これは悪いことを企んでいる人間の顔だ。


「あ、言っておくけどねぇ、ワタシはすでにちさとの左腕をもらった。ちさとの痛みも苦しみも、考えていることも、ぜんぶワタシにも伝わってると思ってよね」


 ギクリ。アリエスは低い声で言った。背中がゾクゾクする。


 余計なことを考えると本気で怒るよ、という牽制か。


「さっき、お前って呼ぼうとしたの大目に見たんだから、ワタシの心の広さに感激して涙こぼして素直にちさとの願いを言いなよ。そうしたら、ちさとの左手は戻してあげる」

「どういうこと?」

「ワタシは勝手に出ることもできるけど、呼び出しに応じることもできるし、契約してしまえば、ワタシを自由に操れるんだよ? ワタシはこんなみてくれだけど、ちさとの腕の中に潜っている間はちさとのキレイな腕をそのまま残すし」


 僕にもう考える権利も、選ぶ権利もないのだろう。


 アリエスが、彼女が僕の腕を選び、僕の目の前に出てきた瞬間から、僕がアリエスに左腕をあげることは、決定事項のような運命さだめだったのだろう。



「アリエス、きみと契約しよう」



 僕はもう全てを諦めたような、そんな声で言った。


 僕の左手腕から伸びる黒い影が、密かに笑っているように見えた。

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