素直になれない

   4


 盛り上がりを見せていた文化祭もたった二日で風のように過ぎていき、いよいよ冬がやってきた。


 急激に冷え込み、十一月半ばにして雪が降りそうな空だった。日も短くなってきて、十六時がギリギリ明るいレベルだ。


 文化祭が終わったら次は二学期期末試験が待っている。冬休み前の最後の定期考査だ。


 強化部以外の部活は全面的に停止。試験の対策をするために早く帰っていいことになっている。


 十七時前に家に帰ってきた僕は、扉のノブに手をかける。おそるおそるそれをゆっくりと引く。


 ――開いてる。


 玄関の靴を確認し、沈んだ気分でリビングのドアを開けた。

 こういうときにリビングイン階段は不便だ。会いたくないときにも顔を合わせなくちゃならないのだから。


「ただいま」


 ソファに背を預けている母が、すぐ視界に入った。普段深夜に帰って来て明朝に出かける母と顔を合わすことはごく稀だ。休日はお昼に一度帰ってくる。


 土日は文化祭で僕が家にいなかったから、母に会うのは二週間ぶりだ。


 母から、おかえり、と微笑みを返される。僕は自室に鞄を置いてこようと母の前を通り過ぎる。その直後、母がつぶやいた。ぽたっと蛇口から零れ落ちた水滴の如く。


 僕は水滴それを、キャッチする。


「最近忙しくてごめんね」

「いや、大丈夫」


 母はいつも僕に謝る。二言目にはごめん、と。そして――。


「先週の文化祭、紬が来てくれたんだってね」


 いつも母の口からでてくる話は紬のことばかりだ。


「それが何?」


 僕は素っ気なく返し、母のほうを見る。


「あの子のこと、気にかけてあげてね」

「なんで」

「兄妹でしょう」

「離婚したんだから、血が繋がっているだけの腐れ縁だよ」

「そんな極端なこと言わないでよ」


 僕の認識が極端であることは自覚している。けれど、極端な認識も自分を守るための重要な盾のひとつだ。


「だったら母さんが見てあげればいい」

「私は忙しいから……」

「紬なら父さんがいるんだから大丈夫だろ。僕とは真逆なんだから」

「そんな、まるであなたがダメみたいな言い方しなくても……」


 その通りだ。僕は、妹と自分を比べて、兄であるにもかかわらず、妹よりも劣っている。ことを自覚してしまった人間だ。


「あなたはあなたでしょう。紬とは別の人間なんだから、兄妹でも真逆なのは仕方がなくて、そもそも性別が異なるわけで――」


 無駄だ。全てが無駄だ。


 母は僕の態度が素っ気ないと、すぐに兄妹という謎のつながりを持ち出してくる。というのも、僕の機嫌が悪くなるのは母が紬の話をするときだからだ。


「もう、母さんの言葉は信じられない」


 ため息混じりにそう言い放つと母は影を落とした。


「じゃあ私の言葉ではないと思って聞いてほしい。紬、最近中学校でいろいろあるみたいだから、気にかけてあげてほしい。たまにでいいから、連絡を取ってあげて」


 いろいろあるってなんだ。


 腑に落ちないまま立ち尽くしていると、母は左手首についている細いベージュの腕時計を一瞥いちべつして、仕事に行ってくる、と家を出て行った。


 両親が離婚してからというもの、母としっかり話ができたためしがない。主に僕が会話を乱していることが原因だ。


 しかし、あれだけ明るい紬が、ひとりで文化祭にきていることも不思議に思っていた。


 友達はたくさんいるはずだし、ひとりで行動するような人ではない。


 気にかけてあげてと言われても、状況が把握できていない上、曖昧すぎてよくわからない。階段をのぼり、自室に戻って鞄を下ろす。


 僕だけの空間に、消えてしまいそうなため息が洩れる。自腹をきって買ったモダンな無垢材で包括的なデザインのクラシックなデスクの上にある写真立てを見下ろした。


 母がなんの仕事をしているのか、僕は知らない。そもそも仕事を始めたのが離婚直後だったから、それからは多忙でちゃんと話せていない。


 職業を知ったところで何も変わらない。高校を卒業するか、収入が減って、生活が出来なくならない限り、僕は母と共に居るしかないのだから。 ――それにしても。


 顔を上げて窓を開けた。冷たい風が僕の部屋に入ってくる。


 紬は正真正銘、血のつながった妹だ。妹が困っているなら、なにか助けてあげたい。


 どうしたものか、と考えていると、視界の端に、黒い霧のような何かがうごめいた。


 そしてその霧の中から、鋭利な刃が現れて……。そいつは甲高い声で言った。


「やぁ、お困りかな? ワタシの生贄いけにえ

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