第一章 私の日常①
この世界が前世での過去の時代と違っていて良かったと思うのは、身分が高くても使用人に何もかもやらせるわけではないという事だろう。もちろん王家となれば話は別だが、公爵家でもよほど
もちろん使用人を
この緩さはゲームの設定が元になった世界だからなのかもしれない。公爵家である我が家は
しかし、この自由さは結婚して王家に入るまでしか味わえないものだ。
そんな事を現実
「ごめんなさいね、みんな
「誰も怪我はしてないわ母様。みんな慣れてしまっているのだもの」
「全員
「ええ」
居間には普段なら私の後に起きてくる父とアンジュもおり、メイドも
「母様は
「大丈夫よ、でもまたお皿を落として割ってしまったわ……」
「破損防止の魔法が切れてしまったのね。私が片付けるから、母様は父様と一緒にテーブルの準備をお願い」
「もう、どうしてこうなっちゃうのかしら」
今にも
「申し訳ありませんお
「ありがとう」
メイドが奥から持ってきてくれた
「私も姉様くらい魔法が使えればいいのに。
「練習するなら見てあげるわよ」
「え、いいのっ? あ、でもまだ課題が終わっていなかったわ」
「なら、それが終わってからね」
がっくりと
「アンジュ、寝癖が」
「えっ? ごめんなさい、鏡を見てくるわ!」
ばたばたと居間を出ていくアンジュが一瞬何かに
変なところで
母は天然で抜けているところがある、というか
何もない所で派手に転び、鍋や食器などの手に持っていた物を落とすのは当たり前。
体は健康そのもので、これはすべてドジなだけというのだから、もう笑うしかない。
しかしその
私も前世の
母本人もこのドジな部分を直そうとしているのだが、なかなかうまくいっていない。私達家族もそれを知っているので、食器が割れようが鍋を落とされようが、母がやると言っている間は無理に
視線を母の方に移すと、父と一緒に朝食を並べ終えたところだった。
私もちょうど空中に
「いつも申し訳ありません。私もこの魔法を使えればいいのですが」
「気にしないで。こちらこそいつもありがとう」
この破片を集めた魔法は浮かせるのは簡単でも、複数の物をまとめて同じ場所に向かって動かすという部分が難しい。私も最初は出来なかったが、悲しいかな、毎日使っている内に得意な魔法の一つになってしまった。大きさや重量の制限はあるが
苦笑いしながら片付けを終えたと同時にアンジュが
「やっぱり自動で洗い物をしてくれる道具を買ってみない?」
「うーん、でもお皿を割る回数も減ったし、もう少し
「そう……」
「姉様の魔法が追い付かなくなって、家のお皿が全部無くなる可能性が出てきたわね」
「アンジュ?」
「ごめんなさい母様」
いつも通りの
色々と片付けや準備を終えてからしばらく
人の怪我を
「……魔力の流れが
「はい、どうしてもここから進まなくなってしまって」
使った魔法は予定していた人形の
机に向かう私の後ろから人形をのぞき込んでいた先生が、長いブルーブラック色の髪の毛を耳に
私専属の家庭教師であるフォード先生は、こうして定期的に家に来ては、王家に
「今のあなたの力ならば問題なく出来るはずですし、コツが
「はい」
開いたページを指し示しながら先生が魔法を使うと、それが当然であるかのように人形全体に魔法が行き渡る。一見簡単そうに見えるが、実際には相当ハイレベルな魔法だ。
こうも簡単に治癒魔法を全身にかけられるのは、先生のような
世界中に数えるほどしかいない碧海の魔術師の方々の中で、先生は少し異質ともいえる方だ。希少な能力から高い地位を与えられ、時には王家に直接意見する事が許されるほどの
そんな立場の方が家庭教師に来て下さった時の喜びは今でも覚えている。家族達が目を見開くほどわかりやすかったようで、今もたまに笑い話にされるくらいだ。
もっとも、どんな海の話が聞けるだろうと大きな期待を持っていた私の前に現れたのは、
『よろしくお願いいたします。
『よろしくお願いしますっ!』
『……よろしくお願いいたします』
初めての
『お
『……ありがとうございます』
『母様ありがとう!』
『母様、私が運ぶわ』
『ありがとうシレーナ。先生、二人の事を見ていただいてありがとうございます』
『いえ』
『……二人の勉強はどうですか? 問題は無いでしょうか?』
『特には』
『…………では引き続きよろしくお願いいたします』
これ以上話しかけてくれるなというオーラが
そんな事が
彼は私の家に来るまでにも、国からの
結局私の家でもアンジュが「先生の
そうしてアンジュがいなくなったのを良い事に
言動から強い拒絶は感じるが、私の中で彼の印象はとにかく
彼の立場ならいくら王家からの依頼でも断る事は可能なのに、どんな
教え方は確かに厳しいが言っている事は
そもそも碧海の魔術師に教わるというのは貴族といえど中々出来る事ではないし、私自身が彼の性格を苦痛に思っていなかった以上、替えてもらう理由なんて一つもない。
そして何よりも、私は海の話が聞きたかった。
彼は私が休憩時間に海について質問を繰り返しても、
海に
前世で潜り続けたあの青の世界は、この世界でも変わらないのだろうか。
住んでいる生き物はどんな子達なのだろうか。
スーツもボンベも無く、着ている服のまま潜るのはどんな感覚なのだろうか。
休憩になると
『私に嫌な顔一つせずにそこまで話しかけてくるのは、あなただけですよ』
先生がほんの少し細められた目とわずかに
そんな先生に何度か見本を見せてもらいながら、魔法の練習を続ける。
彼が魔法を使うたびに光る魔法の
碧海の魔術師は青色系統の石が付いた
その翌日から海に潜るという先生に、無事に帰って来て下さいと
また教えに来てくれる日を楽しみに待っています、と言った私とブローチを何度も見比べる彼の
お返しに、と彼がくれた青い魔法石のついたブレスレットは、今も魔法の媒介として愛用させてもらっている。海の中で取れたというこの石は私がこの世界で初めて
そうしてすっかり私専属の家庭教師として定着した先生に見本を見せてもらい、助言を
「これだけ出来れば問題ないでしょう。後はどの程度まで効果
「はい、ありがとうございます」
お礼の言葉を口にした
「……相変わらずのようで」
「回数は減りましたよ。その、少しだけですが」
「ほとんど変わっていないように思いますが。あなたの手間も減っていないようですし」
「それは、そうなのですが……」
以前は家庭教師中でも片付け等に呼ばれていたのだが、先生が勉強中は他の人に任せるように父に言って下さったので、この時間は後始末を手伝わなくても良くなった。片付けに魔法が必要なほどの
父と義母の家系は魔法があまり得意でないらしく、私が得意なのは実の母親に似たかららしい。メイドの女性は多少使えるけれど、結局この家で一番魔法を使いこなせているのは私だし、そもそも彼女には、別の仕事をして貰うために来ていただいているのだ。買い物や父のお使いなど用事で出かけている時も多いし、私が片付けてくれと
今日も私が片付けかな、なんて思いながら一区切りついたという事で一度休憩に入る事にして、カップに紅茶を注ぐ。休憩のお茶は初めの内は母が持ってきてくれていたが、ひっくり返して大惨事になる事が多いので、今はあらかじめ準備して私が
「もう知識の方は大丈夫そうですね」
「ええ、先生のおかげです」
「私が教える前からしっかり勉強出来ていたように思いますが」
「王家に
「……そう、ですね。来年の
「ええ。先生から勉強を教われなくなるのも海の話が聞けなくなるのも
「本当に変わっていますね。私と関わりたいと思う事もですが、そこまで海に興味があるというのも
「先生と話すのも、海の事を聞くのも、本当に楽しいですよ」
私の言葉を聞いた先生の口角が少し上がり、目もほんの少し細められる。この表情の変化も、多少の軽口を交える事が出来る会話も、
……実はほんの少しだけ先生にどきどきする事がある。
知識が深くて教え方も効率的で、海に関するたくさんの事を知っていて、それを
そんな
夕方からラティル
「やあ、おかえり」
「ただいま、お待たせ。
敬語も
「大丈夫、そんなに待ってないよ。アンジュが
「あはは、ありがとう」
「
ラティルが意味ありげに今まで話していたらしいアンジュに視線を向ける。気まずそうに視線を
「アンジュ、そろそろ時間じゃないかしら?」
「え、本当だわ! 母様行きましょう」
「昨日みたいに
「わ、わかっているわ姉様!」
絶対にわかってはいない、いや、わかっていても体が動くのだろう。この注意ももう数えきれないほどにしてきたが守られた事は無い。
ラティルに
私自身も護衛をつけずに一人で歩き回れるし、次期王であるラティルも本当に時々だが一人で町中を歩いていたりする。これも元々が
「アンジュ、昨日塀を壊した時に知り合った子とさっそく仲良くなったらしいね」
「ええ、今から母様と
「君の方は
「むしろ助かったと言われてしまったわ」
昨日、
そして私は壊してしまった塀の持ち主に謝罪に行っていた、というわけだ。その家のご主人
だがこれで何の
アンジュはゲームの主人公だった
しかし本人が怪我をする事もあるし、私も巻き込まれて傷を負った事がある。せめて少し考えてから動いてくれるといいのだが……彼女が首を突っ込んだ騒ぎは結果的に家のためになる事が多く、強く
「それにしても、もうお城にまで話がいっているのね」
「ああ。それに午前中に君の母君が坂道で転がる果物を追いかけているのも見たよ。坂の下にいたうちの兵士が拾って
「あ、はは……」
私の
ラティルはその笑い声の通り、明るく
「シレーナは午前中勉強だったんだろう?
「ようやく
「腕一本でもすごいじゃないか。僕はいまだに手のひらで終わりさ」
「その分、火の魔法の性能は
「火の魔法って言ってもなあ。大昔ならばともかく、遠い
「移動用の
「アンジュも相変わらずだね」
目を細めて笑うラティルの
「おかげさまで私の魔法は大体トラブル解決がきっかけになって上達しているわ」
「……
少しの間の後、良い
「どうせなら治癒魔法が上達してほしかったわ。でもみんな私が治せるような小さな怪我はあまりしないのよね。お皿が割れても転んでも怪我はしないし。良い事なのだけど」
「君の家にいると何かを
笑い続けるラティルの顔を見ていると、なんだか二人きりのこの光景が久しぶりな気がしてくる。
「そういえば、最近はいつも
「え? あ、ああ、そうだね」
少し前まで私達が話す場所は城の中にある庭園だった。すぐ下に海が見える私のお気に入りの場所。夕日に染まる海面に
「……なあ、シレーナ」
「何?」
「あー、いや、その……ごめん、なんでもないんだ」
「なんでもない、って」
確実に何かあるだろう、感情が顔に出やすい彼はわかりやすく悩んでいる。ただ、今は私には言いにくい事なのだろう、という事もわかった。
「何かあったら言ってね。言いたくなったらでいいから」
「……ああ。ありがとう」
幼少期から一緒にいて、交流を続けてきた身だ。この感じだと話してくれない事くらいはわかる。話題を別のものに変えて、雑談を続けた。
辺りが
朝と同じように
明日は勉強ではなく仕事の日だ。先生は来ないが、だからと言って時間が空くわけではない。覚える事はたくさんあるし、やるべき事も山のようにあるからだ。しかしやりがいはあって、仕事をするのは楽しかった。国民から良い評価を
努力は苦ではないし、この辺りは前世で海に潜っていた時と変わらないのだろう。
目を閉じるが、
それでもこんな風に
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