第3話 こんな空なら見なかった
言い切ったあとだったか、その直前にはもう足は動き出していた。
彼が走れと言っていた。あの剣幕で。これは先生に見つかったとかそういうレベルではない。成功したのだ。召喚が。
疑う余地はなかった。あいつはそんなつまらない冗談を言う男ではない。
───ふりむくな。
そう言われた気がして俺は振り返らず全力で走った。
後ろから覆い被さるような気配をはっきりと感じる。走る。走る。今はただそれだけを考える。
勢いをつけすぎたせいで曲がり角で足が交差する。カバンの中身をぶちまける。そうだ、言っていた。銀灰の鍵。
「カバンの…後ろポケット…!」
召喚が成功したならこのお守りも使えるはずだそうでないと割りに合わない。急いでしまっていた後ろポケットから鍵を取り出す。
「使い方は…!?」
しくじった。今持っている時点で効果が発揮されないということはこれは
よく観察すると、鍵についた板のようなストラップに『ナナカイマワス』と書いてあった。
「っ…!こうか!?」
訳もわからず空に向かって7回鍵を捻る。1、2、もう気配はそこまできている。3、4、背中は凍るように冷たいのに体からは汗が止まらなかった。
「早く…早く!…はやく!!」
怖い。怖い。イラストではあんなに興味を惹かれたというのに、実際に存在を感じると見惚れるどころか振り向くことさえできないなんて。5、
氷点下の熱風が全身に吹き荒れる。ボタボタと汗が滴る。6、
その気配が背中に触れようかという瞬間─── 7
意識を失った。
「…ここは…?」
目を開けると、そこは暗い、いや黒い水の中だった。逃げられたのだろうか。水底で何かがいるような気がする。体は動かせなかった。視界も不明瞭で、そこに居るのが何なのかはわからない。苦しい。
その何かは怒っている気がした。それは突然現れた自分にというより、その奥、自分のもといた場所の気配に注目しているような。
息苦しさで意識が遠のいていく。
今度は自分に目を向け、近づいてくる。
もう意識を保つのも限界だった。何かが俺に触れようとした瞬間。また目の前は真っ暗になっていた。
〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜
「ん…ゔぅ…。」
二日酔いになったらこんな気分なのだろうか。頭の中がぐるぐるして気分が悪いし妙に視界が悪い気がする…。
カーテンを開けると、そこはいつもの代わり映えのない窓からの景色が広がった。
「夢…だったんだよな。」
安堵し、部屋を見渡すと、ひとつだけ昨日にはなかったものが置いてあった。
手紙だ。
「鍵は使用回数を超えたので回収します。本当は行きたい場所を思い浮かべなきゃいけないんだけど…まぁ今度から気をつけて〜。家に返してあげたのは初回サービスって事で!座標は合ってるはず…。じゃ、今後ともご贔屓に!友達は大事にしなよ~? 〜出品者より〜」
「!!!」
夢じゃなかった。頭を思い切り殴られたようだった。気を失う前の現実を突きつけられ、血の気が一気に引いた。
「ッハァ!ハッ!...や、八帯!」
八帯を置いてきた、その事実に俺は自責の念で吐きそうだった。
また妙に軽い口調で書かれた手紙は、親友を置き去りにした自分を嘲笑われたかのように思えて苛立ちが募った。
「クソッ…あぁもう!」
嫌な予感がする。だが今はとにかく八帯を探さなくては、しかしベッド飛びから降りようとしたところ、
「あぶね!もうなん…。」
「何だ…これ…。」
腕を見ると、自分の腕ばかりではなく全身が黄色い布に包まれていた。
急いで姿見を見ると、なぜ気づかなかったのか、俺は全身真っ黄色のロングパーカーに身を包み、フードもまぶかにかぶっていた。
着ている感覚がなさすぎて気づかなかった。まるで神経でも通っているかのようだ。もはや自分の体の一部のような感覚だったのだ。
「!?…かぁさーん!」
助けを求め、無意識に母親を叫ぶように呼びながら階段を駆け下りた。
しかし。母親はいなかった。母親どころか父親でさえ。
「はぁ!?…もう何なんだよ!」
苛立ちが募ってゆく、しかし2人を探す時間も惜しく、俺はドアを蹴破るように開けた。そのままの格好で学校へ走る。けれど学校に近づくにつれて嫌な予感は大きくなっていった。
誰ともすれ違わないのだ。人間どころか猫や鳥までがいない。まるで自分だけ違う世界に飛ばされてしまったかのような…。
(いやたまたまだ…みんなもちょうど時間がずれただけなんだ…。)
パニックを起こしそうな自分を宥め、とにかく急いだ。
学校に着いた。校庭には誰もいなかったが、見ないふりをして「あの教室」へ向かう。
(大丈夫…あいつは大丈夫だ…)
自分に言い聞かせながら走る。教室についた。教室の横開きのドアを勢いに任せて開く。
「八帯!!!」
そこに
教室の隅に何か居る。カエル?それにしては大きすぎる。人間数人分の大きさのそれは、声に気づいたのか、ゆっくりとその肢体をもたげ、こちらを振り向いた。
「!!!」
苛立ちとアドレナリンで誤魔化されていた恐怖心がなだれ込む。
「やお…」
膝も砕け、腰も抜けた。明らかにやばい。逃げなきゃ、逃げなきゃいけないのに、筋繊維の一本残らず針金で縛られたように体は動かなかった。
カエルもどきはゆっくりとこちらに近づき、頭の代わりに生えている触手を伸ばしてきた。こちらを捕食しようとしているのが嫌でもわかった。
「たすけ…───
ダァン!!!
音と共にカエルもどきは胴体ごとひしゃげ、その位置にはカエルもどきの体液がべっとりと着いたバールがあった。
「あっぶなー!
───紙一重だ。お前それ間一髪と混ざっただろ。
「しゃべってるだけなのに何でわかんの!?」
なにが起きた。カエルもどきの前には、バールを持ち、言葉ををハキハキ止まらずに発する髪の長い女性が立ち、どこからか妙にぶつ切りの話し方をする男性の声がした。
「だいじょぶ?!怪我ない?」
───大丈夫だ。遠隔エコーの結果。骨折等はない。
女性はこちらに駆け寄って心配してくれている。今やっと、彼女がカエルもどきを倒してくれたのだと理解できた。
「あ!まってこれ言っとかなきゃいけないんだ!ごめんねちょっと待ってて!」
こちらの反応も待たずにそういうと女性はポケットから何かを取り出した。
「こちらなるこ!目標、
───正体不明───
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