頸木

 乗車した鈴見は、助手席に陣取っているタダラの珍妙な言い回しの餌食となった。これは恐らく、様式美なのだろう。電話を取り上げることで無理矢理、口を閉じさせた方法が使えないとなると、柳はただ黙って目を瞑った。凹凸のある古びた道路に塩見は何度もハンドルを左右どちらかに傾けながら、住宅街の街灯が示す道なりを進む。


 そのうち、豊かな緑のなかにぽつりぽつりと散見される古い民家と、大蛇のように曲がりくねった道に出た。目的地に近付くにつれて、絵に描いたような郊外の風景が醸成されていき、前照灯が林道を照らす。初めて来たであろう塩見は、殊更に速度を落としながら、道の案配に気を向ける。


「そこ、曲がってください」


 鈴見が脇道の細い道へ侵入を促し、二輪車とのすれ違いもままならない、酷道一歩手前の道路を慎重に進んでいく。暫くすると、地面から伸びる看板が目の前に現れ、目を細めて文字を読み取るとそこには、「平野平」と書かれていた。


「ここだ」


「降りましょう」


 ここから先は徒歩での接近が求められる。


「こっから歩きかよ」


「そこまで離れていませんから」


「タダラ、お前は残ってろ、二人で充分だ。お前は懐中電灯」


 柳の指示に従って、タダラは車の留守を、塩見は懐中電灯を片手に運転席から降りた。鈴見が水先案内人となり、土留めのコンクリートをよじ登る。


「また、馬鹿な道を」


 今にも飛び出しそうな、「餓鬼」という単語は、膨れた口の中で反芻された。獣道と呼んで差し支えない、道程を躊躇いなく進んでいく。周囲の景色は黒く塗り潰されており、自分が今どこを歩いてるかを知るのに些か情報が足りない。鈴見の迷いのない歩行は、幕間の戯言として柳から疑問を引き出す。


「よく来てたのか?」


 無論それは、遊び場所として良く利用していたからこその闊歩であったが、鈴見は足取りに因んだその理由を詳らかにする恥ずかしさから、行きずりの嘘を拵える。


「いいえ」


「あぁ、そう」


 それ以上の問答に意味を見出すつもりがない柳は言及を避けて、黙々と歩を進めた。歩き慣れない環境に見慣れぬ風景と相まって、時間の流れが鈍化し、二人は死体との距離感を問おうと考えた折に、鈴見の足が止まる。


「あそこです」


 懐中電灯が向けられた先に、湯冷めした須坂の亡骸を捉えた。これ以上、近付いてはならない。一度超えたはずの一線に鈴見は恐れをなし、懐中電灯で照らすだけに留まる。


「塩見、お前一人で運べるよな」


 造作もなくズカズカと足を動かす塩見の歩調は、仕事という名目でこの場に臨む人間の図々しさであった。


「一発?」


 戯けた柳の一言を鈴見は、ありったけの恨みを込めて睥睨する。


「だから、事故ですよ……」


「そういうことにしとくか」


 飄々と亡骸を肩に担ぐ塩見の身軽さに釣られて、足早に来た道を引き返していく。淡々と事態が収束していく感覚は、まことに空虚で、どこか名残惜しい。退廃的なその寂寥は幾つ月日が流れようとも、熟れた太陽で臭い立つ。


 鈴見が平野平に向かおうと思ったのは、ひとえに悪意の波長が平野平より発せられていると、肌で感じたからである。それはあまりに曖昧模糊で飛躍した考えであったが、道中に発見した、見覚えのある黒い自動車とナンバーで確信に至る。


「なんのために平野平に向かうんだよ」


 困惑を極めた三樹の疑問に、鈴見は迷いなく答えた。


「俺のために」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る