第二章 『花の乙女』の役目は心臓に悪すぎる④

「使用人部屋に?」

 午後のしつ中、どうりよう達と使っていた使用人部屋に荷物を取りに行かせていただけませんかとたのんだトリンティアに、ウォルフレッドはいぶかしげに眉を寄せた。

 いま執務室にいるのはトリンティアとウォルフレッドの二人きりだ。

「少しとはいえ私物もありますし、取りに行きたいのですが……。でしょうか?」

 たんせいな面輪を見上げて懇願すると、ためいきをつかれた。

「ひとつ聞くが、執務室から使用人部屋までの道はわかっているのだろうな?」

「あ……っ」

 侍女として日が浅いトリンティアは、王城のどこに何があるか、限られたはんしか知らない。顔をこわらせたトリンティアに、ウォルフレッドが、ふ、と口元をゆるめる。

「少し待て。この書類を書き終えたら、届けるついでに案内してやる」

「と、とんでもございませんっ! 陛下にご足労をかけるなんて、そんな……っ! 道を教えていただけましたら、自分で参ります!」

 かぶりをってきようしゆくするトリンティアに、ウォルフレッドは書類から顔すら上げず、すげなく告げる。

「書類を持って行くついでだ。少しだけ待て」

 待つほどもなく、書き終えた紙を巻いて手にしたウォルフレッドが立ち上がる。トリンティアもあわてて立ち上がると、ウォルフレッドがトリンティアの手を取って歩き出した。

「あ、あのっ、手を……っ」

「ん? これくらいかまわぬだろう?」

 トリンティアのまどう声を無視して、ウォルフレッドが歩を進める。

 幸い、ウォルフレッドが目指す部屋までは、だれにも会わなかった。各領主に人員の供出を命じただけあって、王城というのにかなりひとがない。

「使用人部屋は……」

「ここまで連れて来ていただければ後はわかります! ちゃんと一人でもどれますので! 本当にありがとうございました」

 ウォルフレッドがみなまで言う前に、ぺこりと一礼してつながれていた手を引きく。

 部屋に入るウォルフレッドを見送り、トリンティアは使用人達が使う裏の方へと進んでいく。使用人部屋が並ぶ一角に入り、同僚達と三人で使っていた部屋のとびらをノックすると、中から「はぁい」と二人の声が聞こえた。

「失礼します……」

 ウォルフレッドに連れて行かれて、結果的にそうをさぼったことをおこっているかもしれない。トリンティアはびくびくと扉を押し開けた。二人がそろって振り返る。たん

「「きゃあぁぁぁっ!」」

 かんだかい悲鳴が二人の口からほとばしる。

「ゆ、ゆうれい……っ!?」

「ば、化けて出てこないでよ……っ! わ、私達のせいじゃないんだから……っ!」

 き合ってふるえる二人に、何と説明すればいいだろうとなやみながら声をかける。

「あ、あの……。私、生きていますけれど……」

「「え……?」」

 まじまじとトリンティアを見やった二人の目がすぐに三角にり上がる。

「ちょっと! 今までどこに行ってたのよ!?」

「あんたがいないせいで、私達が雑用までしなきゃいけなかったのよ!?」

「す、すみません……」

 反射的にびるが、二人のけんまくは収まりそうにない。

「謝って済む問題じゃないでしょう!? どう責任を取ってくれるわけ!?」

「二日間もどこに行ってたのよ!? てっきり陛下にしよけいされたと思ってたのに!」

 め寄る二人に答えようとして、気づく。二人のうち片方のかみれているのは。

「私のリボン……っ!」

 おそろしい『れいこくこうてい』に頼み込んででも、どうしても手元に置いておきたかった、エリティーゼに贈ってもらった二本のレースのリボンのもう片方だ。

「返してくださいっ!」

 思わず手をばすと、ぱしん! と乱暴に振りはらわれた。指先がじんと痛む。

「何言ってるの!? これはもう、私のものよ!」

「そうよ! 親切でもらってあげたの! 死人にリボンなんか不要でしょ!」

「そんな……っ! 私は生きてます! 返してくださいっ!」

いやよ!」

 懇願はすげなくはねつけられる。

「これはめいわく料としてもらってあげたの!」

「そのリボンだけはあげられません! 姉様にいただいた大切なリボンなんです!」

 エリティーゼの思いやりが詰まったリボン。これだけは、誰にもゆずるわけにいかない。

 いつも従順だったトリンティアのはんこうに、二人の目がますます吊り上がる。

「生意気だわ! そもそも、下働き上がりに高価なリボンなんて似合うワケがないのよ!」

「そ、それでも私の大切なリボンなんです! 返してくださいっ!」

 なおも食ってかかると、不意にばしん! とほおを張られた。久々にあたえられた痛みに、頭より先に身体からだが反応して震え出す。

 痛い。こわい。でも、あきらめたくない。

 トリンティアののうかんだのは、昨日の朝見たウォルフレッドのきずあとだ。皇帝であるウォルフレッドですら、戦って傷ついて、自分の欲しいものを手に入れたのだ。そう思うと、心の中にほんのわずかな勇気がいてくる。

 精いっぱいのはくをこめて、二人をにらみ返す。

「私はリボンをおくる気はありません! そもそも、大切にしまっていた物を勝手に使うなんて、どろぼういつしよじゃないですか! 返してくださいっ!」

「どっ、泥棒ですって……っ!?」

 二人に力いっぱいき飛ばされる。手加減の無い力に、ぐらりと身体が後ろにかしぎ──、

 力強いうでに抱きとめられる。甘いじやこうかおりに、振り返るより先に腕のぬしを知る。

「お前は、よくわたしにぶつかるな」

 あきれたように呟いたウォルフレッドが、つ、と端整なおもを室内へ向けた。

「で。これは、どういうことだ?」

 真冬の吹雪ふぶきよりも冷ややかな声が、空気をこおりつかせる。

「へ、陛下……っ」

 みずげされた魚のように口を開閉させた二人が、ゆかへいふくする。かすれた声は震え、ほとんど音になっていない。ウォルフレッドがしいまゆをひそめた。

「わたしの大切な『花』に何があったのかと聞いておる。……答えられぬ口ならば、必要ないな?」

 ひいぃぃっ、と二人の口から、堪えきれぬ悲鳴がれる。

「も、申し訳ございません……っ」

「陛下の大切な方とはつゆ知らず……っ」

「つまり、謝罪せねばならぬ悪事を働いたと認めるわけだな?」

 ウォルフレッドの声がさらに低く、冷たくなる。

 放たれるあつかんに、トリンティアもきようのどがって息ができなくなる。ほこさきを向けられた二人は、震えるばかりで声すら出ない様子だ。

「答えられぬなら、やはり口はいらんな。舌を引き抜くか、首ごとるか……」

 むちたれたように震えた二人から、もはや泣き声なのか悲鳴なのか判然としないすすり泣きがこぼれ出る。思わずトリンティアはウォルフレッドを振り返り、腕をつかんでいた。

「ど、どうかそこまででお許しくださいませ……っ! 行きちがいがあっただけなのです! 二人は、私が死んだものと思ってリボンを……!」

 トリンティアを見下ろしたウォルフレッドが首を傾げる。

「お前は、この二人にばつを与えずともよいのか?」

「もちろんです! 罰など望んでおりません! リボンを返してもらえたら十分です!」

「だ、そうだ」

 へいたんなウォルフレッドの声を聞いた途端、同僚がさっとリボンを取り、うやうやしく差し出す。

 受け取ろうと一歩み出したしゆんかん、左の足首がずきりと痛んだ。突き飛ばされた時にひねったらしい。が、ウォルフレッドの気が変わらぬうちにと、痛みを無視して受け取る。

「では行くぞ」

 戸口へ戻ってきたトリンティアの手をウォルフレッドがにぎり、おおまたに歩きだす。必死についていこうとしたが、数歩も行かぬうちに、痛みに足がもつれた。

「おい!?」

 つんのめったトリンティアを、振り返ったウォルフレッドがばやく抱きとめる。

「も、申し訳ございません……っ」

 立とうとするが、痛みで足に力が入らない。と、不意にふわりとウォルフレッドに横抱きに抱き上げられた。

「っ!? 下ろしてくださいませ!」

 反射的に足をばたつかせたひように痛みが走り、うめき声が洩れる。足に視線を向けたウォルフレッドが、凜々しい面輪をしかめた。

「足をくじいたのか?」

「す、少しひねっただけです! だいじようですから、下ろしてください!」

「立てなかったくせに何を言う? もっとひどく痛めたいのか?」

 トリンティアは身をよじるが、ウォルフレッドは危なげもなくすたすたと歩き続ける。

 たまたま向こうから来た従僕が、ウォルフレッドとトリンティアを目にした途端、信じられぬものを見たように凍りつく。かと思うと、はじかれたようにかたひざをついてこうべを垂れた。

 ウォルフレッドはいちべつすらせず前を通り過ぎるが、トリンティアはとてもではないが、冷静ではいられない。どうにかして姿を消せないかと、と知りつつ身を縮める。

「本当に下ろしてください! このままでは、陛下によからぬうわさが立ちかねません!」

 必死でうつたえると、ウォルフレッドがはんっ、と鼻を鳴らした。

「今さら、『冷酷皇帝』に悪名のひとつや二つ加わったところで、何も変わらぬ」

 ウォルフレッドは自分がかげでなんと呼ばれているか、知っているらしい。たんせいな面輪に、すごみのあるれいしようが浮かぶ。

「いったいどんな噂が流れるか、楽しみだ」

 腕の中で震えている間にこうていの私室に着く。奥へと進んだウォルフレッドがトリンティアを下ろしたのは布張りのながだった。

「待っていろ」

 一方的に言い置いたウォルフレッドが、立派なだなから簡素な木箱を持ってくる。ぱかりと開けた木箱の中には、いくつもの小さなつぼや包帯が入っていた。どうやら薬箱らしい。

 と、不意にウォルフレッドが目の前の床に膝をついてかがみ、トリンティアはぎもかれた。

「足を出せ」

 言葉と同時に、ウォルフレッドが左足を取り、ていねいくつがせる。乱暴な口調とは裏腹に、手つきはおどろくほどやさしい。が、感心している場合ではない。

「だ、大丈夫ですから! こんなの、ほうっておけばすぐに治りますっ!」

 足を引っ込めようとするが、大きな手にしっかりと左足を掴まれていてかなわない。

「放っておけるわけがなかろう。『花のおと』のお前がをしたら困るのはわたしだ」

「で、ですが、陛下にていただくなんて……、っ!」

 不意に足首にふれられ、痛みに呻く。

「痛いくせに無理をするな。……ああ、お前が言った通り、ひねっただけのようだな」

 木箱に納められていた壺のひとつから、どろりとしたなんこうをすくったウォルフレッドが、膝の上にのせて固定したトリンティアの足首に、丁寧にり広げる。ミントが入っているのだろうか。あおくさい草のにおいに混じって、かすかにせいりような香りが届く。

 おののくトリンティアをよそに、手慣れた様子でウォルフレッドが足首に包帯を巻いていく。

「……なぜ、かばった?」

「え?」

 不意に問われて、トリンティアはきょとんとまばたいた。足首に視線を落としたまま、ウォルフレッドがたんたんと問う。

「ひねったのは、突き飛ばされた時だろう? 怪我まで負わされたというのに、なぜ、あの者達を庇った? 庇う必要もないこうがんやからだというのに」

 心底理解できぬと言いたげなウォルフレッドの声。

「なぜかと問われましても……。先ほどは夢中で……。それに、勝手にリボンを使っていただけで罰せられるなんて、気の毒ですし……」

 あのまま放っておけば、ウォルフレッドがれつな罰を与えそうで。そう思った瞬間、勝手に身体が動いていた。

「だが、大切なリボンなのだろう?」

「それはその通りです! ですが、二人に罰を受けてほしいとまでは思いません」

 きっぱりと告げると、ウォルフレッドがかいそうに眉を寄せた。

「おひとしすぎるな、お前は。見たところ、あの二人の横暴は今回に限らぬようだが」

 見てきたように断言され、言いよどむ。

「それ、は……。私がいつもいたらないせいなので……」

 サディウム家でも、「役立たず」とどれほどせいを浴びせられてきただろう。

「お前の言い分はわかった。だが」

 ウォルフレッドの強い声に、導かれるようにうつむいていた面輪を上げる。晴れた空と同じあおひとみが、真っぐにトリンティアを見つめていた。

「お前はわたしの『花の乙女』だ。あのような小物にあなどられることは、わたしが許さん」

「す、すみませ──」

「それと」

 謝ろうとした声を、ウォルフレッドがさえぎる。

「少なくとも、わたしはお前を役立たずとは思っておらんぞ」

「っ!」

 息がまる。思わずまじまじとウォルフレッドの端整なおもを見つめ返すと、いぶかしげに首をかしげられた。

「なぜ、泣く?」

 言われて初めて、なみだほおを伝っているのに気づく。

「す、すみませんっ。これ、は……」

 役に立っていると、面と向かって言ってもらえたことなど、初めてで。

うれしく、て……」

 泣きまねばとそでぐちでぬぐっても、涙は後から後からあふれてくる。

 みっともない姿を見られたくなくて顔をそむけようとすると、包帯を巻き終えたウォルフレッドに、顔をおおっていた手を掴まれた。

 驚く間もなく、こしかせたウォルフレッドの面輪が眼前にせまり。

 ちゅ、とれた頬にくちづけられ、思考が止まる。

「なっ、なななな何を……っ!?」

 押し返したいのに、ウォルフレッドに両手を掴まれていて敵わない。

「これも、ある意味では『乙女の涙』だと思ってな」

 ふ、とみをこぼしたウォルフレッドのくちびるが、濡れた頬を辿たどってゆく。ぎゅっと目をつむって顔を背けてもげられない。

 ちゅ、ちゅ、と涙をすい取られ、ずかしさで思考がふつとうする。

 何とか逃げたくて身をよじった拍子に、体勢をくずした。

「ひゃっ」

 長椅子によこだおしになったトリンティアの上に、ウォルフレッドが覆いかぶさってくる。

 ぎゅっと目をつむったままのトリンティアの感覚が、あたたかな重さと甘やかなじやこうかおりをとらえる。押し寄せるこうに息が詰まりそうだ。

「へ、陛下……っ!?」

「大人しくしていろ」

 あらがうトリンティアに、ウォルフレッドが短く命じる。だが、いくら『れいこくこうてい』の命令でも、じっとしているなんて無理だ。と、ぺろり、と湿しめったものが頬をめあげる。

「ひゃあぁっ!?」

 ばたつかせた足が、がん、と長椅子のへりにぶつかった。

「痛っ」

 トリンティアの悲鳴に、ウォルフレッドがわれに返ったように身をはなす。

「……痛みは?」

 ゆかに降りたウォルフレッドがふたたびひざまずいて、ぶつけた左足を手に取る。トリンティアはあわてて身を起こすと暴れたせいで乱れたスカートを押さえた。左足がじんじんと痛い。が、それよりも。

「あ、足よりも、心臓のほうがこわれそうです……っ」

 ばくばくと身体からだから飛び出しそうなほど、心臓が暴れ回っている。

 トリンティアの返事に、目を瞬いたウォルフレッドがふは、と笑う。

「なら、だいじようそうだな」

 ウォルフレッドは、いったい何を見て大丈夫だと判断したのか。痛いくらいに、心臓がばくばく鳴っているのに。

「……夕べはためそこねたゆえ、試してみる価値はあるかと思ってな。お前の涙でも、苦痛をいやす効果はあるようだ」

「っ!」

 告げられたしゆんかん、夕べの激しいくちづけを思い出し、ぼんっと思考が沸騰する。同時に、おおかみあぎとさらされたきようを思い出し、ふるりと身体がふるえた。

「ん? 痛みがひどいか?」

「い、いえ! 大丈夫です!」

 不思議な方だ。狼のようにれいこくどうもうな表情を見せるかと思えば、まるで壊れ物をあつかうように、丁寧に手当てをしてくれる。と、トリンティアは自分がまだ礼を言えていないことに気がついた。

「あ、あの! 手当てをしていただき、本当にありがとうございました!」

 深々と頭を下げる。返ってきたのは、照れたようなぶっきらぼうな声だった。

「礼などいらん。お前に怪我をされて、困るのはわたしだからな」

 立ち上がるきぬれの音がしたかと思うと、ひょい、とふたたびよこきにされる。

「へ、陛下っ!?」

しつ室へもどる。まだ仕事が残っているからな」

 とびらを開け、ろうを歩みながら、ウォルフレッドが答える。まだ仕事があるのに、わざわざ手当てをしてくれたことには感謝しかない。だが。

「お、下ろしてくださいませ! 自分で歩けますっ!」

「無理をして怪我が長引いたらどうする? 大人しく抱かれていろ」

 トリンティアを見下ろす碧い瞳には、まぎれもないづかいが宿っている。こんな風にだれかにやさしくされた経験なんて、エリティーゼ以外にない。心がくすぐったくて、鏡を見なくとも顔が真っ赤になっているのがわかる。

れたりんのように真っ赤になっているぞ」

 からかうように笑うウォルフレッドの声を聞きながら、トリンティアは力強いうでの中で、ひたすらうつむき、身を縮ませていた。

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