第二章 『花の乙女』の役目は心臓に悪すぎる④
「使用人部屋に?」
午後の
いま執務室にいるのはトリンティアとウォルフレッドの二人きりだ。
「少しとはいえ私物もありますし、取りに行きたいのですが……。
「ひとつ聞くが、執務室から使用人部屋までの道はわかっているのだろうな?」
「あ……っ」
侍女として日が浅いトリンティアは、王城のどこに何があるか、限られた
「少し待て。この書類を書き終えたら、届けるついでに案内してやる」
「と、とんでもございませんっ! 陛下にご足労をかけるなんて、そんな……っ! 道を教えていただけましたら、自分で参ります!」
かぶりを
「書類を持って行くついでだ。少しだけ待て」
待つほどもなく、書き終えた紙を巻いて手にしたウォルフレッドが立ち上がる。トリンティアも
「あ、あのっ、手を……っ」
「ん? これくらいかまわぬだろう?」
トリンティアの
幸い、ウォルフレッドが目指す部屋までは、
「使用人部屋は……」
「ここまで連れて来ていただければ後はわかります! ちゃんと一人で
ウォルフレッドがみなまで言う前に、ぺこりと一礼してつながれていた手を引き
部屋に入るウォルフレッドを見送り、トリンティアは使用人達が使う裏の方へと進んでいく。使用人部屋が並ぶ一角に入り、同僚達と三人で使っていた部屋の
「失礼します……」
ウォルフレッドに連れて行かれて、結果的に
「「きゃあぁぁぁっ!」」
「ゆ、
「ば、化けて出てこないでよ……っ! わ、私達のせいじゃないんだから……っ!」
「あ、あの……。私、生きていますけれど……」
「「え……?」」
まじまじとトリンティアを見やった二人の目がすぐに三角に
「ちょっと! 今までどこに行ってたのよ!?」
「あんたがいないせいで、私達が雑用までしなきゃいけなかったのよ!?」
「す、すみません……」
反射的に
「謝って済む問題じゃないでしょう!? どう責任を取ってくれるわけ!?」
「二日間もどこに行ってたのよ!? てっきり陛下に
「私のリボン……っ!」
「返してくださいっ!」
思わず手を
「何言ってるの!? これはもう、私のものよ!」
「そうよ! 親切でもらってあげたの! 死人にリボンなんか不要でしょ!」
「そんな……っ! 私は生きてます! 返してくださいっ!」
「
懇願はすげなくはねつけられる。
「これは
「そのリボンだけはあげられません! 姉様にいただいた大切なリボンなんです!」
エリティーゼの思いやりが詰まったリボン。これだけは、誰にも
いつも従順だったトリンティアの
「生意気だわ! そもそも、下働き上がりに高価なリボンなんて似合うワケがないのよ!」
「そ、それでも私の大切なリボンなんです! 返してくださいっ!」
なおも食ってかかると、不意にばしん! と
痛い。
トリンティアの
精いっぱいの
「私はリボンを
「どっ、泥棒ですって……っ!?」
二人に力いっぱい
力強い
「お前は、よくわたしにぶつかるな」
「で。これは、どういうことだ?」
真冬の
「へ、陛下……っ」
「わたしの大切な『花』に何があったのかと聞いておる。……答えられぬ口ならば、必要ないな?」
ひいぃぃっ、と二人の口から、堪えきれぬ悲鳴が
「も、申し訳ございません……っ」
「陛下の大切な方とはつゆ知らず……っ」
「つまり、謝罪せねばならぬ悪事を働いたと認めるわけだな?」
ウォルフレッドの声がさらに低く、冷たくなる。
放たれる
「答えられぬなら、やはり口はいらんな。舌を引き抜くか、首ごと
「ど、どうかそこまででお許しくださいませ……っ! 行き
トリンティアを見下ろしたウォルフレッドが首を傾げる。
「お前は、この二人に
「もちろんです! 罰など望んでおりません! リボンを返してもらえたら十分です!」
「だ、そうだ」
受け取ろうと一歩
「では行くぞ」
戸口へ戻ってきたトリンティアの手をウォルフレッドが
「おい!?」
つんのめったトリンティアを、振り返ったウォルフレッドが
「も、申し訳ございません……っ」
立とうとするが、痛みで足に力が入らない。と、不意にふわりとウォルフレッドに横抱きに抱き上げられた。
「っ!? 下ろしてくださいませ!」
反射的に足をばたつかせた
「足を
「す、少しひねっただけです!
「立てなかったくせに何を言う? もっとひどく痛めたいのか?」
トリンティアは身をよじるが、ウォルフレッドは危なげもなくすたすたと歩き続ける。
たまたま向こうから来た従僕が、ウォルフレッドとトリンティアを目にした途端、信じられぬものを見たように凍りつく。かと思うと、
ウォルフレッドは
「本当に下ろしてください! このままでは、陛下によからぬ
必死で
「今さら、『冷酷皇帝』に悪名のひとつや二つ加わったところで、何も変わらぬ」
ウォルフレッドは自分が
「いったいどんな噂が流れるか、楽しみだ」
腕の中で震えている間に
「待っていろ」
一方的に言い置いたウォルフレッドが、立派な
と、不意にウォルフレッドが目の前の床に膝をついて
「足を出せ」
言葉と同時に、ウォルフレッドが左足を取り、
「だ、大丈夫ですから! こんなの、
足を引っ込めようとするが、大きな手にしっかりと左足を掴まれていて
「放っておけるわけがなかろう。『花の
「で、ですが、陛下に
不意に足首にふれられ、痛みに呻く。
「痛いくせに無理をするな。……ああ、お前が言った通り、ひねっただけのようだな」
木箱に納められていた壺のひとつから、どろりとした
「……なぜ、
「え?」
不意に問われて、トリンティアはきょとんと
「ひねったのは、突き飛ばされた時だろう? 怪我まで負わされたというのに、なぜ、あの者達を庇った? 庇う必要もない
心底理解できぬと言いたげなウォルフレッドの声。
「なぜかと問われましても……。先ほどは夢中で……。それに、勝手にリボンを使っていただけで罰せられるなんて、気の毒ですし……」
あのまま放っておけば、ウォルフレッドが
「だが、大切なリボンなのだろう?」
「それはその通りです! ですが、二人に罰を受けてほしいとまでは思いません」
きっぱりと告げると、ウォルフレッドが
「お
見てきたように断言され、言い
「それ、は……。私がいつもいたらないせいなので……」
サディウム家でも、「役立たず」とどれほど
「お前の言い分はわかった。だが」
ウォルフレッドの強い声に、導かれるようにうつむいていた面輪を上げる。晴れた空と同じ
「お前はわたしの『花の乙女』だ。あのような小物に
「す、すみませ──」
「それと」
謝ろうとした声を、ウォルフレッドが
「少なくとも、わたしはお前を役立たずとは思っておらんぞ」
「っ!」
息が
「なぜ、泣く?」
言われて初めて、
「す、すみませんっ。これ、は……」
役に立っていると、面と向かって言ってもらえたことなど、初めてで。
「
泣き
みっともない姿を見られたくなくて顔を
驚く間もなく、
ちゅ、と
「なっ、なななな何を……っ!?」
押し返したいのに、ウォルフレッドに両手を掴まれていて敵わない。
「これも、ある意味では『乙女の涙』だと思ってな」
ふ、と
ちゅ、ちゅ、と涙をすい取られ、
何とか逃げたくて身をよじった拍子に、体勢を
「ひゃっ」
長椅子に
ぎゅっと目をつむったままのトリンティアの感覚が、あたたかな重さと甘やかな
「へ、陛下……っ!?」
「大人しくしていろ」
「ひゃあぁっ!?」
ばたつかせた足が、がん、と長椅子の
「痛っ」
トリンティアの悲鳴に、ウォルフレッドが
「……痛みは?」
「あ、足よりも、心臓のほうが
ばくばくと
トリンティアの返事に、目を瞬いたウォルフレッドがふは、と笑う。
「なら、
ウォルフレッドは、いったい何を見て大丈夫だと判断したのか。痛いくらいに、心臓がばくばく鳴っているのに。
「……夕べは
「っ!」
告げられた
「ん? 痛みが
「い、いえ! 大丈夫です!」
不思議な方だ。狼のように
「あ、あの! 手当てをしていただき、本当にありがとうございました!」
深々と頭を下げる。返ってきたのは、照れたようなぶっきらぼうな声だった。
「礼などいらん。お前に怪我をされて、困るのはわたしだからな」
立ち上がる
「へ、陛下っ!?」
「
「お、下ろしてくださいませ! 自分で歩けますっ!」
「無理をして怪我が長引いたらどうする? 大人しく抱かれていろ」
トリンティアを見下ろす碧い瞳には、まぎれもない
「
からかうように笑うウォルフレッドの声を聞きながら、トリンティアは力強い
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