第二章 『花の乙女』の役目は心臓に悪すぎる⑤

「陛下。数刻おそばを離れている間に、信じがたいうわさを耳にしたのですが」

 夕刻。ゲルヴィスと連れ立って執務室へ入ってきたセレウスは、開口一番、整った面輪をしかめて告げた。

「ああ、俺も聞いたぜ。たぶん同じ噂だ。王城中でもちきりになってやがる」

 二人の言葉を聞いた瞬間、トリンティアの胸にいやな予感がよぎる。

「噂とは?」

 トリンティアの胸中も知らず、ウォルフレッドがうながす。ゲルヴィスが、傷のある頬に楽しくて仕方がないと言わんばかりの笑みを浮かべた。

「『冷酷皇帝』がついに『花のおと』を見つけて、できあいしているらしいって噂っすよ。陛下、俺達がいない間に、いったいナニをなさってたんすか?」

 にやにやと笑う様子は、今朝、さくのことをたずねた時とまったく同じ表情だ。

 ウォルフレッドの足元に座り込んだトリンティアは、泣きたい気持ちになる。というか、溺愛などされていないのに、どこをどうちがって広まってしまったのか。

「ふむ。意外と広まったものだな」

 当の本人はいっそ感心するほどたいぜんとしている。いち早く反応したのはセレウスだった。

さぶりをかけられるおつもりですか?」

 トリンティアが見上げる先で、ウォルフレッドが唇をり上げる。たんせいな顔立ちだけに、得も言われぬすごみがただよった。

「さて……。どれほどの貴族どもが動くだろうな?」

「何をたくらんでらっしゃるんで?」

 わくわくした表情でゲルヴィスが問う。ウォルフレッドがくつりとのどを鳴らした。

「貴族どもに一石を投じてやるだけだ。わたしが『花の乙女』を得たことで、大人しくきようじゆんするなら、それでよし。腹に一物かかえるやからも、『花の乙女』を得たと知れば、おだやかではいられまい。あれこれ画策して動いてくれれば、尻尾しつぽつかみやすくなるからな」

「けど陛下、そりゃあ……」

 ゲルヴィスがいかつい顔をしかめ、歯切れ悪くつぶやく。ぴり、と空気がでんはらんだ。

「決して手出しはさせぬ」

 真っ向からゲルヴィスをにらみ返し、きっぱりとウォルフレッドが断言する。

「今度こそ、らせはせん。不届き者が現れれば、そつこく、返りちにしてやる」

 強いこわで告げたウォルフレッドが、あごをしゃくってトリンティアを示す。

「というわけで、どうだセレウス。こいつは表に出せそうか?」

 三人の視線が集中し、トリンティアは机のかげでびくりと身体を震わせた。何だろう。大切なことが、トリンティアきでどんどん進められている気がする。

 みするような目でトリンティアを見つめていたセレウスがたんそくする。

「……お望みの程度によりますが。イルダ殿どのの腕に希望をかけるしかないかと」

あなどられぬ程度につくろえれば、それでよい。わたしの代で初めての『花の乙女』だからな」

「……善処いたしましょう」

 セレウスが真冬に花をかせろと命じられたかのようにいきする。が、トリンティアはそれどころではない。

「わ、私に何をさせるおつもりなんですか……っ!?」

「察しがよいな」

 ウォルフレッドが笑うが、められた気などしない。むしろ、首元に狼のきばがかかったようにおそろしい。トリンティアは震えながら首を横にる。

「む、無理です! できませんっ! 私にできることなんて、たかが知れています!」

「何をするかもわからぬのに、なぜ無理と言い切れる?」

 じりじりと後ずさろうとしたたん、「離れるな」とくぎされる。かと思うと、を引き、身をかがめたウォルフレッドにごういんに横抱きにされた。

「ひゃあぁっ!? 何をなさるんですか!?」

「おどおどし過ぎだ。もう少し、泰然としろ」

 顔をしかめたウォルフレッドが命じるが、ちやりもよいところだ。

「む、無理です! セ、セレウス様達もいらっしゃるのに、こんな……っ!」

「もう、ほかの者にも見られたではないか。今さら、どうということもあるまい?」

「他の者も、って……。もしかしてじようちゃんを抱き上げて、城内をかつなさったんすか!?」

 ぶはっ、とき出したゲルヴィスが腹を抱えて大笑いする。ゲルヴィスのあけすけな反応に、トリンティアの顔にさらに熱がのぼるが、ウォルフレッドは落ち着いたものだ。

「この程度でどうようしていては、『花の乙女』の務めは果たせんぞ?」

「で、ですが……」

 しゆうと混乱で、じわりとなみだがにじんでくる。ウォルフレッドが困り果てたように形良いまゆを下げた。

「そうおびえるな。ゲルヴィス、セレウス。何か方策はないか? さすがに、ではさわりが出る」

「人を動かすには、ほうと恐怖が手っ取り早い手段ですが……」

 たんたんと進言したセレウスの言葉を、ウォルフレッドは鼻で笑っていつしゆうする。

「ろくな褒美も思いつかぬやつだぞ? 何より、これ以上怯えさせてどうする?」

「つまり、これ以上、嬢ちゃんがこわがらなけりゃあ、いいんすよね?」

 頭をがしがしといたゲルヴィスが、不意にトリンティアをのぞきこんで優しく笑う。

「嬢ちゃん、そんなに陛下が怖いのか?」

 いかつい顔なのに、包容力を感じさせるたのもしいみに、トリンティアは引きこまれるように、こくんとうなずく。

「こ、こうてい陛下だなんて、雲の上のかたであまりにもおそれ多くて……っ。それに……」

 はっとわれに返り、口をつぐむ。が、ウォルフレッドは聞きのがしてくれなかった。

「それに、何だ?」

「な、何でもございませんっ」

 ぷるぷるとかぶりを振ると、す、とあおひとみすがめられた。刺すようなあつかんに心臓が縮み、身体からだががたがたふるえ出す。

「あー、陛下? さらに怯えさせてどうするんすか」

 ゲルヴィスがあきれたように口をはさむ。次いで、トリンティアに向けられたのは、先ほどと同じ、あいに満ちた笑みだ。

「嬢ちゃん。陛下が怖い理由があるのなら、正直に教えてくれねぇか? 大丈夫だ。何を言っても嬢ちゃんにばつあたえたりしないと、俺が保証する」

 きっぱりと告げられた頼もしい言葉に、心が揺れる。おずおずと視線を上げると、目が合ったゲルヴィスが力強く頷いた。

 ウォルフレッドとセレウスは恐ろしいが、ゲルヴィスは見た目とは裏腹に、あまり恐ろしくはない。いつも皿に料理を盛ってくれるし、三人の中では一番心許せる存在だ。

「そ、その……」

 意を決して、トリンティアは震えるくちびるを開く。

「わ、私はこつ者ですから……。『れいこくこうてい』と呼ばれてらっしゃる陛下にそうをしてしまったら、どんな罰を受けるかと思うと、怖くて……」

 かつてサディウム家で受けたせつかんおくよみがえり、震えが止まらなくなる。ただでさえ、せっぽちなトリンティアでは、絶対に力ではかなわないのに。高圧的に責められ、折檻されたら、トリンティアにはもう、泣いて許しをうことしかできることがない。しかも、泣いたら泣いたでうつとうしい、とさらにり飛ばされるのだ。

「なるほど……」

 何やら考え深げに呟いたウォルフレッドが軽く視線を向けると、心得たようにセレウスとゲルヴィスがしつ室を出ていく。トリンティアが止める間もなかった。

「わたしの、どこが怖いのだ?」

「……え?」

 静かに問われた内容に、トリンティアはけな声をらす。おずおずと視線を上げると、しんけんな表情をしたウォルフレッドと目が合った。碧い瞳が、心の奥底まで見通そうとするかのように、真っぐにトリンティアを見下ろしている。

「わたしのどこが怖いのだ? 直せるところがあれば、善処しよう」

 予想だにしていなかった言葉にめんらう。まさか、ウォルフレッドがそんなじようをしてくれるなんて、思ってもみなかった。

「ああ、先に言っておくが」

 思考が働かず、ぼうぜんと見上げていると、ウォルフレッドが口元をゆがめた。

「『冷酷皇帝』というのは、わたしとセレウスで広めたうわさだぞ」

「……え?」

 理解のはんちゆうえて、思考がぷすん、と焼き切れる。

 せいさんな噂とともに恐ろしげにささやかれる、陰での呼び名。それを、自ら広めたとは。

「どうして、ですか? どうしてそんなことを……?」

 考えるより早く、するりと疑問がこぼれ出る。

「今の銀狼国には、『強い王』が必要だからだ」

 ウォルフレッドが強い声音でそくとうする。

「強い、王様……ですか?」

 わからないと言いたげなトリンティアの表情を読み取ったウォルフレッドがしようする。

「前皇帝は『弱い王』だった。『おとの涙』で苦痛をいやすのではなく、『花の乙女』におぼれ、まつりごとかえりみず……。結果、貴族達は好き勝手にふるまい、国は乱れた」

 もくしたまま見上げるトリンティアに、ウォルフレッドが問う。

「わたしが前皇帝の皇子ではなく、おいだということは知っているな? 皇位争いを制して皇帝となったことも」

 こくんと頷くとウォルフレッドが続ける。

「一年半におよぶ皇位争いにより、もともと乱れていた銀狼国は決定的に乱れた。今や、各領の貴族達はおのれの権勢をばし私腹を肥やすことに夢中で、皇帝に忠誠をちかっている者など、かいに等しい。……己の足元が、ゆっくりとくさり始めていることにも気づかずに」

 二人きりの執務室に、ウォルフレッドの低い声だけが揺蕩たゆたう。

「今、銀狼国に必要なのは、領主や貴族どもの反発をを言わせず押さえつける力を持つ『強い王』だ。国をまとめられず、貴族達の横暴を許していれば、早晩、ふたたび内乱が起きるか、他国にめ入られよう」

 ウォルフレッドの言葉に、身体に震えが走る。

 皇位争いの時、いくさり出された男達が帰らなかったり、帰ってきてもを負って働けなくなり、税がはらえず一家がさんしたという話は、いやというほど伝え聞いた。

 幸いサディウム領はせんに巻き込まれずに済んだが、攻め入られて畑に火を放たれたり、村が焼かれた領は、冬をす食料がなく、山のような者が出たという噂も耳にした。

「ふたたび戦が起これば、真っ先に苦しむのはたみであろう」

 ウォルフレッドの端整なおもいたむように歪む。

「何十人、何百人とほふってきたわたしが言えることではないと、承知している。だが……。これ以上、の民に、無用な血を流させたくはないのだ」

 しんな願いがこめられた言葉。

「わたしがすぐに皇位から追い落とされることになれば、ふたたび内乱が起こるのは必至だ。それをけるためにも、わたしは『強い王』として、反皇帝派の貴族達を従わせなければならぬ。──たとえ、きようしばりつけることになろうとも」

「だから、『冷酷皇帝』の噂を……?」

 トリンティアの問いに、ウォルフレッドが迷いなく頷く。

「そうだ。手っ取り早く人を従わせるのに、恐怖は有効だからな」

「……よいのですか?」

 するりとこぼれた疑問に、ウォルフレッドが不思議そうな顔をする。

「何がだ?」

 問い返されて、言いよどむ。トリンティアには、政治のことなど、まったくわからない。けれど、ののしられ、さげすまれる心の痛みはわかるから。

「自分から望んだとしても、『冷酷皇帝』と呼ばれるのは、おつらくないですか……?」

 心配になって問うたたん、ウォルフレッドがきよをつかれたようにまばたいた。

 かと思うと、思わずれてしまうようなやわらかな笑みをかべる。

「そんなことを聞いたのは、お前が初めてだ」

「も、申し訳──、ひゃっ」

 とんちんかんなことを言ったのかと思い謝ろうとした途端、身をかがめたウォルフレッドに額にくちづけされた。じやこうかおりが強くかおる。

「あ、あの……っ!?」

 うろたえて見上げると、額から唇をはなしたウォルフレッドに視線を合わせて覗き込まれた。碧い瞳に見つめられるだけで、顔がますます熱を持つ。

「『花の乙女』であるお前に誓おう」

 そ、と大きな手のひらがトリンティアの手を握る。反射的に、ぴくりと身体が震えた。

「『冷酷皇帝』と呼ばれるわたしだが、お前を傷つけることは決してせぬ。それゆえ……」

 まゆを下げたウォルフレッドが、困ったように微笑ほほえむ。

「そう、おびえてくれるな」

「も、申し訳ございません……っ」

『冷酷皇帝』が、ウォルフレッドが自ら広めた噂だと知って、ほんの少しだけあんしたのは確かだ。だが、だからといって、恐怖がすべて消え去ったわけではない。

 けれど同時に、命じれば済むものを、真摯に頼むウォルフレッドを信じたくもあって。

「で、できる限りの努力をいたします……」

 ウォルフレッドの頼みにこたえられたらと思う。

 罰を与えられるのがおそろしいからという理由だけではなくて、エリティーゼ以外で初めてトリンティアにやさしくしてくれた人に、恩返しができたら、と。

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