第二章 『花の乙女』の役目は心臓に悪すぎる⑤
「陛下。数刻おそばを離れている間に、信じがたい
夕刻。ゲルヴィスと連れ立って執務室へ入ってきたセレウスは、開口一番、整った面輪をしかめて告げた。
「ああ、俺も聞いたぜ。たぶん同じ噂だ。王城中でもちきりになってやがる」
二人の言葉を聞いた瞬間、トリンティアの胸に
「噂とは?」
トリンティアの胸中も知らず、ウォルフレッドが
「『冷酷皇帝』がついに『花の
にやにやと笑う様子は、今朝、
ウォルフレッドの足元に座り込んだトリンティアは、泣きたい気持ちになる。というか、溺愛などされていないのに、どこをどう
「ふむ。意外と広まったものだな」
当の本人はいっそ感心するほど
「
トリンティアが見上げる先で、ウォルフレッドが唇を
「さて……。どれほどの貴族どもが動くだろうな?」
「何を
わくわくした表情でゲルヴィスが問う。ウォルフレッドがくつりと
「貴族どもに一石を投じてやるだけだ。わたしが『花の乙女』を得たことで、大人しく
「けど陛下、そりゃあ……」
ゲルヴィスがいかつい顔をしかめ、歯切れ悪く
「決して手出しはさせぬ」
真っ向からゲルヴィスを
「今度こそ、
強い
「というわけで、どうだセレウス。こいつは表に出せそうか?」
三人の視線が集中し、トリンティアは机の
「……お望みの程度によりますが。イルダ
「
「……善処いたしましょう」
セレウスが真冬に花を
「わ、私に何をさせるおつもりなんですか……っ!?」
「察しがよいな」
ウォルフレッドが笑うが、
「む、無理です! できませんっ! 私にできることなんて、たかが知れています!」
「何をするかもわからぬのに、なぜ無理と言い切れる?」
じりじりと後ずさろうとした
「ひゃあぁっ!? 何をなさるんですか!?」
「おどおどし過ぎだ。もう少し、泰然としろ」
顔をしかめたウォルフレッドが命じるが、
「む、無理です! セ、セレウス様達もいらっしゃるのに、こんな……っ!」
「もう、
「他の者も、って……。もしかして
ぶはっ、と
「この程度で
「で、ですが……」
「そう
「人を動かすには、
「ろくな褒美も思いつかぬ
「つまり、これ以上、嬢ちゃんが
頭をがしがしと
「嬢ちゃん、そんなに陛下が怖いのか?」
いかつい顔なのに、包容力を感じさせる
「こ、
はっと
「それに、何だ?」
「な、何でもございませんっ」
ぷるぷるとかぶりを振ると、す、と
「あー、陛下? さらに怯えさせてどうするんすか」
ゲルヴィスが
「嬢ちゃん。陛下が怖い理由があるのなら、正直に教えてくれねぇか? 大丈夫だ。何を言っても嬢ちゃんに
きっぱりと告げられた頼もしい言葉に、心が揺れる。おずおずと視線を上げると、目が合ったゲルヴィスが力強く頷いた。
ウォルフレッドとセレウスは恐ろしいが、ゲルヴィスは見た目とは裏腹に、あまり恐ろしくはない。いつも皿に料理を盛ってくれるし、三人の中では一番心許せる存在だ。
「そ、その……」
意を決して、トリンティアは震える
「わ、私は
かつてサディウム家で受けた
「なるほど……」
何やら考え深げに呟いたウォルフレッドが軽く視線を向けると、心得たようにセレウスとゲルヴィスが
「わたしの、どこが怖いのだ?」
「……え?」
静かに問われた内容に、トリンティアは
「わたしのどこが怖いのだ? 直せるところがあれば、善処しよう」
予想だにしていなかった言葉に
「ああ、先に言っておくが」
思考が働かず、
「『冷酷皇帝』というのは、わたしとセレウスで広めた
「……え?」
理解の
「どうして、ですか? どうしてそんなことを……?」
考えるより早く、するりと疑問がこぼれ出る。
「今の銀狼国には、『強い王』が必要だからだ」
ウォルフレッドが強い声音で
「強い、王様……ですか?」
わからないと言いたげなトリンティアの表情を読み取ったウォルフレッドが
「前皇帝は『弱い王』だった。『
「わたしが前皇帝の皇子ではなく、
こくんと頷くとウォルフレッドが続ける。
「一年半に
二人きりの執務室に、ウォルフレッドの低い声だけが
「今、銀狼国に必要なのは、領主や貴族どもの反発を
ウォルフレッドの言葉に、身体に震えが走る。
皇位争いの時、
幸いサディウム領は
「ふたたび戦が起これば、真っ先に苦しむのは
ウォルフレッドの端整な
「何十人、何百人と
「わたしがすぐに皇位から追い落とされることになれば、ふたたび内乱が起こるのは必至だ。それを
「だから、『冷酷皇帝』の噂を……?」
トリンティアの問いに、ウォルフレッドが迷いなく頷く。
「そうだ。手っ取り早く人を従わせるのに、恐怖は有効だからな」
「……よいのですか?」
するりとこぼれた疑問に、ウォルフレッドが不思議そうな顔をする。
「何がだ?」
問い返されて、言い
「自分から望んだとしても、『冷酷皇帝』と呼ばれるのは、お
心配になって問うた
かと思うと、思わず
「そんなことを聞いたのは、お前が初めてだ」
「も、申し訳──、ひゃっ」
とんちんかんなことを言ったのかと思い謝ろうとした途端、身を
「あ、あの……っ!?」
うろたえて見上げると、額から唇を
「『花の乙女』であるお前に誓おう」
そ、と大きな手のひらがトリンティアの手を握る。反射的に、ぴくりと身体が震えた。
「『冷酷皇帝』と呼ばれるわたしだが、お前を傷つけることは決してせぬ。それゆえ……」
「そう、
「も、申し訳ございません……っ」
『冷酷皇帝』が、ウォルフレッドが自ら広めた噂だと知って、ほんの少しだけ
けれど同時に、命じれば済むものを、真摯に頼むウォルフレッドを信じたくもあって。
「で、できる限りの努力をいたします……」
ウォルフレッドの頼みに
罰を与えられるのが
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます