第三章 冷酷皇帝は『花の乙女』に誓う①

 ウォルフレッドに足の手当てをしてもらった翌日。

 十数人もの貴族達が居並ぶえつけんの間で、ウォルフレッドのそばのこしかけたトリンティアは、ふるえ出さないように、絹のぶくろに包まれた両のこぶしを、ひざの上でにぎりしめていた。

 顔の前に垂れたヴェールしに、ちらちらとこちらに向けられる貴族達の視線を感じる。

 正体をきわめようと言わんばかりのろんげな視線はやいばのようだ。

 そっと視線を動かせば、ななめ前の玉座に尊大に座すウォルフレッドと、そのりようわきに立つゲルヴィスとセレウスの姿が見える。

 古めかしい型の白い絹のドレスを着せられたトリンティアは、「『花の乙女』として謁見に同席せよ」と命じられ、わけもわからぬままここにいる。こうていであるウォルフレッド達と共に、だんじようの玉座にいるなんて……。だれか、これは夢だと言ってほしい。

『何も言わずに、ただ大人しく座っていろ。それだけでよい』

 とウォルフレッドに命じられた通り、トリンティアは気をくと震え出しそうな身体からだをひたすら𠮟しつして、ぴんと背筋を伸ばして座り続けている。

 貴族達がウォルフレッドに謁見を求めた理由は、約半月後にかいさいされるという『天哮の儀』について、進言したいことがあるためらしい。かんろくのある老貴族を中心とした一団の言い分を聞くに、彼等は『天哮の儀』をり行ってほしくないようだ。

「陛下のごこうは銀狼国にあまねく知れわたっております。祝福する『花の乙女』もまだ見つかっておらぬというのに、玉体に負担をかけてまで執り行わずとも、陛下のかげりが差すことなど決して……」

「ほう。それで、貴族どもに『天哮の儀』も満足に執り行えぬ新皇帝とあなどられよと?」

 進言を途中でたたるように、ウォルフレッドが冷ややかな声を上げる。ひやり、と謁見の間の温度が下がった気がして、トリンティアはさらに強く両手を握りしめた。

 進言した貴族が、「め、めつそうもございません!」と青い顔で首を横にる。

「わたくしどもは陛下のおんを案じているだけでございます! 尊き陛下の身を案じるのは、臣下として当然のことでございましょう?」

「なるほど。主人思いの臣下を得て、わたしは幸運だな」

 ウォルフレッドがゆったりとうなずく。端整な面輪にかんだ小さなみに、謁見の間の空気が、春の雪解けをむかえたかのように、ほっとゆるむ。

「でしたら──」

「だが」

 期待を込めて開かれた貴族の口を、針のようにするどいウォルフレッドの声がい留める。

「おぬしらの心配は無用となった。ようやく『花の乙女』を得たのでな」

「っ!」

 しゆんかん。トリンティアは視線の矢につらぬかれて、息絶えるかと思った。

 貴族達がいつせいにトリンティアを見つめる。きようがくわくいかり、ぞう……。ありとあらゆる負の感情がヴェール越しに叩きつけられ、こらえきれずに身体が震える。

 今すぐここからげ出したい。だが、心とは裏腹に身体が震えて、指一本たりとも動かせない。ただただ、合わなくなった歯の根がかたかたと鳴るだけだ。

そろいも揃って恐ろしげな顔でにらむな。わたしの『花』が怯えているではないか」

 不意に、あたたかく大きな手に右手を包まれる。つかまれた指の先を見上げると、いつの間にか玉座を離れ、トリンティアの椅子の横に立つウォルフレッドの姿が目に入った。

 だいじようだと言いたげなあおひとみを見た途端、震えが止まる。トリンティアの手をすっぽりと包むあたたかな手は、思わずすがりつきたくなるほどたのもしい。

 つ、と眼下の貴族達を見下ろす端整な横顔を、られたように見つめ続ける。

「へ、陛下……っ! ひとつお聞かせくださいませ……! その『花の乙女』は、どちらでいだされたのでございますか!?」

 信じられない──。そう言いたげなせつまった声が、貴族達の間から上がる。ウォルフレッドのくちびるが楽しげにり上がった。

「この乙女は、とある貴族がわたしにけんじようしたのだ」

「な……っ!?」

 かみなりが落ちたようなしようげきが、貴族達の間を走り抜ける。あわただしくおたがいの顔を見合わせる貴族達の顔に浮かぶのはさいしんだ。あえぐように声を発したのは、まだ若い貴族だった。

「お、恐れながら……っ。その『花の乙女』は、本物でございますか……!?」

「本物か、だと?」

 ひやり、とウォルフレッドが発したに、空気がこおりつく。

 と、ウォルフレッドが握ったままのトリンティアの手を持ち上げた。ちゅ、と手袋しに指先にくちづけを落とされる。反射的に手を引き抜こうとしたが、しっかりと握りしめたウォルフレッドの指が許してくれない。

「わたしの目が節穴だと言いたいのか?」

 トリンティアの指先に顔を寄せたまま、ウォルフレッドがわらう。先ほどトリンティアに見せた表情とは打って変わって、おおかみきばくようにどうもうに。

「望むなら、今ここでぎんろうの力を振るってやろう。だが……。最近、いくさから離れ、血にえておるのでな? 誰かののどぶえみ切るまで、おさまらぬやもしれんぞ?」

「ひいぃっ!」

 と、若い貴族が悲鳴を上げて情けなくへたりこむ。

 椅子に座っていなければ、きっとトリンティアもへたりこんでいただろう。指先を握るウォルフレッドの手の力強さだけが、かろうじてトリンティアを現実につなぎとめている。

「おぬしらは、わたしがつつがなく『天哮の儀』を行えるか案じているようだが……」

 貴族達をへいげいし、ウォルフレッドが迷いのないこわで告げる。

「『天哮の儀』は予定通り行う。これは、決定こうだ」

 続いて「もう下がってよい」と告げたウォルフレッドの言葉に、かなしばりから解き放たれたように貴族達が謁見の間を後にする。ろうひかえる衛兵が、分厚いとびらを閉めたたん

「ぶぁっはっは! いやーっ、見物でしたね! あの貴族どもの顔!」

 ゲルヴィスが腹をかかえて大笑いする。感心した声を上げたのはセレウスだ。

「お見事でございます。貴族達の間に的確にくさびを打ち込まれましたね。誰が裏切って陛下に『花の乙女』を献上したのかと、互いにしんあんになっていることでございましょう」

「『花の乙女』さえ、わたしに渡さなければ、わたしが苦痛にえきれずに自滅するだろうと、期待しているようだからな。いまごろ、お互いに腹の内をさぐり合っていることだろう」

 ウォルフレッドが人の悪い笑みを浮かべる。

「これで、勝手にかいしてくれたらよいのだがな。まあ、そう甘くはなかろう。せいぜいお互いをけんせいしあって、足を引っ張り合ってくれればよい」

「しっかし、陛下もなかなかやるじゃないっすか~? じようちゃんをかばった時の甘~いふんは、できあいしてるってゆーうわさにいっそう真実味が増す甘さだったっすよ?」

 ゲルヴィスがからかうように唇を吊り上げると、

「甘い? 何をわけのわからんことを言っている?」

 ウォルフレッドがあきれたように鼻を鳴らす。

 だが、トリンティアは三人のやりとりなど、ろくに聞いていなかった。

 頭がくらくらする。サディウムはくしやくとよく似た印象の貴族達。彼らから注がれた憎悪のまなざしが、身体に刻みつけられたきようおくいやでも呼び覚ます。

とりがら、よくやった。お前のおかげで──」

 ウォルフレッドがトリンティアの右手を放す。大きな手が頭をでようと辿たどり着く前に。

「おいっ!?」

 トリンティアは、ウォルフレッドの手がほどけた瞬間、意識を失っていた。


    ● ● ●


 握っていた手を放した途端、糸が切れたようにふらりとかしいだトリンティアに、ウォルフレッドはぎもを抜かれた。椅子から落ちそうになった身体を、慌ててきとめる。

「どうした!?」

 呼びかけるが、返事はない。顔をかくす厚いヴェールを乱暴にめくり上げた瞬間、ウォルフレッドの視界に飛び込んできたのは、血の気を失ってそうはくな、もんゆがんだおもだった。

 取り返せない、られた過去の記憶がよみがえり、一瞬で全身が総毛だつ。

「おいっ!?」

 気を失っているだけ──。そうわかっているはずなのに、呼ぶ声が震え、ひび割れる。

 生気を失った蒼白な面輪。血に染まった白いドレス。もう二度と、ウォルフレッドの名を呼ぶことはないやさしい声──。

 失った過去が、ウォルフレッドをつぶさんばかりにおそってくる。

「大丈夫です。嬢ちゃんは気を失っただけです」

 ぐっ、とゲルヴィスの分厚い手のひらがウォルフレッドのかたを強く掴む。痛みすら感じるほどの強さに、ウォルフレッドはようやくわれに返った。

「そう、か……。気を失っているだけか……」

 自分自身に言い聞かせるようにつぶやく。こぼした声は、自分でもあきれるほどたよりなかった。

「元々、度胸とはえんの性格みたいですし、慣れない場所に急に引っ張り出されて、気力を使い果たしたんでしょう。少ししたら目覚めますよ」

「そうだな……」

 おだやかに言い聞かせるゲルヴィスの声に、自分をなつとくさせるように頷く。

 くたりと力を失ったせた身体からだをそっと抱き上げ。

「しかし、このままほうってはおけぬ。……えつけんの予定は、まだ入っているのだったな?」

「はい。あと三件ございます」

 セレウスがそくとうする。その声は、謁見の予定を変える気など欠片かけらもないと言外に告げていた。急な予定へんこうが不可能なのは、ウォルフレッドとて承知している。だが、こんな状態のトリンティアを放っておくことは、断じてできない。

 トリンティアの蒼白な顔を見るだけで、胸の奥がきりかれたように鋭く痛む。

 昨日、傷つけないとちかったばかりだというのに、一日もたぬうちに、気を失うほどの重圧をあたえてしまうとは。完全に、ウォルフレッドの読みちがいだ。

 貴族達との謁見の際、ふるえていた小さな手を思い出す。

れいこくこうてい』をおそれ、おびえているのだと思っていた。『冷酷皇帝』がウォルフレッドが自ら広めた噂だと知れば、少しは恐怖が減じるだろうと。だが。

 力を込めるだけでにぎり潰せそうな瘦せっぽちの少女が、何にこれほど怯えているのか、ウォルフレッドには想像がつかない。

「陛下?」

 セレウスの声に、ウォルフレッドは思考の海から引き上げられる。今、考えなければならないことは、気を失ったトリンティアをどうするかだ。

 ひとついきし、ウォルフレッドはトリンティアを抱き上げたまま、隠し部屋へと歩を進める。意図に気づいたゲルヴィスが先回りしてさっと扉を開けた。

 隠し部屋の中は無人だった。ウォルフレッドには達の警護など必要ない。自分の身は自分で守れるのだから城下の治安を保つためにじゆんかいでもさせていたほうが、よほど良い。

 昨日、トリンティアが待機していた部屋のすみに置かれたながに歩み寄る。そっと下ろしても、まゆを寄せたままのトリンティアは、まったく目覚める気配がない。ヴェールを取って乱れたかみを優しくひと撫ですると、ウォルフレッドは足早に隠し部屋を後にした。

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