第三章 冷酷皇帝は『花の乙女』に誓う②
もぞり、とトリンティアが
「気がついたか?」
すぐそばから、
「気分はどうだ?」
問われて、ようやく頭が動き出す。
そうだ。
「も、申し訳ございませんでした!」
いつの間に私室に移動したのか。飛び起き、寝台の上で
「
「待て。少し落ち着け」
手にしていた書類をサイドテーブルに置いたウォルフレッドが、
がくがくと身体が震える。顔に
「お前は『花の
「え……?」
耳にした言葉が信じられなくて、
「昨日、お前を傷つけぬと言ったばかりだというのに……。
「違……っ、違いますっ!」
ぶんぶんぶんっ、と首を横に
「確かにものすごく怖かったですけれど、あれは陛下のせいではなくて、その……っ」
「その、何だ?」
言い
「そ、の……」
口に出してよいものか迷った末に、
と、寝台の上に
「なぜ、それほど怯える? 『冷酷皇帝』が
痛みを
不安に揺れるまなざしを見た
傷つけられたことは数えきれないほどあっても、誰かを傷つけた経験なんてほとんどなくて。どうすればよいかわからぬまま、あわあわと声を出す。
「こ、怖かったのは陛下ではなくて……っ。いえ、演技とわかってさえ、陛下も十分恐ろしかったのですけれど……っ」
真っ正直に答えてしまい、ウォルフレッドの形良い眉がぎゅっと寄る。己の
「こ、怖かったのは、貴族の方々の視線で……っ。まるで、サディウム伯爵が目の前に大勢現れたようで、あまりに恐ろしくて……っ」
ウォルフレッドの片眉が
「なぜだ? サディウム伯爵は義理とはいえ、お前の父親だろう?」
「ち、父上だなんてっ! そんな風にお呼びしたら、どんな
身体の奥底からせり上がってくる恐怖に、がくがくと震える。ウォルフレッドの
「どういうことだ?」
固く
「サ、サディウム
まなざしから
「わ、私は役立たずだったんです……っ。ある日
幼いトリンティアには、何が起こったのか、まったくわからなかった。ただ、サディウム伯爵がおとぎ話で読んだ
『サディウム家の一員だなどと、間違っても思い上がるな! お前のような役立たず、拾わずに
と。下働きとして身を粉にして働けば、少しでも
けれど、サディウム伯爵の怒りはとけるどころか、加速するばかりで……。
トリンティアが今まで世を
「で、ですから……」
震え声はいつのまにか
「決して陛下のせいではないのです! 私が役立たずで
不意に、ぐい、と腕を引かれる。
「もう、よい」
ウォルフレッドの低い声が
「泣くな。お前に泣かれると、どうすればよいかわからぬ」
わずかに身を離したウォルフレッドが、大きな手のひらでトリンティアの涙をぬぐう。
「わたしが怒りを覚えているのはお前ではない。サディウム伯爵にだ。自分の都合で養女に
碧い瞳が
「以前から、よからぬ噂を多く耳にしていたが、やはりろくでもない
「そう、なのですか……?」
サディウム領では、伯爵は絶対的な存在で、伯爵の行状に異を唱える者など、一人としていなかった。
「ああ。そのような
「いいえっ」
トリンティアは思わず声を上げていた。
「陛下は
必死に言い
「そうか……。では、もう恐ろしくはないな?」
「え……っ!?」
問われて、思わず固まる。同時に、ウォルフレッドに抱き寄せられているのを思い出して、かぁっ、と頬に熱がのぼった。
「そ、それはその……っ。やはり、
腕の中から逃れようとすると、逆にぎゅっと抱き寄せられる。
「離れるな」
ウォルフレッドの指先が優しく
「お前の事情を知ろうともせず、振り回して悪かった……。お前が『花の乙女』である以上、今後もお前に苦労をかけることは
気を失っているうちにほどかれ、乱れていた長い髪を、ウォルフレッドの骨ばった手があやすように
「これだけは、
「どうだ? これでもわたしが
「そ、それは……」
「守る」だなんてトリンティアに言ってくれた人は、今まで一人もいなかった。
エリティーゼでさえ、サディウム伯爵の目の届かないところでは助けてくれたものの、正面から伯爵の意に逆らうことはできず……。
ウォルフレッドは今までトリンティアが経験したことのない近さで優しくふれてくるので、いったいどうすればよいのかわからない。
優しい。けれども恐ろしい。それをどう伝えたらよいかわからず言葉を探しあぐねていると、ウォルフレッドにもう一度、頭を撫でられた。
「答えられぬのならば、無理に答えずともよい。急に印象を変えよと言っても難しかろう。そのうち、慣れてくれればよい。わたしも、お前を怖がらせぬように努めよう」
子どもをあやすような優しい手つきと声に、ほっとして息を
「だが……。先ほどの話は気にかかるな」
不意に低くなった声に
「離れるなと言っただろう?」
「で、ですが……」
心臓がばくばくと
「慣れるためにも、このくらい
「は、はい……」
せめて、
「サディウム伯爵はなぜ、お前を養女にしたのか……。理由を知っているか? お前の両親が何者だったのかも」
「いえ、何も……」
トリンティアはうつむいたまま、ふる、と首を横に
「昔、聞いた話では、
顔も声も、ましてや思い出の
トリンティアが知っているのは、母が共同墓地のどこかに
書類上はサディウム家の養女であり、血はつながらぬが優しい姉もいる。けれど。トリンティアは時折、自分が
『お前を守ろう』
不意に、ウォルフレッドの言葉が胸の中に
初めて、トリンティアを守ると言ってくれた人。抱き寄せる腕は力強く、痛いくらい胸が高鳴って
ぱくぱくと高鳴る
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