第三章 冷酷皇帝は『花の乙女』に誓う③

じようちゃん、だいじようか?」

「は、はい! ご迷惑をおかけして、本当に申し訳ございませんでした」

 夕刻、ウォルフレッドの私室に入ってくるなり、開口一番にたずねたゲルヴィスに、トリンティアはに座ったまま、身体からだを二つに折るようにして頭を下げた。

「いいっていいって。俺にびる必要なんざないさ。こっちこそ悪かったな。急にあんな場所に引っ張り出しちまってよ」

 わしわしとゲルヴィスが大きな手でトリンティアの頭を撫でてくれる。乱雑な手つきにもかかわらず、感じるのはいたわりと気遣いだ。

「あの……。何か、私にようがおありなのですか……?」

 思えば、ゲルヴィスと二人きりになったのは初めてだ。ウォルフレッドは今はみに行っている。トリンティアの問いに、ゲルヴィスは「あー」と呟きながら、トリンティアの頭を撫でていた手で、今度は自分の頭をいた。

「いちおう、念のためつーか……。嬢ちゃんの具合が気がかりだったしな。明日からも、えつけんの間にめなきゃならんだろうし……」

「今日だけではなかったんですか!?」

 てっきり、今日限りのことだと思っていたトリンティアは、思わずすっとんきょうな声を上げた。気絶するなどという失態をおかしたので、明日からはいつものようにかくし部屋に待機するものと思っていたのだが。

「なんつーか、念のためってゆーか……」

 ゲルヴィスが歯切れ悪く、もう一度「念のため」とり返す。

「陛下が『花のおと』を得たと、今日で広まっちまっただろうからな。いやでも、嬢ちゃんに注目が集まっちまう。嬢ちゃんを一人にして、万が一のことが起こったらと気をむよりも、目の届くところに置いておきたいっていうのが、陛下のお考えなんだろうよ」

 苦笑いをこぼしたゲルヴィスを見上げ、トリンティアは思い切って、胸の中にずっと巣くっていた疑問を口にした。

「あの、ゲルヴィス様。ひとつ、おうかがいしたいんですけれど……」

「おう、何だ?」

「あの……。『花の乙女』とは、そんなに重要なものなのですか?」

「へ?」

 ゲルヴィスが目を丸くして気のけた声を出す。トリンティアはあわあわと言をいだ。

「は、『花の乙女』のことはもちろん知っています! で、でも、私なんかが、『花の乙女』とは、どうしても思えなくて……」

 うなだれたトリンティアに、ゲルヴィスが困ったようにいきした。

「正直、俺にゃあ、嬢ちゃんが『花の乙女』かどうか、見分けはつかねぇ。見分けられるのはぎんろうの血を引く者か、同じ『花の乙女』だけだからな」

 と、不意に悪戯いたずらっぽく片目をつむる。

「っていうか、俺みたいなのが乙女だったら不気味だろ?」

 おどけたように笑うゲルヴィスにつられて、トリンティアも思わず口元がゆるむ。

「けど、他のだれでもない、陛下が嬢ちゃんを『花の乙女』だと認めたんだろう?」

 静かな声で発せられた問いにこくりとうなずくと、ゲルヴィスが破顔した。

「じゃあ、嬢ちゃんは誰が何と言おうと、『花の乙女』でちがいない。正直、一人も『花の乙女』がいない状態が異常なんだ。本来なら常に十数人はいるもんなんだが……」

「そうなのですか?」

 トリンティアはおどろいてゲルヴィスを見返す。ゲルヴィスのいかつい顔が苦くゆがんだ。

「ああ、王城の近くに『花の乙女』達が暮らすしん殿でんがあってな。いだされた『花の乙女』達はそこで暮らすんだが……。今は無人だ。内乱が起こった時、皇子や貴族達がわれさきに『花の乙女』を確保しようと、真っ先にさらっていっちまったからな」

 たんたんと告げるゲルヴィスの言葉に、ぞっと血の気が引く。攫われた『花の乙女』達は、いったいどうなったのだろう。

「なぜ『花の乙女』には銀狼の血を引く者をいやせるのかとか、どういう条件がそろえば『花の乙女』として生まれてくるのかについては、わりぃ、俺も知らねぇ。何人もの学者が建国神話を研究してるが、まだ真実に辿たどり着いた者はいないって話だしな。が、実際に『花の乙女』と『乙女のなみだ』だけが、皇族の苦痛を取り除けるのは確かだ」

「そ、それは陛下からもうかがいました。ですが……」

 トリンティアは、ウォルフレッドのことを思う。

 常に凜々しくて気高くて、一点の非の打ちどころもない貴公子。

「本当に、陛下は痛みになやまされておいでなのですか? ひどい不調をかかえてらっしゃるようには、とても見えないのですが……?」

「苦しんでらっしゃるよ」

 トリンティアの言葉にかぶせるように、ゲルヴィスがそくとうする。

「今もずっと、何でもない風をよそおかげで、あの方は、苦痛にえてらっしゃるよ」

 かなうならば、自分がその痛みを全部引き受けたい。そう言いたげな表情で、ゲルヴィスが告げる。と、いかつい顔に苦笑いが浮かんだ。

「まあ、陛下はがんで意地っ張りでいらっしゃるからなぁ。俺の前ですら、弱音を吐いてくださらない。もし誰かが耳にしたら、あっという間に不利なうわさを広められるからな」

「反こうてい派……」

 昨日、ウォルフレッドから聞いた言葉がこぼれ出る。ゲルヴィスが険しい顔で頷いた。

「ああ。即位したものの、陛下の政治的ばんはまだまだ弱い。その上、くさった貴族どもが、なんとか陛下の権力をけずろうとやつになってるんでな」

「それほど、陛下と他の貴族の方々のかくしつは深いのですか……?」

「前皇帝の時に、さんざん甘いしるを吸ってきたんだ。今さら、不正に手を染めずに品行方正にと言われても変われねぇのさ」

 ゲルヴィスが苦い声で続ける。

「『せきがん皇帝』と呼ばれていた前皇帝は、『花の乙女』にうつつを抜かして、ろくにまつりごとかえりみなかった。おべっかを使う貴族どもに権力をあたえ、はいするに任せ……。しんに国の行く末を思い、忠言する者ほどうとまれ、遠ざけられた。陛下のお父上や、財務官を務めていたセレウスの父親のようにな」

 いつしゆん、ゲルヴィスの表情が切なく歪む。なつかしそうに。同時に泣き出しそうに。

「貴族どもの反発をおさえるために、どれほどの苦痛にさいなまれようと、あの方は決して弱いところを見せられない。見せればそくき上げられるからな。貴族どもは内心、陛下が苦痛につぶれるのを、今か今かと手ぐすね引いて待ってやがるんだろうが……。ともかく」

 おほん、とゲルヴィスがせきばらいする。

「『花の乙女』は、陛下の治世を盤石にするために、不可欠の存在なんだ。つまり嬢ちゃん、あんたがな」

 真っぐ視線を合わせて告げられ、言葉に詰まる。

「『花の乙女』がいない皇帝は、くさりつながれたおおかみと同じだ。どれほど強くても、その力を自由にるえねえ。鎖に繋がれたまま、するのを待つだけだ。だが」

 ゲルヴィスが、力強い声をつむぐ。

「陛下は、嬢ちゃんとえた。嬢ちゃんが陛下のおそばにいる限り、陛下は思う存分、おのれの信じるままに動くことができる。俺からもたのむ。どうか、陛下のおそばで、あの方を癒してさしあげてくれ」

 言うなり、大きな身体からだを折りたたむように頭を下げられ、トリンティアは大いにあわてた。

「ゲ、ゲルヴィス様! お願いですからおやめください! わ、私なんかに頭を下げられるなんて……っ!」

 トリンティアは椅子から立ち上がると、かたに手をかけて起こそうとする。だが、トリンティアの力ではびくとも動かない。ようやく身体を起こしたゲルヴィスが、にかっと笑う。

「俺は嬢ちゃんには期待してるんだ。嬢ちゃんと会ってからの陛下は少し変わられた。皇帝になってからというもの、れいしよう以外のがおは、とんと見せなくなってらしたからな」

「は、はあ……」

 何と答えればいいかわからず、あいまいに頷くと、ゲルヴィスにわしわしと頭をでられた。

「まあ、これは俺の感傷みたいなもんだから気にすんな。嬢ちゃんは、気負わずそのままで陛下にお仕えしてくれりゃあいい」

「き、気負わず、ですか……」

 無意識に声が情けなく弱まる。ウォルフレッドを前にして、きんちようせずにいるなんて不可能だ。だが、トリンティアをづかってくれるゲルヴィスの期待を裏切りたくないとも思う。

「な、慣れる日が来るかはわかりませんが、が、がんります……」

「おう。もし困ったことがありゃあ、何でも相談してくれりゃあいいからよ。あんまり陛下がこわすぎるんなら、小さいころの失敗談でもなんでも教えてやるよ」

 ごうかいに笑うゲルヴィスにつられ、トリンティアも笑みをこぼす。ウォルフレッドの情けない姿など想像もつかないが、小さい頃なら微笑ほほえましい思い出もあるのだろう。と。

「おい。何を鹿わらいをしている」

 とびらが開く音と同時に、ウォルフレッドのいぶかしげな声が聞こえてきた。トリンティアはすぐさまゆかへいふくする。

「おや陛下。心配なさらずとも、単にじようちゃんと楽し~く話してただけっすよ?」

 なあ嬢ちゃん? と振られて、トリンティアは顔を上げてこくこく頷く。

 が、ウォルフレッドの表情は、緩むどころかけんしわがいっそう深くなる。気難しい顔で歩み寄ったウォルフレッドが、床に座るトリンティアを見下ろした。

「なぜ、床にいる? 足にさわらぬよう、から動くなと言ったはずだが?」

 え? と思う間もなく、身をかがめたウォルフレッドがトリンティアをき上げる。

「で、ですが、足はもうほとんど痛くありませんから、下ろしてくださいませ!」

「ほとんどということは、まだ少しは痛むということだろう? 完治がおそくなっては、わたしが困る。この後はお前がみだろう。ついでだ、このまま運ぶぞ」

「えぇっ!? あの、本当にだいじようですので……っ」

 トリンティアのうつたえを無視して、ウォルフレッドがすたすたと歩き始める。ぶはっとゲルヴィスがき出す声が追いかけてきた。

「ゲ、ゲルヴィス様! 私はもう大丈夫ですから、陛下を説得してくださいませ!」

 ウォルフレッドに横抱きにされるたび、心臓がこわれるのではないかと不安になる。ずかしくて、顔が上げられない。

 かぁっと身体中が熱いのは、がりのウォルフレッドのうでの中にいるせいだろう。

「……で、お前はいつまでついてくるつもりだ?」

 ウォルフレッドが後をついてくるゲルヴィスに冷ややかに問いかける。

「え? だって、こぉんな楽しい陛下をのがすなんてもったいないこと、できないっすから。それに、湯浴みの間、陛下がろうで待っているわけにもいかないでしょう?」

 ゲルヴィスが笑いをこらえた声で答える。ゲルヴィスの言葉にトリンティアは固まった。

「陛下! 私でしたら、本当に大丈夫ですので! 陛下のご公務のおじやをしては申し訳なさすぎますから……」

 ウォルフレッドと出逢ってまだたった四日だが、ウォルフレッドは夜のすいみんを除いて、いったいいつ休んでいるのだろうと心配になるほど働きづめだ。こんなに働く高貴な方など、初めて見た。皇帝という銀狼国で最も高い身分でありながら、ウォルフレッドはまるで使用人のように働き通しだ。これだけ働いていれば、つきがよいのもうなずける。

 ふ、とウォルフレッドが口元をゆるませる。

「公務というのなら、これも立派な公務のひとつだ。銀狼国をつつがなく統治するために、心身を整えるという意味では」

「お、おそれながら、じよを運ぶ公務なんて、絶対にないと思います……っ」

 トリンティアの反論に、ゲルヴィスが吹き出す声が重なった。


    ● ● ●


「ゲルヴィスと、どんな話をしていたのだ?」

「え?」

 トリンティアを横抱きにして歩きながら発された問いかけに、トリンティアはきょとんとウォルフレッドを見返した。

 本当に本当に結構です! と固辞したにもかかわらず、湯浴みが終わりえた時には、すでにウォルフレッドがむかえに来ていた。

「ええと、私が気を失ってしまったので、大丈夫かと心配してくださって、それと……。皇族の方々にとって、『花のおと』がどれほど重要なのかをお教えくださいました……」

 答えつつ、ウォルフレッドのたんせいおもうかがう。

「苦しんでいる」と、ゲルヴィスは確信をもって断言していた。確かに、かくし部屋へ来る時のウォルフレッドはいつも、せつまった表情をしている。まるで、えんてんを歩く旅人が、ひととき休めるかげを探すような。

 けれど、人前にいる時のウォルフレッドは常にれいてつあつ的で、不調をかかえているとは、どこからどう見ても思えない。

「どうした?」

 問われて、まじまじとウォルフレッドを見つめていたことに気づく。瞬間、かあっとほおに血がのぼった。

「い、いえっ。失礼をいたしました」

 うつむき、身を縮めたところでこうていの私室に着いた。いくつかのしよくだいともうすぐらい室内を、ウォルフレッドがよどみなく進む。奥にあるてんがいつきのしんだいに、そっと下ろされ。

「……で? ほかに、何を聞いたのだ?」

「そ、の……」

 言い淀んだトリンティアに、次いで寝台に乗ったウォルフレッドの目がすがめられる。トリンティアはひるみそうになる心を𠮟しつして、あおひとみを見つめ返した。

「今も、おつらくていらっしゃるのですか……?」

「っ」

 ウォルフレッドが小さく息をむ。げんそこねてしまったかと、トリンティアは思わずふるえた。

「も、申し訳ございません! ゲルヴィス様からうかがったものですから、その、心配になってしまいまして……っ。わ、私などが、陛下をご心配申しあげても、何のお役にも立てないのはわかっているのですが……」

 視線を下げたトリンティアのを、ウォルフレッドの不思議そうな声が打つ。

「夕べも同じ事を聞いていたな。お辛くないですか、と……」

 耳に心地ここちよくひびく低い声が、不意にれる。

「それほど、わたしは弱々しく見えるのか?」

「えっ!?」

 おどろいてウォルフレッドを見上げる。碧い瞳には、いつになくたよりない光が揺れていた。

「と、とんでもございません!」

 トリンティアはろくに首を動かせないしきの上で、必死にかぶりを振る。

「陛下はいつもしくてご立派でいらっしゃいます! ただ、その……。痛みをまんする辛さは、私でも少しはわかりますから……」

 サディウム家では、泣けばうつとうしいと、さらにり飛ばされたから、いつしか、声を殺して我慢するのは当たり前になっていた。けれど、泣くのを我慢したからといって、痛みまで消えるわけではない。むしろ、おさえ込んだ分、身体からだしんまで痛みがしみこんでいくようで……。ウォルフレッドも辛いのではないかと心配になったのだ。

 トリンティアの言葉に、ウォルフレッドがきよをつかれた顔になる。と。

「ひゃっ!?」

 身体に腕を回したウォルフレッドに、とつぜん、ぎゅっと抱きしめられる。じやこうかおりが、甘くのうこうかおった。

「お前は……。本当に、変わったむすめだな。『れいこくこうてい』にそんなことをたずねるなど……」

 どこかあきれたような、けれども同時にどこか甘いウォルフレッドの声。骨ばった長い指先が、やさしくトリンティアのかみく。

「心配はいらぬ。こうして、お前にふれていれば、痛みも寄りつかぬ」

 大切に、宝物のように抱きしめられ、泣き出しそうになる。こんな風に大切にあつかわれたことなんて、今まで一度だってない。

 きゅぅ、と胸が痛いのは、しゆうゆえかうれしさゆえか、自分でもわからない。ただ。

(私なんかでも、この方のお役に立てることがあるのなら……)

 トリンティアを抱きしめたまま、寝息を立て始めたウォルフレッドを見つめる。

 もっと、ウォルフレッドの心を知りたい。『冷酷皇帝』の仮面の下に、いったいどんな心を隠しているのか。そのためにも。

(この方に心からお仕えしよう)

 きゅっとくちびるを引き結び、トリンティアは自分の心にちかった。



   ◇  ◇  ◇


 続きは本編でお楽しみください。

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身代わり侍女は冷酷皇帝の『癒し係』を拝命中 『花の乙女』と言われても無自覚溺愛は困ります! 綾束 乙/角川ビーンズ文庫 @beans

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