第二章 『花の乙女』の役目は心臓に悪すぎる③

「……で。夕べはナニがあったんすか?」

 にやにやと笑いながら、こうしんを隠さぬ様子でゲルヴィスが口を開いたのは、ごうせいな朝食がそろそろ終わろうというころだった。

 おいしさに感動しつつ、やわらかな白パンを頬張っていたトリンティアは、思わずのどまらせた。うぐぐ、と呻きながら胸をたたき、なんとかえんしようととうする。

 ウォルフレッドの私室の広いテーブルで朝食をとっているのは、ウォルフレッドとトリンティア、セレウス、ゲルヴィスの四人だ。

「皇帝陛下と同じテーブルで食事だなんて、おそれ多すぎて食べ物が喉を通りません!」

 と固辞したが、「別々に食事をするなど、時間のだ。さっさと食え」と、一言のもとに却下された。実際に食事をしてみれば、緊張よりもごちそうへの喜びが大きすぎて、無心で食べてしまうのだが。

 パンは手で簡単にちぎれるくらいふわふわの白パンだし、サディウム領にいたころにはめつに食べられなかったお肉ばかりか、卵や魚、果物だってある。皇帝のしよくたくとは、なんとすごいのだろうと、食事のたびに感動してばかりだ。

 しかも、「じようちゃん、えんりよしねぇでもっと食え」と、ゲルヴィスが食べきれぬほどの料理を皿にせてくれるので、おなかがはちきれるのではないかと、心配になるほどだ。

 興味津々なゲルヴィスの視線に、トリンティアは頬に熱がのぼるのを感じる。子どもみたいに大泣きしたなんて、あきれられているのではなかろうか。

 答えられずにうつむいていると、ウォルフレッドの冷ややかな声が聞こえた。

「何もない。鶏がらが、『れいこくこうてい』に怯えて泣いただけだ」

 これ以上のせんさくち切るようなこわに、ゲルヴィスが口をつぐむ。代わりにれいおもをしかめ、口を開いたのはセレウスだ。

「しかし、『天哮の儀』まで、あと半月ほどです。お身体の回復は間に合うのですか?」

「心配いらぬ。『花のおと』は手に入ったのだ。間に合わぬわけがなかろう?」

「……陛下がそうおっしゃるのでしたら、よろしいのですが……」

 まだ何か言いたそうにしながらも、セレウスが引き下がる。

「で、鶏がら」

「は、はいっ」

 自分が呼ばれるとは思っていなかったトリンティアは、ぴんと背筋をばした。ひざの上で両手をにぎりしめ、びくびくしながらウォルフレッドの言葉を待っていると。

「何か、望みのものはあるか?」

「……え?」

 予想もしていなかった言葉に、思考が止まる。

「『花の乙女』の務めを果たしているほうをやろう。何か欲しいものはあるか?」

 欲しいもの。今まで、そんなことなど、考えたこともなかった。決して手に入らぬのに、考えるだけ無駄だから。

 褒美と言われたしゆんかんに、思いかんだ願いはひとつだけある。だが、口に出していいものか躊躇ためらっていると、心を読んだかのようにウォルフレッドがうながす。

「あるのだろう? 言え」

 命じられ、おずおずとウォルフレッドを見上げる。

「あ、あの、王城にじよとしてほうこうしたら、半年に一度しか里帰りのお休みをいただけないと聞いたのですが──」

きやつだ。お前をわたしのそばからはなせるわけがなかろう」

 みなまで言わぬうちに、そくに切り捨てられる。

「も、申し訳ございませんっ!」

 頭を下げると、あきらめたようないきが聞こえた。

「……何か、里帰りしたい理由でもあるのか?」

 たずねる声は、先ほどよりもいくぶんやさしい。

「その、すぐに里帰りしたいわけではなく……。私を可愛かわいがってくださったエリティーゼお姉様が、いつかけつこん式を挙げられる時に、里帰りのお許しをいただけたらと……」

 トリンティアを役立たずとさげすむ者ばかりだったサディウム家の中で、二つ年上であるはくしやくむすめ・エリティーゼだけが、トリンティアを妹としてあつかい、優しく接してくれた。

 ウォルフレッドにぶつかった原因のリボンも、王城へ侍女として上がるのだから、何か身をかざるものを、とエリティーゼがせんべつおくってくれた二本のリボンのうちの一本だ。

 そのエリティーゼに、ひそかに結婚話が持ち上がっている。かなうなら、エリティーゼのはなよめ姿を、この目で見て祝福の言葉を贈りたい。

「サディウム伯爵家のエリティーゼ嬢と言えば、『銀狼国の薔薇ばら』ともたたえられるぼうの令嬢であり、レイフェルド殿でんの婚約者でもありましたね。しかも、最初サディウム家の申し出では、王城へ上がることになっていたのは、エリティーゼ嬢のはずです」

 食後の茶をきつしていたセレウスがたんたんと口を開く。

「レイフェルドの?」

 おうむ返しに呟いたウォルフレッドのまゆが寄る。不快そうな表情に、トリンティアは思わず口を開いていた。

「ち、ちがうんです! エリティーゼお姉様は、本当はレイフェルド殿下との婚約を喜んでいたわけではなくて……っ。サディウム伯爵が決められたことに従っただけなんです!」

 前皇帝の第四皇子だったレイフェルドが、ウォルフレッドの政敵だったということは、政治にうといトリンティアでも、さすがに知っている。

 ウォルフレッドとの会戦でレイフェルドが行方ゆくえ不明となった時の伯爵のらくたんぶりはすさまじかった。当然だ。エリティーゼをゆくゆくはこうにと、野望をえがいていたのだから。

 だが、伯爵の落胆とは逆に、エリティーゼだけは婚約のこうをひっそりと喜んでいた。

『どうしても、レイフェルド様を好きだと思えないの。わたくしにはもったいないくらいの高貴な身分で、うるわしいかただというのに……。わたくしのことを、身を飾る宝石のひとつとしか思われていないような気がして、仕方がないの……』

 エリティーゼはこっそりとトリンティアだけに胸の内を教えてくれた。

『お父様には逆らえないけれど、叶うなら、レイフェルド様にとつぎたくないの……。ねぇ、トリンティア。本当はわたくし、好きな方がいるの。たった数度、お会いしただけの方だけれど、とてもてきな方なの……』

『銀狼国の薔薇』と讃えられる美貌をうすべにいろに染めて話すエリティーゼに、トリンティアはどうか姉のこいが叶いますようにと、心からいのった。どうか神様。私が差し上げられるものは何でもささげますから、姉様をおもう方と結ばせてあげてください、と。

 だから、新こうていより各領主に人員の供出が命じられた時、レイフェルドが行方不明となり婚約が解消となったエリティーゼを、きさき候補として王城へ上げようとしていたサディウム伯爵に、トリンティアは震えながら、「どうか、私を代わりに王城へ行かせてください」とこんがんしたのだ。

「サディウム伯爵か……」

 ウォルフレッドが険しい顔でつぶやく。時季外れに里帰りをさせてくださいなんて、大それた願いだったろうか。びくびくしながら返事を待っていると、セレウスが割って入った。

「陛下。そろそろえつけんのお時間でございます」

「もうそんな時間か。では、褒美の話はまた後だな。鶏がら、里帰りの話はいったん保留だ。ほかに何か考えておけ」

「は、はい……っ」

 他に……。と言われても何かあるだろうか、とトリンティアは震えながらうなずいた。

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