第二章 『花の乙女』の役目は心臓に悪すぎる②
昨日と同じように侍女達の手を借りて
だが、この後に待つものを考えるだけで、心臓がきゅぅっ、と縮んで顔が
「ついてきなさい」
昨夜と同じく、セレウスが感情の
「よいですか。陛下のお身体、ひいては銀狼国の
セレウスがようやく口を開いたのは、皇帝の私室まで来た時だった。
「は、はい……」
口にしようとしていた嘆願が
「陛下はまもなくいらっしゃいます」
部屋の中へトリンティアを案内したセレウスが一方的に告げて
こうなったら、ウォルフレッドに
待つほどもなく、扉が開く音がする。近づいてくる足音にトリンティアはさらに深く頭を下げた。
「……今日も寒いのか?」
目の前で立ち止まったウォルフレッドが問う。今日も夜着を
「い、いえっ、違います! その……、ひゃっ!?」
腕を
ふかふかの寝台が優しくトリンティアを受け止めてくれる。慣れぬ
「お、お待ちくださいませっ」
片手で
「何だ?」
「あ、あのっ、抱き枕とおっしゃっていましたが、毎夜陛下と……。その、同じ寝台で
午前中の
トリンティアの訴えに、ウォルフレッドがあっさり頷く。
「もしかしたら、そのうち不要になるやもしれんな」
「で、でしたら……」
横を向いて逃げ出そうとすると、肩を掴んで仰向けに
「よく聞け。長く『花の乙女』が不在だったのだ。一夜くらいでは、まったく足りぬ」
「そんな……っ」
ふむ、と何やら考えるようにウォルフレッドが
「お前が早く抱き枕から解放されたいように、早く回復したいのはわたしも同じだ。セレウスの企みなど、乗ってやる気はないが……。
ふっ、とウォルフレッドが
逃げる
──狼に、喉笛を
見開いた視界に、
かぶりを振って逃げたいのに、
反射的に
乱れてまとまらない思考のまま、固くつむっていたまぶたをこわごわ開けた瞬間。
「っ!」
──食べられる。
本能が
恐怖が思考を真っ白に染め上げる。頭のどこかで、ふつり、と糸が切れる音がした。同時に。
喉の奥から、自分のものとは思えないほどの大きな泣き声があふれ出す。ぼやけてにじむ視界の向こうで、ウォルフレッドが碧い瞳を見開くのが見えた。
だが、止めようにもたがが外れてしまったかのように、涙も声も止められない。
恐怖、
「陛下っ!? 何があったんすか!?」
泣き声が部屋の外まで届いたのだろう。
「かまうな。
幼い子どものように激しく泣くトリンティアを見下ろしたまま、ウォルフレッドが扉を振り向きもせず、すげなく返す。
トリンティア自身ですら、自分がどうなってしまったのかわからない。
こんな風に大声で泣くなんて、幼い子どもの
きっと、どこかが
しゃくりあげながら、覆いかぶさったままのウォルフレッドを見上げる。
「……悪かった」
視線を合わせぬまま、ウォルフレッドが低い声で告げる。
予想だにしなかった言葉に、
ウォルフレッドが
「も、申し訳ございませんっ」
身体ごと横を向き、自分の夜着の袖で乱暴に頬をぬぐう。
申し訳なさと
しかも、『
「も、申し訳あり──」
とにかく謝らなければと口を開くと同時に、トリンティアの背中側に身を横たえたウォルフレッドが、不意に
「加減を誤った。──許せ」
困ったような、低い声。
「お、お許しくださいとお願いしなければならないのは、私のほうでは……っ!?」
びくびくしながら答えると、背後から、ふ、と
「加減を誤ったのはわたしなのだから、お前が許しを請う必要はないだろう? ……許して、くれるか?」
ウォルフレッドがそう言うのなら、トリンティアに異論はない。
「は、はい……」
「『
胸に
痛みで眠れない
「しばらくは、お前を放すことはできん。早く慣れろ」
「な、慣れろとおっしゃいましても……っ」
今でも心臓が飛び出しそうなのに、どうやったら慣れるというのだろう。
「必要ならば、少しくらいの
「で、では、お放しいただけますか……?」
「少し、と言っただろう?
「あ、あのっ! では、せめて
ぴったりくっつくと、布地
「これは、早く慣れる方策、を……」
ウォルフレッドの声が
泣いたせいでまぶたが重い。背中から伝わるあたたかさが、
● ● ●
鼻の下のくすぐったさに、ウォルフレッドは目を覚ました。
目の前にあったのは、すやすやと眠るトリンティアの顔だ。
いつも
ウォルフレッドは眠る少女の瘦せた身体をそっと抱き寄せた。固い。骨と皮と申し訳程度の肉しかないのではなかろうか。女性らしいまろやかさが
不意に、胸を
昼間、
経験したことのない、背筋を
確かに、やりすぎた自覚はあるが……。まさか、大泣きされるとは予想の
幼子のように泣きじゃくる姿にどうにも罪悪感が
「悪かった」などと、
『冷酷皇帝』として、敵に
だが、夕べのトリンティアの涙は、ウォルフレッドの心の
ウォルフレッドはかぶりを
その拍子に、かつて聞いた真実かどうかも
「どうせ、
はん、と小さく鼻を鳴らす。絆なんて、そんな
「せめて、もう少し慣れてほしいものだがな……」
低い声で
銀狼国の皇族の身に流れる、銀狼の血。人の身に納まりきらぬ力を振るう
命がけで手に入れた皇位を、『花の乙女』が手に入らぬばかりに手放す羽目に
ウォルフレッドは眠るトリンティアの身体に回した腕に力をこめる。それだけで、身体の奥底まで
『花の乙女』を見つけた今、以前のような苦痛まみれの日々に
「……代々の皇帝達が、『花の乙女』に
トリンティアが『乙女の涙』を作ることができれば、それに
が、せめてもう少し、『花の乙女』の務めに慣れてもらわねば……。ふれるたび、びくびくと怯え、
さて、どうしたものか……。と、ウォルフレッドは眠る少女を見つめて思案した。
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