第一章 新米侍女、冷酷皇帝に抱き枕を命じられる③
いったい何がどうなっているのか。
つい先ほど、ウォルフレッドにぶつかるまで、トリンティアは侍女として
ウォルフレッドから
いくら高価な衣装を纏おうと、瘦せこけた身体ではみっともないだけだというのは、
なぜトリンティアなどに絹の薄物を着せたのか、セレウスの意図はさっぱりわからない。
セレウスに命じられた通り、
ひたひたと大理石の
「
来る前にセレウスに教えられた口上を、震えながらもなんとか
頭上からウォルフレッドの
「着ろ」
ばさりと大きな布地がトリンティアの上に落ちる。
「で、ですが、陛下の
身動きせずに平伏していると、
「聞こえなかったか? 着ろと言っている。……お前に
少し、困ったような声。わけがわからず、おずおずと顔を上げると、ずるりとずれた布地が視界をふさいだ。
「ですが……。私がこちらをお借りしたら、陛下がお寒いのでは?」
トリンティアの言葉に、ウォルフレッドが、はん、と鼻を鳴らす。
「その程度で風邪をひくほどやわではない。わかったらさっさと着ろ。時間の
「あ、ありがとうございます」
本当に着てよいらしい。トリンティアは
夜着で私室に控えるように言われた時はまさかと思ったが、服を着ろと言われたということは、やはり何か手違いがあったのだ。
トリンティアは力強い腕に荷物でも
「あの……っ!?」
声を上げた時には、ウォルフレッドも寝台に上がっていた。
必死の
「固い」
不満この上ない声が
「何だこれは? 骨と皮だけか? 薄物の上から見た時もたいがいだと思ったが、見た目以上に
だが、トリンティアは答えるどころではない。額や
無理。無理だ。このままでは、心臓が
「あ、あの、陛下……っ」
何とか腕が
「お前が動くたびに、骨が当たって痛い。じっとしていろ」
「で、ですが……」
息を
「言っておくが、お前に手を出す気はないぞ。いくら
「で、でしたらお放しくださいませ……っ!」
だが、
「セレウスから何も聞いていないのか?」
「こ、殺されたくなければ、陛下の
部屋へ来る前に言い
失言のせいでウォルフレッドの気が変わってしまったら大変だ。トリンティアの
いま身体に回されている力強い腕は、その気になれば
「セレウスめ。何も説明していないではないか」
緩んだと思った腕が、ふたたびトリンティアを強く抱き寄せる。
「うむ。やはり、お前にふれていると痛みが消えるな」
「ひゃっ」
抱き寄せられた
「お前を殺すわけなどなかろう。ようやく見つけた『花の乙女』なのだから」
「花の……、乙女?」
そういえば先ほどもそんなことを言っていた気がする。ぼんやりとおうむ返しに
「まさか、知らぬのか?」
「い、いえっ! 知っております! で、ですが、私が『花の
「自分の出自もわからぬのに、なぜそう言える?」
わずかに身を
「で、ですが……っ! 『花の乙女』というのは、もっと清らかで美しくて……っ! 絶対に、私などではありませんっ!」
「だが」
ウォルフレッドが、宝物にふれるかのようにトリンティアの瘦せた身体を抱き寄せる。
「お前が、わたしの痛みを
「え……?」
わけがわからずきょとんと呟くと、ウォルフレッドが
「『花の乙女』が何のために皇帝や皇族のそばに侍ると思う? 『花の乙女』自身と、彼女らが作る秘薬『乙女の
初めて聞く話に固まっているトリンティアの首筋に、ウォルフレッドが顔をうずめる。広い
「セレウスからも聞いたが、お前は『乙女の涙』を作ることはできぬのだろう?」
「も、申し訳ございませんっ! その、『乙女の涙』が何かすら存じあげず……っ」
ウォルフレッドの問いかけに謝罪する。『乙女の涙』という言葉自体、初めて聞いた。
セレウスによると、
『乙女の涙』は材料も製法も『花の乙女』しか知らぬそうで、「本当に作れないのか?」とセレウスに厳しく問い詰められたが、知らないものはどうしようもない。
「よい。予想はついていた。自分が『花の乙女』であることすら知らぬ者が、材料や製法すら秘された『乙女の涙』を作れるはずがないからな」
低い声で呟いたウォルフレッドがさらに強くトリンティアを抱きしめる。
「だが、お前に『花の乙女』の資質があるのは確からしい。……お前にふれていると、絶え間なく響いていた苦痛が消える……」
ほう、と深く
「あ、あの……。ずっと抱きしめていないといけないのでしょうか……?」
不敬罪で
「ああ。見知らぬ者を
不意にウォルフレッドが
「仮にお前が敵から
「っ!」
「わ、私は決して刺客などでは……っ」
「ああ、そうであることを願うぞ。せっかく手に入れた『花の乙女』を殺すのは
恐怖に
自分が今いるのは、狼の
「しかし……。もう少し肉をつけろ。骨が痛くてかなわん」
「も、申し訳ございません……」
ウォルフレッドが
サディウム領では領主の
と、不意にウォルフレッドが首筋にうずめた鼻を、すんと鳴らす。
「ああ……。
あたたかな吐息が肌をくすぐり、恥ずかしさに思考が
「あ、あの……っ」
不敬と
「へ、陛下……?」
首をひねってウォルフレッドを見ると、すぐ目の前に
鋼をほどいたような銀の
まさか、こんなにあっさり寝入るとは予想外だったが、とにかく助かった。
(どうしよう……。
異性の、しかも雲の上の身分の青年の腕の中で一晩を過ごさなければならないなんて、いろいろな意味で心臓に悪すぎる。
トリンティアは固く目を閉じ、一刻も早く時が過ぎるのをひたすら願い続けた。
● ● ●
「ん……」
窓から差し込んだ朝日がトリンティアのまぶたを撫でる。
起きて
「っ!?」
眼前の光景に息を
飛び出しかけた悲鳴を飲み込んだ
そうだ。夕べ、ウォルフレッドにお前は『花の乙女』だと言われ、
目をつむってじっと身を縮めていたのだが、いつの間にか、寝入ってしまったようだ。
ウォルフレッドはまだ夢の中にいるらしい。穏やかな寝息がトリンティアの
起きている間は『
トリンティアはなんとかウォルフレッドの腕の中から抜け出せないかと
というか、ウォルフレッドは本当にトリンティアを一晩中、抱きしめていたのだろうか。そう考えると、
困って視線を
『戦では常に
『冷酷皇帝』についての
(この方は、ご自身の手で皇位を勝ち取られたんだ……)
こんな貴族は、初めてだ。トリンティアが知る貴族達は、連綿と受け
(痛んだりは、しないのかな……?)
痛みに苦しまねばならぬのが、どれほど
ウォルフレッドの
「陛下? まだお休みでいらっしゃいますか?」
「ひゃっ!?」
突然、
険しい顔で扉とトリンティアに
「思いがけなく寝過ごしたようだ」
扉の向こうへ告げたウォルフレッドの声に、「失礼いたします」とセレウスとゲルヴィスが室内に入ってくる。
が、寝台に
「陛下が
ゲルヴィスの意外そうな声に、ウォルフレッドが応じる。
「痛みなく眠れるのがこれほど安らげるとはな。思わず、前後不覚に寝入ってしまった。この
視線が集中するのを感じるが、平伏するトリンティアは身を縮めることしかできない。
「……が」
ウォルフレッドの声が
「セレウス。わたしを見くびるな。いくら何でも、
一方的に命じたウォルフレッドが不意にトリンティアを呼ばう。
「おい、鶏がら」
言われなくとも、自分のことだと
「これからしばらく、お前は抱き枕だ。ひとまずお前は肉をつけろ」
「だ、抱き……っ!? は、はいっ!」
抱き枕なんて仕事があるのだろうか。だが、『冷酷皇帝』相手に疑問など口に出せるはずもなく、トリンティアは
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