第一章 新米侍女、冷酷皇帝に抱き枕を命じられる②

「ひぃっ! あなた、なんてことを……っ!」

 きように満ちたどうりよう達のさけびに、トリンティアはぼうぜんと自分が押し倒した青年を見た。

 二十代前半だろうか。トリンティアよりは年上に見える。吊り目がちの思わずれるほどしい面輪は、きようがくあおひとみみはられている。はがねを連想させる細身の身体からだを包むのは、金糸銀糸でしゆうがほどこされたごうしやな絹のしようだ。

「も、申し訳ございま──」

 いつしゆんで全身の血の気が引き、あわててびすさろうとしたが、逆にしっかと腕をつかまれ、引き寄せられる。もう一度謝ろうとするより早く。

「も、申し訳ございませんっ!」

 け寄ってきた同僚達が、地面にひれすのが視界のはしに見えた。

「こ、このむすめが一人で急に走り出したのですっ!」

ばつあたえるのでしたら、どうか、この娘だけに……っ!」

 ふるえる声で同僚達が言いつのる。トリンティアが反論しても、きっと信じてもらえまい。

『冷酷皇帝』とかげうわさされる新こうてい・ウォルフレッドにそうをするなど、どんな罰が与えられるのか。たった半月の王城勤めの間に聞いた噂が、トリンティアの脳内を駆けめぐる。

 新皇帝は、もともとは前皇帝のおいという、内乱が起こらなければ本来は皇位につくはずのなかった身だ。皇帝になるまでの道は数多あまたの血としかばねいろどられているという。

 いわく、いくさでは自らせんじんを切ってとつげきし、敵の大将を血祭りにあげた。敵対する者は貴族であろうとようしやなく処刑し、たとえ味方であっても、皇帝の不興を買った者は同じ目にわされる。皇帝の私室には、夜な夜なりよや罪人が連れてこられ、皇帝の血のかつぼうなぐさめるため、なぶり者にされている……。などなど、耳にした噂はにわたる。

 いったいどんな罰を受けるのかと恐怖に喉がまる。へいふくして謝罪しなければと思うのに、いくら𠮟しつしても身体はがくがくと震えるばかりで、まったく動いてくれない。と。

「立て」

 冷ややかな声がトリンティアに命じる。

 とっさに反応できないトリンティアを押しのけ、ウォルフレッドがさっと立ち上がる。が、腕を掴んだ手だけはそのままだ。

「聞こえぬか? 立てと言っている」

 ゆかにへたり込んだまま、震えるトリンティアに、ウォルフレッドがふたたび命じる。ぐいっと腕を引かれるが、床にはりついたかのように、足に力が入らない。

「も、申し訳ございませんっ。こしけて……っ」

 うまく動かないくちびるでかろうじてそれだけを伝えると、ウォルフレッドがいらたしげに舌打ちした。かと思うと。

「ひゃっ!?」

 不意に、よこきに抱き上げられ、すっとんきょうな悲鳴が飛び出す。

「セレウス。そこの二人の名前と所属を聞いておけ」

 一方的に命じたウォルフレッドが、混乱のあまり身をかたくするトリンティアにかまう様子もなく、よどみない足取りでろうを進んでいく。

「陛下!? これはいったい……っ!?」

 ほどなく、同僚達の名前をかくにんするため残っていた青年が急ぎ足で追いついてくる。よろいまとったおおがらな男が、からかうような声を上げた。

「急にじよをかっさらうなんて……。ひとれでもしたんすか?」

「そんなわけがなかろう。余計な口ばかりたたいていると、舌を引き抜くぞ、ゲルヴィス」

 冷ややかにウォルフレッドが告げたところで、大きなとびらの前に着いた。ゲルヴィスがおおまたみ出し、皇帝の歩みをさまたげぬよう、さっと扉を開ける。

 中は、皇帝の私室らしかった。トリンティアが見たこともないほどごうな部屋だ。

「あ、あのっ」

 声をかけた拍子にわずかにゆるんだ腕の中から飛び出し、今度こそ、大理石の床に額をこすりつけて平伏する。すがるようにずっとにぎりっぱなしだったリボンをしまう間さえしい。

「大変申し訳ございませんでした! なにとぞ、なにとぞお許しくださいませ!」

「名は?」

 温度を感じさせぬ声が問う。

「ト、トリンティア・モイエと申します……」

 恐怖に震えの止まらぬ声で告げたトリンティアは、さらに強く額を床にこすりつける。

「お願いでございます! 罰をお与えになるのでしたら、どうか私だけに……っ! 故郷にはるいおよぼさないでくださいませっ!」

おのれが望みを言える立場だと?」

 氷よりも冷ややかにトリンティアのこんがんを叩きったのは、セレウスと呼ばれていたあわい金のかみをした青年だ。侍女としてほうこうする中で、名前だけは聞いたおくがある。『れいこくこうてい』のみぎうでと言われる、若くして大ばつてきされたさいしようだ。

 ということは、ゲルヴィスと呼ばれた鎧を纏った黒髪の大男のほうは、『黒いあらし』とも、銀狼国一のとも呼ばれる人物だろうか。

 いつぺんも感じられぬセレウスの声に、トリンティアはびくりと震えて口をつぐむ。

「セレウス。たずねているのはわたしだ」

「申し訳ございません。差し出た真似まねをいたしました」

 ウォルフレッドの短い制止の声に、セレウスが一歩下がる気配がする。

「『癒しトリンテイア』か……。古語だな」

 ウォルフレッドが低くつぶやく。己の名が古語に由来するなど、初耳だ。

「各領から供出された人員の一人と見たが、どこの領からつかわされた?」

「サ、サディウム領でございます……」

「サディウム領?」

 ウォルフレッドの声がいぶかしげに上がる。れつに反応したのは、セレウスだった。

「サディウム領から遣わされたのは、サディウムはくしやくの娘のはず。あなたを見る限り、とても伯爵家の娘とは思えませんが?」

「た、確かに伯爵の娘ですっ! そ、その、養女の身でございますが……っ!」

「養女、か」

 ウォルフレッドがくつりとれいしようをこぼす。

「『拾い物モイエ』と名づけるとは、サディウム伯爵は、なかなか機知に富んでいるらしい」

 と、ウォルフレッドが一歩踏み出した。かつり、とくつおとが固くひびく。

おもてを上げよ」

 命じられるままに、おずおずと顔を上げる。恐怖ときんちようこわった身体は、動くだけでぎしぎしときしむようだ。

 トリンティアの前でかたひざをついたウォルフレッドが、血の気の引いた顔をのぞきこむ。心の奥底まで見通すような碧い瞳でトリンティアをき。

「で、トリンティア・モイエ。お前は何者だ?」

「……な、何者と言われましても……?」

 吸い込まれるような深くあおい瞳を見上げながら、トリンティアはほうけたように呟く。

「答えられぬか」

 ウォルフレッドが目をすがめる。それだけで、空気が重くしずみ、あつかんのどが詰まる。唇だけでなく全身が震えて、謝罪の言葉をつむぐことすらできない。

「トリンティアという名は、だれがつけた?」

 いつわりは許さぬと、厳しく問いただすウォルフレッドに、震える唇を苦労して動かす。

「わ、私を産み落としてすぐ、さんじよくねつで死んだ母が、もうろうとしながら呟いていた、と。そう聞いております……。母は身重の身体でサディウム領へ現れたそうで……。私は、父の名も母の名も、どちらも知りません……」

 ウォルフレッドがたんせいおもをしかめてたんそくする。

「……そういう事情ならば、己が何者か知らずとも、当然か」

「っていうか、陛下はこのじようちゃんが何者だと思っていらっしゃるんで?」

 ゲルヴィスがこうしんかくす様子もなく尋ねる。

「まさか……」

 いち早く何かに気づいて声を上げたのはセレウスだ。

「喜べ」

 不意にびてきたウォルフレッドの右手が、トリンティアのあごを掴んで、くいと持ち上げる。

 視線が合ったしゆんかん、トリンティアは息をんで身を震わせた。ものを前にしたおおかみのような王威に打たれて。

 碧いひとみえつかべ、ウォルフレッドが告げる。

「探し求めていた『花のおと』が手に入ったぞ」

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