03 - オンとオフ【前】



 

 カタカタとキーを叩く音が響く部屋。冷房も心地よい温度に設定され、快適に仕事が出来る空間で文字を打ち込む清彦。

 画面の端に付箋で貼られた締切日は明日。思っていたよりも進んでいなかった事に焦りながらも急ピッチで文字を打ち込んでいる。


 前日に布団をコインランドリーで洗わなくてはいけなくなったのが大きかっただろう。しかし、清彦はもっと早く書き進めていなかった自分が悪いと自責の念に駆られながら仕事に打ち込む。


 清彦が仕事に集中しすぎて昼食忘れていたなと思った時には13時を回っていた。何食べようかとスマートホンを手に持ちキッチンに向かっていく。

 冷蔵庫の残り物を思い出し、それを出して並べていく。ついでに晩ご飯のメニューも考え始める。


「鳥か…魚…」


 冷蔵庫に入っている食材を思い出しながら考えるがなかなか決まらないので、同棲相手にLINEでも入れてみるかとスマートホンを見るが、先に昼だなと支度を始める。


 しばらくして昼食の片付けまで終わらせた清彦。ソファに腰掛けLINEを打とうとした矢先、急に手にしているスマートホンが鳴り出し驚き画面を見る。


「シンさんだ」


 画面にはLINEを送ろうとしていた相手の名前が表示されていたので、慌てて電話に出る。


「シンさんお疲れ様、どしたの?」

『昨日話していた出張の件でな…今大丈夫か?』

「勿論」

『来週の火曜から木曜だな』

「じゃあ週末は大丈夫だね」

『ああ』

「これで残りも頑張れるなぁ」

『…仕事大変なのか?』

「上手く書けなくて進んでいなくてね」

『無理して仕事しなくてもいいんだからな…私がちゃんと働いているから』

「趣味みたいなもんだからね…シンさん仕事戻らなくていいの?」

『…もう少しキヨの声聞きたいんだが、ダメか?』

「仕事モード抜けちゃわない?大丈夫なの?」

『少しくらい休憩してもいいだろう』


 そう言う電話越しの清一郎の声はいつも通り落ち着いてはいる。しかし、その後しっかりと珈琲こぼしたりどこかに手をぶつけたのだろうか、痛いと騒いでいたりする辺り…やっぱり仕事モードが抜けてしまっているのだろう。


「シンさん、大丈夫?電話越しでもシンさんが慌てて次に何をするか目に浮かぶようだけれど」

『な、大丈夫だ!何も…あっ!』

「どしたー?」

『いや、別に…うわっ中條!?』


 電話越しでも清彦に聞こえてくる中條の声。心配されてるんだろうなと思ったら今まで後ろの方で聞こえていたはずの中条の声が大きく聞こえてきた。


『天宮さん、お久しぶり』

「ああ、中条さん。お仕事お疲れ様です」

『今ね、珈琲こぼしたらしい床を掃除しているんだけれど、なんであいつは拭いているはずの雑巾を自分で踏めるのかな?』

「…シンさん、だからね…」

『え、嘘じゃん、逆にそれ器用すぎない?え?マジで?』

「屈んで拭いてた自分の持っている雑巾を踏んで転んで頭打ってない?大丈夫?」

『あー…やってる』

「立ち上がろうとして台ふき辺りで滑ってまた尻餅ついたりしてない?」

『…え?見えてるの?』

「まあ、シンさんよくやるコンボだからね」


 中条の苦笑いを他所にやっと立ち上がった清一郎は服の汚れを叩いている。


『…シャツの袖の部分珈琲汚れが…天宮さんに怒られるぞ』

『何故か俺が服を汚してきたの言い忘れたとしてもキヨは怒らないんだ』

『染みになったら大変だぞ?帰ってそのままクリーニングに出さないと』

『いや、これくらいならキヨがやってくれる』

『天宮さんはお前の母さんか…』


 電話越しで声が聞こえるくらいに近くにいるという事なのだろうが、これだけ騒いでも他の人が来ないなんて…そもそもどこにいるんだろうかと不思議に思う清彦。


「中条さん、大丈夫ですよ。シンさんと一緒に住むようになって特技染み抜きって言えるくらいには成長したので」

『いいんだか、悪いんだか…ああ、俺が掃除するから仕事モード戻ってくれ…頼むからこれ以上給湯室を荒らさないでくれ』


 ああ、給湯室か…それならば人は確かにあまり来ないなと思いながらくすっと笑ってしまう。


「僕からしたら、中条さんの方がお母さんっぽいけれどね」

『そうか?』

「まあ、仕事中あまり長電話しないように気を付けるんで」

『仕事モード抜けなければいいんだけれどなぁ』

「僕と中条さん以外がいないとダメでしょうねぇ」

『だなぁ…ほら、もう後でコロコロしてやるから電話!じゃあ天宮さんまた!』

「またご飯食べに来て下さいよ」

『おじゃまするよ』

「すみませんが、よろしくお願いしますね」


 中条からスマートホンを受け取った清一郎は咳払いをしてからスマートホンを耳に当てる。


『すまない…うっかりこぼしてしまって…染みを』

「大丈夫だから…怪我してない?そっちの方が心配だけれど」

『ああ、怪我は大丈夫…心配かけてごめんな…』

「いいってことよ、シンさんが無事ならそれで」

『流石に中条に掃除させて申し訳ないから電話切る』

「うん、ちゃんと仕事モードに戻ってしっかり仕事してきてね」

『ああ、じゃあ…』

「そうだ、今日は鶏肉と魚ならどっちがいい?」

『魚がいいな』

「わかった、帰りは?」

『今日は早いはずだ、迎えは大丈夫だ』

「うん。じゃあ仕事頑張って」

『ありがとう』


 長引かせてもいけないと清彦も聞くだけ聞いてすぐに電話を切ってしまう。名残惜しくはあるが向こうも仕事中だからと言い聞かせてスマートホンを置く。

 そのまますぐ晩の仕込みを済ませて仕事へと戻った。

 

 18時から本格的に晩の用意を始め、清一郎が帰ってくる19時過ぎにはキッチリ仕上げ、風呂を入れ始める。そろそろ帰ってくるだろうかと思いながら洗面所から出ようとドアノブに手をかける前に勝手にドアが開き、清彦は驚き飛び上がりそうになった。


「おお、キヨ…ここにいたのか」

「ビックリしたぁ…音聞こえなかったから気付かなかった…」

「風呂やってくれていたのか…ありがとう」

「いいえ、おかえりなさい。シンさん」

「ただいま」


 どちらからともなく合わせるだけのキスをかわし、清彦は洗面台を出てキッチンへと向かう。新婚かと思うくらいにはおはようからおやすみまでキスをしているが、清一郎は嫌ではないのだろうか?とふと疑問に思う清彦。自分もこんなにしたくなるとは思わなかった。今までの恋人とはこんなに恋人らしい事をしてこなかったなぁと思いながら味噌汁の支度を終える。

 着替えをしに自室に入った清一郎はすぐに部屋から出てきてキッチンに来る。キスの頻度について聞こうかなと思いながら炭酸水を用意しつつ清一郎を見たが、しっかりとTシャツが裏返しなのに気付いてしまってそれどころではなくなってしまう。


「シンさん、Tシャツ裏返し」

「え!?」

「あ、待って…裏返しで更に後ろ前逆じゃない?タグがここにある」


 そう言って清彦の指が清一郎の鎖骨の部分に触れる。慌ててその場でバサっと脱いで着直している所はガン見しつつ、清一郎の為に炭酸水を入れてカウンターに置く。


「直せてないよ、前後逆」

「むぅ…」

「仕事モード抜けるの早いな」

「キヨの顔見たら気が緩んでしまう…」


 そういえばいつもはキス前に着替えてくる事が多いよなと思い出しながら料理の盛りつけに向かう。

 テキパキとカウンターに料理を盛って出していくと、テーブルに皿を並べ直し2人並んで座り食べ始める。魚は鮫があったのでムニエルにしたと説明すると嬉しそうに清一郎が箸を伸ばし、綺麗な動きで食事を進めていく。


「シンさん、食べ方本当に綺麗だよね」

「そうか?」

「だからこそ、凄いえっち」

「え」

「食事も前戯っていうでしょ?」

「そ、そんな事考えていたら食べられなくなりそうだ…」

「ふふっそうだね、すぐにでもシンさん食べたくなっちゃうもんなぁ」

「…キヨ」

「ちゃんと後でにするから大丈夫」

「…後で食われるのか…」


 バツイチの自分が同性にあんなにグズグズにされる日が来るなど、結婚生活の間には考えたこともなかったな。そう考えている間ににも茶碗を空にしておかわりを貰うかどうかおかずの具合を見る。


「おかわりするなら入れてくるけれど?」

「いや、自分でやる」

「遠慮しなくていいよ、僕もよそってくるついでだよ」

「…お願いする」

「半分くらいでいいかな?」

「ああ」


 清彦が立ち上がると2人分の茶碗をキッチンカウンターの上に置いてキッチンの方に向かっていく。


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