その心の中は


 幼い頃から、“普通”の男の服が着られなかった。


 無理やりにでも身に纏うと、全身鋭い寒気に包まれ、立っていられないほどの頭痛と高熱が襲ってくる。


 理由は明白だ。


 私は呪われているから。


 王家の権威を妬んだ魔女による呪いと、父王からは教わった。




 私の人生はこの呪いとともにあった。


 王太子として与えられる衣装のすべて。


 私の身体はそれらを拒否する。




 王子として、王太子として、貴族として、王家の人間として………。




 ――ふさわしい格好をなさいませ。




 周りはあれやこれやと私に役割を演じるように求めてきたが、私は彼らの、特に父の期待する姿にはなれなかった。




 幼い私が袖を通せるのは、ふわふわ、もこもこの着ぐるみだけ。


 それだけが私にとって安全、安心の象徴。私を傷つけない、唯一の世界だった。




 そんな私が、ふわふわともこもこ以外の世界に憧れたことがある。




 姉上のドレスだ。




 なるべく人目を忍び、王宮の奥に半ば幽閉されるように育った私を、年の離れた姉上はよく見舞ってくれた。


 私の手をとり、自分の茶会に招待してくれたこともあった。


 そこに参加している貴婦人たちは皆、姉上の友人で、ふわふわもこもこの着ぐるみの私を「可愛い」と言っても、王子として恥ずかしいだなどと嘲るようなことはなかった。姉上たちは皆、温かく私を歓迎してくれた。


 彼女たちに囲まれる私は、目の前に広がる色とりどりのドレスに、絢爛なアクセサリーに、美しい茶器やお菓子の与える彩りにいつもほうけていた。




 なんて美しいんだろう。


 なんて、可愛いのだろう。




 それはきらきらで、ぴかぴかだった。




 ふわふわ、もこもこ以外で、初めて心を惹かれた世界だった。




 でも、私は自分がそれを手にすることは想像しなかった。


 できなかったのだ。




 だって、私は男だから。




 だが、視線には気づいていたのだろう。


 ある日、姉上は私をご自分の衣装部屋へ連れていった。


 扉を開けた途端、ぶわりと広がるドレスの海。


 きらきら、ぴかぴかだけでできた世界だった。




 ――着てみたい?




 姉上は私にそう訊ねた。


 私は周りの景色に圧倒されながら、とっさに、いいえ、と答えていた。


 私にドレスは着こなせない。


 そもそも、着てはいけないのだ。




 私にも、王太子としての意識がわずかながら残されていたのだろう。


 もしくは、これ以上周りの期待を裏切るわけにはいかないという自罰的な思いもあったのかもしれない。




 どちらにせよ、私は姉上のお言葉を拒んでしまった。


 それに姉上は少しだけ悲しそうに目を伏せてから、背をかがめ、私と向き合った。




「いい、サイラス。今から言うことをよく覚えておいて。


あなたには、いつでもチャンスがある。この先十何年経っても、あなたは生まれ変わることができるの。


それは何歳になっても変わらないわ。あなたが気が付いたときがそのときよ」




 私と同じサファイアブルーの瞳を祈るように閉じて、姉上は言う。




「あなたは、そのとき本当に自由になれるのよ」






 その後まもなく、姉上は外国の王家に嫁ぐために海を渡ったが、事故で船は難破し、帰らぬ人となった。


 姉上の言葉はすべて私の胸の裡に刻まれていたが、私にはずっとその意味がわかっていなかった。




 だが、姉上は私を愛してくれていたこと。


 姉上は私の身の上を何よりも案じてくれていたことだけは、確かに伝わる。




 十三で死に際の父に廃嫡され、騎士の道に身をささげてからは、軍服にも袖を通せることがわかり、ふわふわもこもこは休日だけの姿となった。


 きらきら、ぴかぴかしたものは姉上がいなくなってから私のそばにはなくなった。


 それを、寂しいと思うことは、きっと姉上への慕情と一緒なのだろう。




 だが、ある日から、私の目の前にきらきら、ぴかぴかが現れた。


 異世界からやってきた聖女だ。


 この世界の衣装に身を包んだ彼女は、とてもきれいだった。


 姉上と同じきらきら、ぴかぴかをその身に纏って、その表情や仕草は自然の太陽のようにいきいきと輝いていた。




 私の心に明るいものが射した。


 


 もっと、見つめたい。


 もっと、一緒にいたい。




 もっと……近くに、きみを感じたい。




 アイカ。






「女装がしてみたい」






 自然と口をついて出たその一言に、私自身が誰よりも驚いただろう。


 姉上の衣装部屋でははっきりとそれを拒んだ私が、大人になって、ワインでほろ酔いの状態で告白してしまった。


 その場にいた誰も、笑わなかった。


 それどころかアイカは私の手をとり、導いてくれた。


 私に純白のドレスを着せて、化粧を施して、“女装”を完成させた。




 初めて鏡を覗いたとき、私の胸は高鳴った。


 きらきら、ぴかぴかがある。


 私自身がだ。




 ――そのとき、ありし日の姉上と友人たちが今の私に向かって微笑んでいるような気がした。




 私は、彼女たちの仲間になれただろうか。




 私は大切なものと再会したような心地に包まれ、満たされた。




 ありがとう。




 ……本当に、ありがとう。




 


 アイカ。




 きみは特別だ。




 本物の魔法使いだ。




 何度感謝してもし足りない。






 だが、アイカは私の想像を易々と飛び越えるのが得意だ。


 女装した私に向かって、彼女はこう言った。






「全力で私はあなたを推します、サイラス様!!」






 熱っぽいまなざしは、真剣そのもの。


 私を見つめる視線の強さに、私はどこか恍惚となったまま、うなずいた。




「………よろしく頼む」




 アイカの熱いまなざしを前にしては、そう言うほかなかった。


 そのとき生まれた彼女の嬉しそうな笑顔。


 私はその笑みに自分が心から蕩かされるのがわかった。




 アイカ。


 きみは本当に不思議だ。




 ……ところで、推すってどういうことなんだろう?




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