おもしれー女と口悪男子


 「特にすることはない」と言われた聖女業だったが、神官長のレーテさんの計らいで私は日中、王宮の聖堂でお祈りの時間に参加したり、この世界の宗教について勉強したりする機会を得ていた。

 そして今日は、レーテさんの執務室で一緒にお茶。

 まったりおしゃべりしているだけでなんとなく時間が過ぎていくから、会社勤めで遅くまで残業漬けだった毎日と比べると安楽なものだ。心が生き返るようなそんな気分がする。

 クジで一億を当てて辞めた会社は、そんなにいい思い出がない。環境はブラック気味だったし、人間関係でも苦戦していた。この一億で人生を変えると決めてスパッと辞めてしまったけれど、本当は不安でいっぱいだったな。

 一億円なんて大金、持ってるだけで不安になってくるしね。

 クジ当選から会社を辞めるまでの一か月間、私は一億を当てたことを誰にも告げていない。

 普通なら家族には打ち明けるのかもしれないけど、私はそれに抵抗を感じていた。

 うちは父親が厳しい。進学先や就職先にも色々と口を出されたし、一億円を当てたなんて打ち明けたら使い方から管理まで一切を取り仕切られてもおかしくない。私は一番それを避けたかった。

 せっかく当てた一億なんだもん、誰の指図も受け付けたくない。

 一億円は私の人生なんだ。


 ……そう思ってたけどね。

 異世界、来ちゃったし……。

 

 私の憂鬱なため息を聞いて、お茶を飲んでいたレーテさんは「ん?」と眉を上げた。


「どうかされましたか、聖女様」


「いえ……向こうの世界の未練を思い出して、思わずちょっと」


 私が告げると、レーテさんは同情したように目を細めた。


「それはそれは……急にこちらにお越しになったのですから、当然というものでしょうね。なのに聖女様はこちらにおいでになってからさほど動揺もされず、冷静に努めていらっしゃった。なかなかできる振る舞いではありません」

「いや、はは……」


 褒められたけど、こういうのはマンガやアニメでさんざん予習していたからなんとなく落ち着いてられました、とは言えない。

 苦笑いを浮かべる私に、レーテさんは微笑み返すと、優雅にお茶を啜った。


「聖女様は、異世界にお付き合いしている方はいらっしゃいましたか?」


 唐突すぎる質問に、私は飲みかけのお茶でむせそうになる。

 彼氏いない歴=年齢の私にそんなこと聞きます!!??

 思わずそう叫びたかったけど、喉が苦しくてそれどころではなかった。


「い、いえ……そんな相手はいませんでしたけど、なぜ……?」


「いえ、歴代の聖女様の中にはこちらでお相手を見つけて嫁がれる方もいらしたので。

現王家のヒルデランツ家も過去に当主が聖女様と婚姻し、子を成した背景があるのですよ。

戻れない故郷を想うのは当然ですが、こちらに根を張り、新たな故郷を築かれる生き方もあるということです」


 結婚……?

 私がこの世界で?


 言われて思わずかがやく金髪の揺れる様を想像したけれど、私はそんなイメージを頭を振って否定する。


「そそ、そ、そんな私が結婚だなんてっ、相手もいないのに……!」


「縁は運ばれるものですよ。それこそ王宮でしたら出会いはたくさんあるでしょう」


 出会いはたくさんある、と言われても。

 『暴走聖女』として悪名が立って、レーテさんやサイラス様以外の王宮じゅうの人に警戒されている現状、そんなことはひとつも望めなさそうだ。

 私がしゅんとしていると、レーテさんはおおらかな声で笑って、お茶菓子を勧めてきた。


「私は何かひとつでも聖女様の心の支えがこの世界でも生まれればと願っております。そして、この世界に故郷以上の愛着を持っていただければ……というのは私のわがままですね。それぐらい、私は聖女様にこの世界を好きになっていただきたいのですよ。少しずつでいいのです、この世界で日々を送りながら、大切なものを見つけてくださいね」


 黙々とクッキーを食べつつ私は考えた。

 それって、この世界を好きになる分、元の世界を忘れろってことじゃないのか、と。

 だけど、この世界の人の言い分はそうだよね。元の世界を恋しがってる聖女より、この世界に順応してくれた方が安心するに決まってる。


 私はぐるぐると考えながらお茶の時間を過ごした。

 帰り際、王宮の庭を通ると、どこからかヒソヒソと声がする。

 外に出ると、いつもこうだ。いつも遠くから視線があって、私を怖い見世物みたいにじろじろと観察していく。

 せっかく来たのに、王宮の中庭をのんびり散歩して帰ろうって気分でもなくなる。

 早足で通り抜けようとしたけれど、急に角から飛び出してきた小さい影に気をとられて、私は足を止めた。


「ふみゃぁーーーごッッ!!?」

 

 飛び出してきた影はピエール男爵で、彼は私を見るなり高い雄たけびをあげて逃げ出していく。

 会うのは巨大化して以来だから、私とあの日の出来事を結びつけて怖がっているに違いない。

 ああ……ネコちゃん……と私が寂しがっていると、クスクスと笑い声がどこからともなく聞こえる。


「猫にまで怯えられて……」


「聖女の面目丸つぶれだな」


 続く心ない言葉たちに、私はかぁっと赤面し、その場で耳を塞ぎ走り出して逃げたい衝動に駆られる。

 全部、見られてるんだ。

 私を恐れて近づかない人たちの一部には、私をちょっとスリルのある見世物ぐらいに思っている人たちもいて、そういう人たちが今みたいに私を嘲笑していく。

 こういうのって、逃げ場、ないのかな。

 これじゃ、元の職場と一緒だよ。


「すげぇ声だったな、ありゃ男爵か」


 ふと近くから男の人の声がして、私は視線を上げた。

 いつの間にか騎士服を着た長身の男性が目の前にいて、その人と目が合う。

 狼みたいな金色の瞳がきらりとかがやく。

 それと黒い髪をしっぽのように一つ結びにしているからか、野性的で奔放な印象を受ける。


「ん、あんたは……」


「彼女は聖女だ」


 聞きなれた声がして私ははっとなる。

 金眼黒髪の彼の後からサイラス様がついてきたからだ。


「サイラス様!」


「アイカ、元気にしていたか」


 サイラス様を見つけて、私の心は喜びでいっぱい。

 私が犬だったらしっぽを振ってるところだろうな。

 私とサイラス様のやりとりを、黒い髪の彼は不思議そうに眺めている。


「んー、なるほど。これが“噂”の聖女か」


 その口ぶりに少し緊張を覚える。

 私の“噂”なんて、大概ろくでもないに決まっているから。

 興味を惹かれたように私を見る金目に、私は少しむっとして視線を返した。


 「初対面で『これ』はないんじゃない。私は物じゃないんだから」


  私が少しきつめの口調で返すと、男はそれが意外な反応だったかのように目を開いた。


「あー、悪い。そうだな。アンタが聖女って聞いて納得だ。今の言い方、委員長キャラそのものだ」


 素直に謝ったかと思えば、急に委員長呼ばわりで、私はそれがどんな意味を持つのか考えた。

 あっけに取られる私を見て、くっくっと男が笑う。

 

「見たとこかなりおせっかいな性格してそうだな、アンタ」


「――なっ、何よそれっ!?」


 おもむろに悪口を言われて、私はとっさに怒りに呑まれて言い返した。

 私が怒ると、彼はブッと吹き出して笑うし、もう、失礼な奴。


「レオ、聖女様相手にいつもの調子を出しすぎるな、誤解されても知らんぞ」

 

 そんなやりとりの間に、サイラス様が割って入る。

 サイラス様の肩越しにレオと呼ばれた男を睨む私。

 それがさらにツボに入ったみたいに彼は腹を抱えて笑い出した。


「くっくく……はははは! 聖女様というか、ただのガキだなこれは」


「ちょっと、妙齢の乙女つかまえてただのガキ呼ばわりってどういうことよ!?」


「乙女!? 自分で言うかねフツー!」


 ああもう、こいつは何を言っても通じない!


 もう一切口を利かないつもりでそっぽを向くと、その有様にサイラス様が少しため息をついた。


「……アイカ、これは翡翠騎士団の副団長で、私の右腕だ。名はレオンハルト=グースター。グースター公爵家の三男でもある」


「自由でお気楽、怖いもの知らずの三男坊様だ」


「……それでそんな口の利き方なのね、納得したわ」


 自己紹介されて、口笛でも吹きそうな彼に私は嘆息する。

 こんな奴がサイラス様の片腕だなんて、大丈夫なのかしら。

 上品なサイラス様のイメージとはだいぶかけ離れた、自由人のイメージだけど……。

 ただこれ、白皙の美貌のサイラス様と、背が高くて野性的なイメージのレオンハルトが並ぶと、無性ーーーに絵になる! 悔しいけれど!!

 

「サイラス、どうする?」


「どうするとはどういうことだ」


 レオンハルトはサイラス様に目配せし、何かを訊ねた。


「今から俺たちがやろうとしてる高貴な計画に、聖女様を巻き込む覚悟はあるかってことだよ」


「……巻き込む一択なのか」


「だって、その方がおもしれーじゃん」


 ぴゅるりと口笛を吹いて答える彼。

 その態度にサイラス様はなんだか頭が重そうだ。


「あまり褒められたことではないが、彼女がよしとするなら……いやしかし……」


「グチグチ言ってんな。おら、行くぞ」


「わっぷ! ちょっといきなり何よ!!」


 レオンハルトはいきなり私の頭をがっしりと掴んで歩き出した。

 物みたいに扱われて抵抗するけれど、力強い腕は振り払えず、強引にされるがままだった。

 呆れて何かを言いながらついてくるサイラス様。

 その光景を見た誰かが、聞こえるような音量で何か言う。


「『暴走聖女』と『呪いの忌み子』か……」


「いったいどんな接点で……」


「爪はじき同士、お似合いだな」


 聞こえた明け透けな悪口に、私はカッとなった。

 その調子で言い返しそうになると、誰にも聞こえるような大きさで誰かが舌打ちをした。


「うるせぇハエどもがなんか言ってんなぁ? 手出しする勇気もない輩にとやかく言われたくないぜ。ほら、さっさと行くぞ」


「わっ、ちょっと……!」


 臆病者どもにかかずらっている暇はない、とでも言わんばかり、レオンハルトはきっぱりと周りに宣告してから、私を引きずっていく。

 私はその言い方に、少しだけ胸がすうっと軽くなった。

 言いにくいことを言ってくれたからって、こいつはヤな奴に変わりはないけど!!


「ちょっとどこに連れていく気よ!? いい加減怒るわよ!」

「さっきからアンタずっと怒ってんじゃねーか、くくっ、おもしれー女」

「誰が面白いって言うのよー!!」


 ほんと、異世界きてしばらく経つけど、こいつが一番ヤなやつ!


 ギャーギャー喚いて抵抗しても、不逞の輩に引きずられて、私はどこかへと連れ去られてしまう。

 でも、その姿を見た誰かが何かを言っても、私は前ほどには気にならなくなっていた。

 ……間違っても、こいつのおかげだなんて言わないけど!!

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