第15話 奴隷商の息子と元英雄

 数日後。


 とある人がうちの商会にやってきた。


「アベル様! 急いでください!」


「う、うん!」


 エリンちゃんに催促されて訪れたお父さんの執務室に入ると、そこには先日会ったガイア神官と、もう一人の礼服を着こんでいる女性がソファに座っていた。


 彼女は、とても慈悲深い笑みを浮かべていて、齢60歳は超えてそうだが、それでも美しさを醸し出しているおばあちゃんだ。


「お待たせしました! アベルです!」


「うふふ。初めまして。アベル様」


「様は要りませんよ!」


「ふふっ。これは口癖のようなモノですから。私はアテナと申します。今はセイクリッドの苗字を名乗っております」


 セイクリッドという苗字。


 この苗字は世界にたった一人のためだけの苗字である。


 基本的に苗字というのは貴族位の者しか持てないのだが、貴族以外にも特殊な立場を継いでいる人に苗字が与えられる場合がある。


 その中でも、最も有名な苗字は間違いなく『セイクリッド』である。


 セイクリッドという苗字が与えられる存在――――それは他でもない教皇様たった一人だ。


 彼女はアテナ・セイクリッド。


 教会史上初の女性教皇様であり、その類まれな聖なる力を持って、多くの人々を救った英雄の一人だ。


 若い頃は聖職者ながら冒険者として活躍して、魔物に困っていた多くの人々を救っていたと聞く。


 多くを救った彼女は、『聖女』という才能が空席となっていた事もあり、世界では彼女を『聖女』と呼ぶ人も多かった。


 そんな彼女が教会の教皇に推薦されるのは、まさに時間の問題であって、彼女が少し年齢を重ねた後、実績から枢機卿に着任し、当時の教皇様からの絶大な信頼と、世界の人々からの絶大な信頼と人気から、史上初の女性教皇様となったのだ。


「とても光栄です! アテナ様の武勇伝、凄く好きです!」


 そう!


 実は僕はアテナ様の大ファンだったりする。


 というのも、僕よりもお母さんが大好きで、幼いころに童話ではなく、彼女の冒険譚を多く読み聞かせてくれたのだ。


 その中身はまさに異世界らしいファンタジーな世界で、まだ冒険に出かけられない僕にとって、全ての世界でもあった。


 それから『無能』を開花した時に、多くの友人からは「あんなに勇者になると豪語していたアベルが無能だとよ!」と馬鹿にされたのだ。


 …………正直に言えば、転生者として勇者様になれると信じたのはここだけの秘密だ。


「ふふっ。飛ぶ鳥を落とす勢いのあるシュルト奴隷商会の次期店主様に、そう言われるととても嬉しいです」


「ほわあああ!」


 アテナ様が右手を前に出してくれて、両手で握手に応じた。


 彼女の手からは、今までの努力をモノ語ってるかのように深い愛情を感じられた。


 ――――でも、その中には、深い悲しみもまた感じられたのだ。


「なるほど。アベル様のはそういう所だったのですね」


「えっ? 僕の力ですか?」


「ふふっ。これはただの老婆の独り言です。それよりも商談と致しましょう」


 商談という言葉に我に返った。


 そうだ…………アテナ様がうちに来たのは、ただの挨拶のためではないはずだ。


 先日教会を訪れた商談の続きなのだろう。


 アテナ様の向かいに僕とお父さんが座り、隣にガイア神官とエリンちゃんが立つ形となった。


 アテナ様は隣のエリンちゃんに小さく会釈して、僕達をまっすぐ見つめた。


「まず、単刀直入に話しますと、奴隷に対する王国法を奴隷商会に預けられていても適用させる事が決まりました」


「っ!? ほ、本当ですか!」


「はい。それにはアベル様の提案もあるのですが、実はエリン様の件が一番大きかったのです」


 それはギスルから情報を得ている。


 実はエリンちゃんが奴隷のまま、才能開花を受けて『聖女』を開花したのは、王国だけでなく世界に広まった。


 これにも理由はある。


 何故なら奴隷に才能開花を受けさせる人が今までいなかったからだ。


 その常識を超えたのがシュルト奴隷商会であり、その名は王国だけでなく、世界に広まっていると聞く。


「エリン様が奴隷のまま開花し、長年空席だった『聖女様』が誕生した……それはとても大きな事件なのです。いえ、人々の怠惰・・を現します」


「怠惰…………重い言葉です」


「はい。人々を守る存在である『勇者』や『聖女』がまさか…………奴隷から生まれるとは誰も思いませんでした。ただ、それには理由があると私は感じております」


「えっ?」


「それについてはまたいずれ話せる時が来たら話しましょう」


 きっと深い理由があるのだろう。


「それはそうと、エリン様が聖女として開花してくださって、王国は大きな問題に直面しました。奴隷達の中から『最上級才能』を持つ者が生まれる。ですが今のままでは、そんな大事な人材が生まれにくくなるのはいかがなものかという事です」


「その通りです。だって、奴隷達は生きている人なのですから」


「ふふっ。アベル様のような方が生まれて来てくださって、本当によかった…………」


 少しだけ悲しい気配を感じるのは、彼女の過去に何かがあったからなのだろう。


 今の時代……つまり奴隷達が今のようになっていれば、その過去が変わっていたかも知れないのだろうね。


「それで王様と色々協議を繰り返して、奴隷法と制定する事にしました」


「……奴隷法!」


「はい。それも全てアベル様とエリン様のおかげです。近々発表があると思いますので、もう少しだけ待っていてください」


「はい! 今日はわざわざそれを知らせに来てくださりありがとうございます!」


「いえ、私もアベル様に一目会っておきたかったのです。それにこれからも仲良くしてくださると嬉しいです。もちろんエリン様も」


「はいっ! 僕はアテナ様の大ファンですから! 困った事があれば何でも言ってください!」


「だいふぁん……? それが何かは分かりませんが、嫌な感じはしませんね。もし困った事があれば相談させて頂きますね?」


「はい!」


 喜ぶ僕を、なぜかエリンちゃんは膨らんだ表情で見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る