第2話

 食堂でしばらく3人で談笑した後、僕らはそれぞれの用事のために席を立った。

北川はアルバイトへ。三浦さんはサークルへ。そして僕は自宅へ。

こうしてみると、それぞれの人生の充実度というものが如実に表れているように思えるのは気のせいだろうか。


 三浦さんは食堂からほど近い第3講義棟へ向かった。なんでも、今日は彼女の所属するテニスサークルが今週末に控える大会のミーティングを行うらしかった。

世の中の大学に「テニスをしないテニスサークル」が存在しているという事は知っていたが、まさか「テニスをするテニスサークル」が実在しているとは驚きだった。そんなようなことを北川が冗談交じりに三浦さんに言うと、

「それは全国のテニスサークルの皆に失礼だよ」

と真顔で返したかと思えば、「さあ、謝りたまえ。主に私に。さあ!」と、元気いっぱいに勝ち誇った顔で見下ろしていた。

……三浦さん、生き生きしてるな。

言われるがままにすごすごと頭を下げる北川を横目に見つつ、僕は、本当に謝るべきなのはどちらかというと「テニスをしないテニスサークル」そのものではないか、と思った。


 そんなこんなで三浦さんを見送り、北川とも最寄りの駅で別れた。

僕はそのまま、大学からほど近い自宅へ歩みを進める。僕の住むアパートは駅前の小さな商店街を抜け、川を一本渡り、住宅街をしばらく進んだところにある。

そうして商店街を歩いていると、僕は「ああ、またか」と、独り言ちた。

商店街の終盤に店を構える青果店の前には、道路を埋め尽くさんばかりの大量の段ボールが乱雑に置いてあった。見ると、箱の側面には「林檎」だの「蜜柑」だの書かれていたから、これらは目の前の青果店のもので違いないのだ。

この現状は何らかの条例に反するはずだ、と僕は思っていたので、然るべき機関によっぽど通報してやろうかと思っていたが、なにぶんここの店主は青果店の店主とは到底思えないような恰幅の良い体格をしていたため、反対に僕が片付けられてしまうと悟ってからは、せいぜい迷惑そうに通り過ぎるよりほかになかった。


 因縁の青果店を抜けると、目下に細い川が流れ出し、一本の橋が架かる。

長さはせいぜい10mあるかないか程度の小さな橋だが、その大きさに見合わない立派な装飾が施されている。しっかりとしたつくりの欄干があり、所々ランプを模した電燈が立っている、この街にはそぐわない西洋風の橋だ。

僕は、この橋から、「周りを気にせず我が道を進み続ける堂々とした態度」を感じ取り、勝手にこの街のベストスポットに認定している。

僕は、名前のないこの橋の中腹でよく考え事をする。

今晩の夕飯の献立とか、未だに手を付けていないレポートについてとか。あと、気になるあの人の事とか。そんな、とりとめもない事だ。

今日も少し使わせてもらおうと、橋に足をかけると、既に先客がいた。


猫だ。


欄干の上に器用に座り、ジッと下の川面を見つめている。

よく見ると、首元に赤い首輪が付いているのがわかった。

飼い猫だろうか?そんなことを思いながら、猫に近づく僕。

すると、猫繋がりだからか、ふと今朝の北川との会話が思い起こされた。

 『猫って高いところから落ちても平気らしいよ』

まあ、下は水だからせいぜい落ちないように気を付けるんだな。と、心の中で猫に語りかける。丁度そのタイミングで、まさか僕の心を読んだ訳ではあるまいが、猫がこちらを振り返り、目が合った。

その目は、暗く、濁り、言ってしまえばこの世の全てに絶望している、ように見えた気がした。

同時に、何かとてつもなく冷たく悪い予感がした。



瞬間、猫が落ちた。


まるで、人間がこの世に絶望して、全てを放棄し、恨み傷つきながら、自らの人生を絶つように……。



音もなく猫は下の川へ落ちた。いや、音はあったかもしれない。

それがわからないほどに、僕は目の前で起きた事に呆然としていた。

すぐに我に返り、欄干へ駆け寄る。下をのぞき込むとそこには、穏やかに、しかしどこまでも黒々とうねる川面が広がるばかりだった。



夕方を告げるチャイムが、その日はやけに無機質に感じた。


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