第32話☆

思った以上に、それを語る機会は早々に訪れた。

外階段が猛スピードで軋む音が聞こえたかと思ったら、玄関のドアが荒々しく開いた。


「い、今、口枷しながら走ってる、中村係長によく似た男がいた!」


洲崎は、その衝撃が丸分かりの形相で開口一番に言った。


「あぁ、それ本人」


床を拭きながら答えた。

真澄がしている見慣れない行動に、洲崎は青白くなっている。


「本人って!?お前、床なんか拭いてどうした?もしかして、係長がこの家にきたのか?大丈夫だったのか?な、なんだこれ…」


取り乱している最中、まとめて置いてある如何わしい物たちの一角を見つけて、ますます青白くなった。

実際にアワアワと発声しているかと思うくらい、口がアワアワと動いている。


「落ち着け。襲われかけたけど、大丈夫だ」

「襲われた!?」


洲崎は尋常じゃないスピードで駆け寄ってきた。

両肩を掴まれる。


「本当に大丈夫だったのか?」


真っ直ぐに見つめる目には、瞳孔に「心配」の二文字が刻んでありそうなくらい気持ちが現れていた。


「大丈夫。むしろ、中村を心配した方がいいかもな」


そう言って笑う真澄を、洲崎は大きな体で包んだ。


(体が大きいと、心臓の音も大きいのか…?)


厚い胸の筋肉を通り抜けて、その音は真澄の鼓膜を振動させている。

それはこちらの鼓動までつられそうになるほど速かった。

不思議なことに、ずっとこのままでいたいと思うほど安心できた。



しばらくして抱擁が解けると、真澄はこの部屋で起きたことを説明した。


話す間の洲崎の反応は面白かった。

スタンガンを見ては青ざめ、他の道具に関しては忌々しい目で見ていた。

馬乗りにされた状況を話した時には、なんてこった…と海外ドラマでしか見たことのない反応をしていた。

普段、それほど表情豊かな方ではない洲崎の新たな一面が、心配してくれているのに失礼だとはわかっているが、おかしくて我慢できなかった。


「お前な、笑いごとじゃないぞ」


洲崎がため息をつきながら怒る。


「だって、お前が面白いのが悪い」


それから、あまり記憶には残っていなかったが、どうにかして撃退したことを話す。

話すうちに、証拠写真を撮ったことを思い出した。

スマホに残っていたそれは、撮影者の腕が良かったのか生々しさが良く映し出されていた。


「この怯え様…お前、何言ったんだ?」


この日何回目かの青ざめ顔で洲崎はたずねた。


「あんまり覚えてないけど、さわやかな言葉ではなかった気がする」

「だろうな」


はぁ、と洲崎が再び大きく息を吐いた。


「無事でよかった」


その短い一言に、洲崎の気持ちのすべてが込められているようだった。

真澄は只々うれしかった。

自分のためにこれほど感情を忙しくさせている人間を知らない。

洲崎を見ると、みぞおちの奥が柔らかいような温かいような感覚になるのはなぜなのか。


(ああ、そうか)


ひらめく、というより腑に落ちたという方が正しいかもしれない。

今までずっと探していた、他人にはあって自分にはないものが見つかったような気がした。




話し終えた後、洲崎は部屋を除菌すると言い出した。


「あのクソ野郎がこの部屋にいたかと思うと耐えられない。痕跡を抹消するからお前は風呂に入れ」


口の悪さは伝染するようだ。

潔癖症の気がある洲崎は、真澄の掃除だけでは気が済まないらしい。

プロに任せた方が良い、と判断した真澄は素直に風呂に入ることにした。

真澄自身も、クソ野郎が触れた体を念入りに洗いたい気分だった。


いつもより長めの入浴を終えると、洲崎は汗をかきながら除菌スプレーを噴射していた。

如何わしい物達は処分される定めのようで、変わり果てた姿で袋にまとめられている。


「出来ることは全てやった。これで安心だ」


確かに、部屋がきれいに浄化されたような気がする。

それは掃除のおかげもあるが、洲崎という存在の力が大きいような気がする。

もちろんそれは口にはしなかった。


洲崎も、汗を流してくるといって浴室に消えた。

疲労感を残していた風呂上りの体は、すぐにでも横になりたいとベッドを所望している。

仰向けになり、しばらく何も考えずに放心していると、右手に痛みを感じた。

裏拳をくらわした時の名残だ。

手の甲に少しの腫れと赤みがある。

中村が馬乗りになった時の記憶が蘇った。

怖かった。

反撃できていなかったらと考えると、せっかく風呂で温まった体が冷えてしまいそうだった。


風呂場のドアが開く音がした。

洲崎が出てくる。

そう思った瞬間、安堵感が体中に染み渡った。

徐々に近づく聞き慣れた足音、嗅ぎ慣れたボディーソープの香り。

もう怖くない、と思えた。


「手、怪我したのか?」


見ていただけだったが、洲崎はすぐにその様子に違和感を感じたらしい。

ベッドに腰かけて右手を手繰り寄せる。

温かい手でやさしく包みながら患部を見ている。


「殴ったときのやつだと思う」


出来る限り心配させない様な声色で言ったつもりだ。

悲しそうな目をしていた。そんな目をしてくれるだけで、治りそうな気がする。


「冷やさないと。氷持ってくる」


洲崎はキッチンへ行こうと、手を離した。

名残惜しかった。

急に手から温かさが無くなると、もう二度とその温かさが手に入らないような不安に駆られる。


体は勝手に、目の前の洲崎の背中を抱きしめていた。


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