第16話☆

「ただいま」

「おう」


洲崎が帰ってきた。

帰ってきたと言っても、真澄の家だ。

いつのまにか、うちにやって来る時「ただいま」と言うようになったが、ツッコむ機会を失って今ではそれが日常になっている。


「今日は冷蔵庫にあったもんで済ませるけど良いか?」

「えー」

「しょうがないだろ、買い物する時間なかったんだよ。でもお前の好きな牛丼だぞ?」

「肉だくでよろしく」

「了解、汁だくな。むしろ汁だけな」

「雑炊じゃねぇか」


何気ない会話はできる。

が、やはり今日も洲崎は真澄を見ようとしない。


「なぁなぁ、鼻かゆいんだけどなんかついてない?」

「うっ…今、手が離せないから自分で鏡見てくれ」

「ちっ」


惜しかった。

一瞬、真澄を見たがすぐに目を逸らされた。


(いやいやいや。なんでそこまで頑ななんだよ?せっかくナチュラルに誘導してやったのに)


夕飯を食べ終えてからも洲崎の様子は変わらず、不自然なまでにこちらを見ようとしない。


(マジで何なの?こいつ。こっち見なさすぎだろ…っていうか何で俺ばっかりずっと洲崎のこと見てんだ?…なんか腹立ってきた)


真澄は気が長い性格ではない。

洲崎の態度にそろそろ我慢出来なくなっていた。


「おい、お前いつまで俺から目ぇ逸らすつもりだ?」

「な、何だよ、いきなり」

「どういうつもりだって聞いてんだよ」

「いや、ちょ、そんな急に言われても」


もごもご言う洲崎にイライラが募った真澄は、強行作戦に打ってでた。


「おい!いい加減こっち見ろ」


洲崎の顔を両手で挟み込んで、無理矢理目を合わせようとする。


「ちょっ、勘弁してくれ!」

「あ?何でこっち見ねえんだよ?見ろよ」


突然の行動に洲崎は動揺している。


「やめろ!まだ心の準備が出来てないんだよ」

「何だよ?心の準備って!わけわかんねぇこと言ってんなよ、おら!こっち見ろ」

「ぐぅ…や、やめろぅ」

「し、白目!?そんなに俺見るのが嫌なのかよ!」

「違う!そういうわけでは」

「じゃあ見ろや!」


洲崎の瞳に黒目が戻った。

観念したようだ。


「わかったよ…」

「なんだよ、もったいぶりやがって。わけわかんねぇことすんなよな……ん?」


久しぶりに洲崎と視線が合って、なぜか安心した。

しかし、それはほんの一瞬だった。

なぜか眼前の洲崎の顔がみるみる赤くなっていくのだ。


「え…お前、照れてんの?」

「照れてない」

「いや、照れてるじゃん、赤いじゃん!」

「照れてない。こっち見るな」


洲崎は真澄の手を力ずくで払った。

そして再び真澄から視線を逸らした。


「ははーん。分かったぞ」


真澄は洲崎の一連の行動から、一つの解を導き出した。


「お前、俺の顔が好きだな?」

「…は?」


洲崎は呆気に取られて言葉を失っている。


「まぁ、しょうがねぇよ。自分で言うのもなんだけど、顔だけはすこぶる出来が良いもんなぁ、俺。こないだも知らないおっさんに、顔を額縁に入れて飾りたいって言われたし」

「え?ちょっと待て、額縁って…」

「でも気に入ってるからって、照れるなよ。よそよそしくされるのも、なんか気持ち悪いし」

「それはごめん」

「だから慣れろよ」

「ん?」


真澄は再び洲崎の顔を両手で押さえる。


「ちょちょ、なんだよ」

「慣れる練習だよ!ほらまた白目になってるぞ」

「ぅぐ…」

「おし!やれば出来るじゃねぇか。このまま十分な」

「十分?無理無理無理」

「何が無理なんだよ。練習に付き合ってやってんだから感謝しろ。むしろ俺の顔を真正面から見られてお得だろうが」


先ほどまでではないが、洲崎の顔がまた赤くなっている。


(こいつも照れたりするんだな。なんでも出来て隙のないやつだと思ってたけど、意外だ…ってこいつ異常に家事好きの変態だった。全然意外じゃなかった。全然変なやつだったわ)


正面の洲崎は必死で真澄を見ている。

そして必然的に真澄も洲崎を見ることになる。


力強い目元に、筋が通った鼻梁。

輪郭のはっきりした唇。

誰が見ても明らかに整っている顔が自分の両手に挟まっている光景に、少しおかしくなる。


「なんだよ…何かおかしいか?」

「いや、お前モテそうなのに残念だな、と思って」

「残念て…」


そういえば、と真澄は洲崎に聞こうと思っていたことを思い出した。


「お前、付き合ってるやつとかいんの?」

「な、なんだよ、いきなり!」


急な質問に洲崎は取り乱した。


「そんなに動揺すんなよ。いるのか?いないのか?」

「い、いないですけど」


(なーんだ、やっぱりな。まあ、これだけうちに入り浸ってる男に恋人いるわけねーよな!)


自分の予想通りの回答に安心した。

これまで洲崎にここまでプライベートな事をきいたのは初めてだ。

洲崎は戸惑っている様子だが、勢いに任せて例のこともきいてみることにした。


「ならさ、うちの課の三木さんてどう思う?」


洲崎は黙った。

そして少し間をおいて口を開いた。


「どうって…?佐野、もしかして三木さんのこと好きなのか?」


いつになく洲崎は真剣な顔だった。


「いや、違う違う!俺じゃなくて。洲崎は三木さんみたいなタイプどうかな~って」

「…勧めてるの?」


心なしか洲崎の表情は曇っている。


「そういうわけじゃねぇけど…」

「俺、好きな人いるから」


これまで聞いたことがないほど、強い口調だった。


「そ、そうか。なら、今の話は忘れてくれ。はい、じゃあ、練習おしまい」


微妙な空気に気圧されて、早めに練習を切り上げる。

さっきまで頑なに視線を逸らしていた洲崎だったが、まるでそんなことなかったかのように、今は真澄を真っ直ぐ見ている。


代わりに、今度は真澄が動揺していた。

プライベートなことに踏み込んでしまったせいだろうか、洲崎は苛立っているようだ。

初めて見る素顔に、何とも言えない感情が心の奥を揺さぶっている。


そして、洲崎には好きな人がいるらしい。

急に自分と洲崎の間に、見えない壁が幾つも連なっているような気がした。


(なんなんだ、このもやもやした気分は…これだから嫌なんだよ、人と関わるのは。仲良くなったと思っても、結局壁があるんだよ)


それから洲崎は何事もなかったように、いつも通りに自宅へ帰っていった。

一人残った真澄もいつも通りに過ごそうと思ったが、いつまでも眠気は訪れなかった。

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