【短編】ワイヤレス

一 山大

ありがとう、ヨルシカ。

「ヨルシカの雨とカプチーノ、良くない?」

 妻が先の繋がっていないイヤホンを片方だけ突き出してきた。あー、なんて腑抜けた返事をしながら右耳にイヤホンを当てながら思う。

 学生の時から妻は音楽が好きで、よくこうして二人で音楽を聴いた。当時はワイヤレスイヤホンなんてハイテクなものはなかったから、当然有線のイヤホンで。

 同じ音楽を同じイヤホンで聴く。そうすると自然と距離は近くなって、まるで100BPMのドラムが彼女の鼓動のように感じられた。

 僕はその時間が好きだった。

 けれど、今は妻の鼓動なんて聞けやしない。

ワイヤレスだから身体を寄せて顔を近づける必要もないのだ。

 移ろう時代に哀愁が臭う。

僕も一歩ずつ老いているのだろうか。


 妻と結婚してはや五年。もはやドキドキなんて必要がないのかもしれないけれど、二人の思い出が無くなるようでどうにも納得ができないのだ。

「いい曲だね。心の奥で響くいい曲だと思う」

 当たり障りのない言葉しか吐けなかった。

未だに過去の遺物に想いを馳せて現在との狭間で揺蕩うなんて、妻には絶対に知られたくない。そんな男だと思われたくなかった。


「なんか懐かしいね」

「……なにが?」

「学校帰りによく公園でこうしてたじゃん。覚えてる?あれ、青春してる!って感じしていっぱいドキドキしたよね」


 ああ、そうだよ。

 凄くドキドキしたんだ。

 そうだね、君も覚えていたんだね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】ワイヤレス 一 山大 @sakaraka_santya1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ