神威1-2






 □





 ガブリエールは、なかば幸福に、半ば不幸に直面したような微妙な表情で、王太子エミールが北方山脈を越えてきた事実を受け入れた。

 受け入れざるを得なかった。

 今の彼女は、捕らわれの身。

 それを、婚約者たる王太子殿下が、自ら危険をかえりみず、救い出しに来てくれた。これを喜ばない者はいない。

 だが、ガブリエールは真実を言うならば──来てほしくなどなかった。

 すべての真実を知った今、彼にどんな顔をして会えばいいのか見当もつかない。


(いいえ。それも逃げでしかない)


 ガブリエールは決意したように前を向いた。

 ベッドの上で項垂れるままの自分に別れを告げ、彼女は自室の扉にある内鍵を開け、廊下へと出た。

 彼女は神に言われた通り、神が待つ“神の玉座”へと向かう。






 □






 薄暗い城に招かれたエミールとサージュは、衛兵や近衛どころか、従者や女中のひとりもいない閑散とした城内を、慎重にねり歩く。

 サージュが「探索の魔法」を発動させようとするが、うまくいかない。

 魔法を妨害する何かしらの力が、この城には満ちていた。


(ここに、ガブリエールはいるのか?)


 彼女の名を叫びだしたい衝動をぐっとこらえ、エミールはサージュを伴って敵城内を闊歩する。魔族の気配は、ない。

 無論、敵の奇襲や罠を警戒して、慎重の上に慎重を期する。

 はやる気持ちをなんとか抑え、宝剣『ヴァンピール』を構えながら、城の各部屋をしらみ潰しに探す。

 厨房。浴室。客間。小部屋。大広間──城の一階をひとめぐりするだけで、一時間もかかってしまう。


(招き入れられた以上、俺たちを襲うことはないのか?)


 否。これが敵の罠であるという可能性は捨てきれない。エミールたちは玄関ホールに戻り、二人別々に別れ捜索するか議論を交わす、直前だった。


「──王太子殿下」


 聞きなじんだ声の弱々しさに、驚きと焦りを混ぜ込んだ声で叫んだ。


「ガブリエール!?」


 反射的に振り向いた、瞬間だった。

 景色が一変していた。

 供をしていた少年執事の姿も消え失せた。

 そこは、あまりにも広大な、何百人が列席しても余りある広間であった。

 広間の奥に目をらすと、純白の存在が鎮座する玉座と、異形の魔族四人が見て取れる。

 ねじれた角を持つ火の悪魔。透明な翅を持つ風の妖精。水流の体を持つ人魚。そして、岩塊の巨兵──テールが人間大にまで縮小した姿。

 だというのに、エミールは宝剣『ヴァンピール』を握る手を緩めてしまう。


「……ガブリエール」


 そこに、銀髪の令嬢は立っていた。

 敵によって捕縛されている様子は見受けられない。

 夢にまで見た対面に、彼は心の底から感謝と安堵の声を紡ごうとして、


「来ないでください」


 ほかならぬガブリエールに拒絶される。

 だが、その程度のことで、歓喜の涙に浴する王太子は止められない。


「ガブリエール。俺と一緒に帰ろう!」

「できません」

「な、なぜ?」


 エミールは両腕を広げたまま問うた。

 ガブリエールは震える体を抱きしめながら、今すぐ駆けだしそうな己を自戒しているように見える。

 敵によって何らかの魔法でも埋め込まれたとでもいうのだろうか。


「ガブリエール、助けが遅れてしまったことならあやま

「そんなことは今はいいんです!」


 彼女の強い言葉に、エミールは突き飛ばされたように呆然となる。

 ガブリエールは大粒の涙を流し、そして、信じられないことを告げる。


「王太子殿下。どうかお帰り下さい」

「ばかな……何を言って」

「私は、あなたとの婚約を破棄します」


 絶望の冷気に氷漬けにされたようなエミール。


「いえ、そもそも貴方が私に、偽装とは言え、婚約を持ち掛けてきたこと自体、間違いだったのです」

「ガ、ガブリエール? い──いったい、何があった?」

「私はただ、事実を申し上げているだけです」


 言われていることがさっぱり理解できない王太子に対し、ガブリエールははっきりと断言する。


「あなたは、私を愛しているわけ、じゃない」

「違う。それは違うぞ、ガブリエール。私は」

「愛してなどいなかったんですっ!!」


 かたくなにエミールの愛を否定するガブリエール。

 敵によって洗脳でもされたのかと勘繰りいきどおるエミールであったが、ガブリエールの様子は真実を語っているように思えてならなかった。

 そして、銀髪の令嬢は、涙交じりに宣告する。


「あなたの真意は、私に対する気持ちは、すべて神薬によって、神によって植え込まれた感情だったのです」

「……なに?」


 エミールは聞かされた。絶望的な事実を。


「あなたの私に対する想いは、すべて、まやかし、だったのです」


 はじめてガブリエールと出会ったあの日が、すべて神の差配によって仕組まれたことであった事実を──







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