神威2ー1







 □





 山脈越えは、従軍経験豊富な王太子であっても過酷を極めた。破壊された二つの壁を越えるまで連れてきた馬たちは、山岳部のふもとで手綱を外し、「第一の壁」に帰らせた。

 魔法の外套がなければ凍死は免れないだろう極寒の吹雪に、酸欠を起こしそうな峻険な山々。氷の壁に登攀とうはん用の鶴嘴ピックを打ちこみ、わずかな足がかりを得ながら、北方山脈を確実に登りつめていく。常人であれば目がくらみ、滑落死もありえる高さをものともせず、王太子エミールは少年執事サージュのみを供につけ、ついに、頂上にまで至った。


「はぁ……はぁ──」


 時刻は昼すぎ。

 頂上は、白い広場のような空間になっていた。

 吸い込む空気が、やけに澄んでいるのを感じとる。

 大陸の端々までをも見渡せる位置に到達しながら、彼の心には感動はなかった。


「サージュ…………神魔国の位置は?」


 北方の稜線を見渡す王太子の供は地図を広げるが、敵の位置はようとして知れない。

 それもそのはず。奴等は「北方山脈より北から来た」という以上の情報はない。

 だが最北の地で見た北の光景は、国などどこにもない。集落のひとつさえ、見当たらなかった。


「探しますか?」

「ああ無論だ」


 エミールは即言する。


「……だが今夜はここで野営しよう。山を降りるのにも、相応の体力がいる」


 王太子はそう決断し、明日のための体力を確保するため、野営準備に取り掛かる。

 荷物を下ろして少しでも雪風をしのげる場所を見つける。そこへ簡素な天幕を張り、二人分の寝床(防寒魔法完備)を確保。サージュは暖を取るための魔法のたきぎに着火し、火をおこす。早めの夕餉を非常糧食で済ませて、少しでも長く横になる。太陽は見る見るうちに西の彼方へ没しようとしていた。

 そんな、ひたすらに寒い──魔法を使っても寒すぎる夜を、二人は過ごす。

 無言のまま、外の激風に耳を澄ませるのに飽いて、サージュが口を開く。


「殿下。本当に神魔国を見つけるまで」

「帰らない」


 永続的に燃えながら、まったく燃え尽きることのない魔法の薪が熾す火に体を温めながら、エミールは断言した。

 サージュは王太子を支えるべくここまで同道してきたが、国の将来を考えると、この旅は無謀であると説くしかなかった。


「殿下。我々は後、幾つの山と谷を越えねばならないか」

「わかっている──わかっているから、言わないでくれ」


 絶望的な心境を上塗りされ、語気が少しばかり荒々しくなる。だが、サージュの言説は至極もっともなことに変わりない。


「ここで死にたくないのなら、おまえだけでも国に帰れ。そして親父に報告を」

「できないことをおっしゃらないでいただきたい。いかにハーフエルフと言えども、一人で帰れる距離ではなくなりつつあります」


 エミールは笑った。

 ここまで来るのに二人で一ヶ月もかかった。単純に、帰りも同じ日数だと考えても一ヶ月はかかるだろう。


「爺。なにか話してくれないか」

「昔のように魔王でも出てくる寝物語でも?」

「それは聞き飽きたよ」


 笑い合う二人。


「──そういえば、聞いたことがあったかな?」

「なんです?」

「サージュは、どうしてハーフエルフなんだ?」


 薪のぜる音がした。

 エミールは目をみはるサージュの姿に、気を悪くしただろうかと謝罪しようとして、彼の手にせいされる。

 サージュは微笑みすら浮かべ答えた。


「私は、ご覧の通りのハーフエルフです。ハーフの特徴として、少年の時分に成長が止まり、けれど不老のまま、永劫に近い時を過ごす」


 それは聞いたことがある。

 故に、ハーフエルフは純粋な人間の世界で生きることに耐えられず、なれど、純粋な血に誇りを持つエルフ族からは穢れや汚物のごとく迫害される。


「父母をうしなった折に、私を拾ってくださったのが、エミール殿下の高祖父にあたる、三代前の王です」


 以来ずっと、サージュは宮仕えの身──少年執事として、ユーグ王国に仕え続けた。魔法を修め、知識に長じ、歴代の王──高祖父・曾祖父・祖父・現在の国王に、助言と助力を惜しまなかった。

 ゆえに、サージュはエミールたちにとっての“じい”となった。時に厳しく、時に優しく、時の王侯や王子たちを教育する立場に立ったのだ。

 エミールは身体を横たえて聞いた。


「その、喪ったというサージュの父母は?」


 まずい質問をしたかもしれなかった。はじめてサージュが言い淀む姿勢を見せた。


「……さぁ。なにしろ200年以上昔のこと。顔も名も覚えておりません」


 純粋なエルフだったら覚えていたかもしれませんがと自嘲じちょうするサージュ。


「ただ、優しい両親だったことは、覚えております。自分のような半端物を、……」

「どうした?」

「いいえ。もうお休みになった方がいい。明日に響きます」


 そう言われ「睡眠の魔法」をかけられる王太子。サージュはそのまま火の番を務める。

 抗いがたい睡魔に敗北し、エミールは瞼を下ろして、夢の中に──






 □





 もう何度目とも知れぬ光景を、エミールは夢の中で見る。

 王城の内庭──黄金の王樹の下に佇む、銀髪の令嬢。

 振り返るガブリエールが、手を振ってくれる姿が。

 ああ、ようやく、この時が来た。

 エミールは美しく成長した令嬢の手を取り、初めて会った時のようにダンスを踊る。

 王城の大広間──婚礼衣装を着た二人。

 エミールは、ガブリエールを力いっぱい抱きしめて愛を囁く。

 微笑む花嫁の額に、そっと接吻せっぷんを落とす。

 笑い合う花婿と花嫁。王都中の鐘が鳴り轟く音が聞こえ、王国万歳を叫ぶ民の声が天に響く──






 □






「殿下──殿下!」


 サージュのひそめた小声によって、幸せな夢の中から叩き起こされる王太子。

 エミールは剣を掴み、天幕の外に出て──


「な……」


 信じがたいものを見た。

 山の頂上の広場が一変していた。

 漆黒の吹雪の中に、神殿のごとき純白の列柱が並ぶ光景。

 そして、その奥にそびえたつ白亜の階段と城門──昨日は絶対にありえなかった人工物が、今、目の前に存在しているという現実。


「こ……これは、いったい」


 何だと問いかける前に、呼びかける何者かの声が脳に響く。


『さぁ、お入りなさい──我が『サンドリヨン城』に──勇敢なる王太子殿下』


 魔王とは思えないほど澄明ちょうめいかつ女性的な声音に先導され、エミールはサージュを振り向く。

 サージュは「危険です、殿下」と今更なことを口にするが、もはや後には引けないことも分かっている。

 二人は荷物をまとめると、意を決して柱の間を進み、きざはしをのぼって、城門を押し開く……







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