戦場2-2
□
エミールは馬に跨る。
北の大地に出現し、連合軍の弓も砲も届かぬ中間地点にて鎮座する、岩塊の巨兵。
「本当に行かれるのですか?」
「敵の大将が一人でご出陣あそばしたんだ。こちらも一人で行くのが筋ってもんだろう?」
軽快に告げる王太子エミール。
彼は前線総司令官として、二度も魔族どもの侵攻を阻んだ立役者だ。
そんな彼を奇襲暗殺することを危険視する声は多かったが、エミールとしては行くよりほかになかった。
むしろ行かないでいる選択肢こそ絶無であった。
(なにせ敵の大将クラスだ。ガブリエールの行方も聞き出せるかもしれない)
まさに千載一遇の好機といえよう。
このチャンスを不意にすることは、エミールにはできない相談だ。
「行ってくる」
手綱を振るい自分の馬を走らせるエミール。
王太子を奇襲、捕縛しようとする敵手はなく、彼は難なく巨岩の魔族を見上げる位置につける。
小山ほどもある岩塊が動き出した。まるで歓迎するように、両の腕を開く音だけで、地鳴りとも聞き違える凄まじい音圧となる。
巨岩が損しない口を開いた。
「──あらタメて名乗らセテいただク。我は、我ガ神サンドリヨン様に仕えル先手大将──名をテールと申ス」
「──六ヵ国連合軍、前線総司令官にして、ユーグ王国王太子──エミール・ガニアン・ド・シャルティエだ」
エミールは馬上から降りて、やはり敵の奇襲がないことに安堵しつつ、対話の糸口を探る。
「それで、一対一での話し合い、とは?」
「ウム。まずハ、我等が手中にアル貴国の令嬢──ガブリエール・ド・モルターニュにツいテ」
これは想定外の出来事だ。
まさしくエミールが一番に求める情報を、敵方から与えてくるなど、普段の王太子であれば罠などの可能性を真っ先に想起する。
「……彼女は今どうしている?」
そう低い声で聞くことだけが、エミールの限界であった。
巨岩は打てば鳴るようにまっすぐ答える。
「心配は無用。我ガ
「我が主?」
「神魔国の君主にシテ絶対神、我等魔族ヲ再興セし御方デアる。安心サレよ」
「安心──安心ね」
人質を取っているような状況で安心しろというのは、一種の拷問に近い。
ガブリエールは虜囚の身であり、敵の懐の中で絞め殺されることも容易な小鳥の地位にあるのだ。
不安は募る一方だが、テールと名乗る岩の巨人の話を信じる限り、最悪な処遇はまぬがれているとかんがえていい。
それも、今後のこちらの動き次第だろうが。
「そちらの望みは?」
「ノゾミとは?」
「ガブリエールをさらった以上、何らかの意図があってのことだろう?」
断定に近い声だ。
相手が魔族の大将でなければ怒鳴りつけていたかもしれない。
対するテールはしばし無言を貫いた。
「ふふ──フハはは、フハははハハ! 我等の望ミダと? それを聞イテ、王太子殿下はいかヨウにするトイうのカ?」
「……条件次第では、我等は共存できるかもしれない」
エミールはそう告げてみるが、
「無駄ナコと」
テールは取り合わなかった。
それどころか、最悪な主張を始める。
「我等ノ目的は、スベテの魔たる存在ノ解放……魔族……魔獣、人間ドモに虐ゲラれ、今も囚ワレテいるすべての同胞を解放スル。ソシテ」
「そして?」
「人ノ世界ヲ、終わらせる」
「ッ!」
エミールは身構えた。一国の王太子としてではなく、一人の人間として、危機本能がまさった。
だが、テールは微動だにせず、武器もとらない。エミールの反応を当然のものと受け止め、岩の顔を微笑ませる。
「安心せよ。我ガ主より
「任務は達成、だと?」
魔族の将帥が達成した任務内容とやらに、当然ながら釈然としないものを感じるエミール。
岩の巨人は雲すら貫かんばかりの大声で宣った。
「此度の戦にツイて、我は我が主ヨリ前線指揮官とシテの、全権を委ねラレてイル。その権限のモト、此度ノ「第一の壁」攻略戦は失敗ト考え、軍を預カル司令官とシて、当然の選択を取ッタまで」
「では。軍をひくと、と?」
礼には及ばんと言い募る岩塊の武人。
「何ヨリ。我が神ノ権能を発揮サレれば、人間の国々ナド──恐れルニ値しナイ」
極低温にまで冷え切ったテールの言動に、虚飾や偽装の色は皆無だった。
エミールは冷や汗が湧き出るのをかろうじて抑えつつ、背中を向ける岩塊を見送った。
六ヵ国連合軍は勝利した。
しかし、どす黒い予感を残した。苦い勝利に終わった。
□
六ヵ国連合軍による防衛戦は終結した。
「第一の壁」で祝宴が催され、戦勝式が盛大に開かれた……が、エミールの姿はそこにはなかった。
人々が国を越え人種を越え、前線総司令官を「英雄」ともてはやす中に身を置きたくなかったことが、ひとつ。
いまひとつは当然、敵の手中にあるままの婚約者・ガブリエールの身を案じてのこと。
「お待ちください、殿下!」
「いいや、待たない。親父にはすでに警告も送ったしな」
馬房にて、エミールは自分の馬の準備を始めていた。
白馬の背に鞍と荷物を積み込み、最低限の糧食を用意して、鎧と剣、そして魔法の防寒装備を準備する。
少年執事サージュが止めようとしても、エミールは聞く耳を持たなかった。
「ガブリエールは神魔国にいると知れた。ならば取り戻しに行く」
「殿下、無茶です。御一人で魔族の群れを突破されるおつもりか」
「そうだ」
「殿下!」
鞍に手を駆けるエミールの腕を、サージュは必死に止めた。
「手をどけろ、サージュ」
「いいえ、どけません」
「サージュ」
「せめて近衛連隊をお付けください! そうすれば」
「そうすれば敵にいともたやすく捕捉され、兵を無駄死にさせるだろうな。だが、一人ならば違う目もあるかもしれん」
「ですが」
「その辺にしておけ、サージュ」
二人が視線を向けた先には、リッシュ公爵の姿が。
「俺の従兄殿の頑固ぶりは、お前が一番よく分かってるだろう」
「ですが」
「エミール。本気で行くんだったら俺は止めない」
茶髪を輝かせるジョルジュ・ド・リッシュは、宝剣『ヴァンピール』を従兄の胸に突きつける。
「これはおまえが持っていけ」
「馬鹿な。これは王国の宝。つまり親父の、国王の私物だ。俺がもっていけるわけ」
「いいから。──持っていけ」
必要になると念押され、置いていくつもりでリッシュ公爵に預けた宝剣を、エミールは受け取るしかなかった。
王太子は
「また、罪が一つ増えるな」
「窃盗の罪か? それとも反逆?」
笑い合うエミールとジョルジュ。
「安心しろ。おまえの親父さんは、俺が説得してみる」
「頼んだ」
「はやく帰って来いよ? でないと、俺の首が危ない」
軽口を交わす二人を見るにつけ、サージュも観念したように、自分の馬を準備する。
今度はエミールが問い詰める番となった。
「何をしてる
「殿下が行くのであれば、供が一人は必要でしょう」
「いつから用意していた?」
「とっくの昔に、です」
さすがは、自分が産まれた頃からの付き合いだと讃嘆しそうになるエミール。
「それに。殿下一人では、火を
「失敬な。ガブリエールから、やり方は教わってる」
「一人の旅路は危険ですぞ。せめて二人でなければ」
着々と同行する準備を整えたサージュ。ジョルジュはからかうようにエミールを見た。
「断ってもついていくハラだぜ。どうする王太子?」
エミールは呆れたように肩を落とした。黒い毛皮のコートがずり落ちかけるのをサージュが魔法で結びなおす。
「では行ってくる」
「無事に帰ってこい──
物語の王子さながら、エミールは馬に乗る。
そのままサージュと連れ立って、ジョルジュの開けた扉から房を駆けだした。
壁の外は、漆黒の闇が支配する夜。
北上する二人の姿は、そのまま夜の果てに消えた。
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