戦場1-2
□
ガブリエールの捕らわれた城内。
悪魔騎士・フゥは、食事を運ぶワゴンの手を止め、城の一室に対し、丁重なノック音を響かせる。
「ガブリエール様、お食事を運んでまいりました」
騎士らしい歯切れ良い声が廊下に響く。
城の給仕に任せればよい業務内容であったが、少しでも異形のものと懇意になってもらいたいという“神”のはからいで、フゥに食事登板が回されたのだ。無論、フゥは神たる己の主の意向を完璧に理解し、その遂行に一切の邪念疑念をいだいていない。ワゴンに並ぶ料理の数々も、人間の国のそれを上回る最上級品の数々。神が人間にほどこすには十分以上の配慮が、かの令嬢には施されて久しい。
しかし、
「ガブリエール様?」
応答がない。
室内には隣接するバス・トイレがあり、返事をするくらいは容易なはず。
「もしや」と思い部屋の扉に手をかけた。内鍵はかかっていない。
悪魔騎士は容易に事態を理解する。
「……またお逃げになられたか」
さてどうしたものかと思案するフゥ。
窓ガラスが破られていない以上は、扉を使い城内のどこか──いや、城外へ出る手段を模索するはず。
「無駄なことをなさる」
フゥは、部屋のテーブルに料理を並べ、「保温」の術理を発動してから、悠々と己の神に状況を説明した。
□
一方。
「見張りは…………やっぱり、いない」
ガブリエールは脱走を敢行していた。泣いてばかりいることに飽きて……というよりも、自分の置かれた状況の異常性に、逆に慣れてきたことの証左であった。
銀髪の令嬢は何度目かの脱走中に思い返す。一度目は窓を破ろうとして結局かなわず、二度目は城の中で迷子になって、大人しく部屋に戻された。
「今度こそ脱出する」
少女はドレスの裾を持ち上げて、可能な限りの速度を出して駆け始めた。それは彼女なりの、戦場を疾駆する速度だった。
決意と共に蘇るのは、自分が出会った、城の住人達。
水の霊のごとき人魚。
神と呼ばれる存在。
そして、何よりも重要なのは、神によって語られた、エミール王太子殿下の、真意。
(やはり、私は婚約されるべき存在では、なかった)
すべては神たる存在の言う通りに思えた。かの者が神だという証拠はない。それでも、超常的な存在であり、何より、エミールとガブリエールの偽装婚約を、その裏側の真実を語って聞かせることができた事実。
じわりと涙が浮かびかけるのを、ガブリエールは手首でこすり
「つめたッ!」
ドアノブが火傷しそうな感覚をおぼえるほど凍えているのが分かった。手袋がなかったら、そのまま吸着し凍結していたかもわからない。
「……どうしよう。ここまで来たのに」
「お困りですか?」
あまりの驚きで声を発することも忘れるガブリエール。
振り返った先にいたのは、山羊の角を持つ悪魔の騎士が、一人。
「え、えと」
どう言い訳したものかと考えあぐねる前に、火の悪魔は悠然とした挙措でドアノブに手を置く。
「外をご覧になられますか?」
「……外に出してください」
「城の中庭でしたら、こちらではございません。ご案内しましょうか?」
「そういうことじゃありません。私を、家に帰してください!」
王太子殿下のもとへとは言わなかった。言うことができなかったという方が正確だろう。
火の悪魔は無言のまま、まるでドアマンのごとく自然と、凍結しきっていた扉を押し開いた。
途端、吹き込んでくる冷気。
悪魔の騎士の片腕がなければ、その寒風だけで氷のごとく凍てついていただろう
だが。
「え?」
言葉をうしなった。
外は存在しなかった。
より厳密には、広い玄関ポーチの向こう側は、漆黒の闇しかなかった。
悪魔の騎士に手を取られながら、玄関の外を……真下を覗き見るガブリエールは、絶句するほかになかった。
「嘘…………でしょ」
下には何もなかった。
深淵の巨大な漆黒と暴風に踊る白雪だけが、ガブリエールの視認できるすべてであった。
「どうして……ここは、いったい」
「この城は、我が神の所有する浮遊城──名を『サンドリヨン城』です。外界からは完全に遮断されていることを、どうかご理解ください」
ガブリエールはもう一度深淵を覗き込んだ。しかし、見えるものは
絶望とはこのことだと思い知らされた。
「さぁ。戻りましょう」
悪魔に言われるまま、ガブリエールは城内へ、用意されたガブリエールの客間へ、戻る他になかった。
銀髪の令嬢は脱出する術も見つけられぬまま、ただ、王太子の無事を祈念した。
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