神魔2-4






 □





 一時間前。

 ルリジオン教国との国境に位置する王国の北部都市は、平穏そのものであった。

 国境警備兵は、北部都市の歩哨をいつも通り巡回しつつ、噂話に花を咲かせていた。

 その中でも、とりわけ皆の注目度が高かったのは、史上三度目となる「六ヵ国協議」について。


「そういえば、聞いたか? 教国の「第二の壁」の話」

「聞いた聞いた」

「むしろ聞いてない奴がいるのか、って話だ」


 北方鎮護の要「第二の壁」が陥落したという噂は、王国内部の人間にとっても信じがたい報せであるが、各国首脳が王国につどい来るほどの最難事が発生していることは、もはや決定的な事実と言える。それがおそろしかった。


「しかし、どうやって「第二の壁」を?」

「神魔国とやらの軍勢の仕業しわざらしい」

「あの、魔族を率いているって噂の?」

「知能のない魔族をどうやって統率しているんだよ、ガセネタじゃないのか?」

「いやいや。実際、教国や評議国が魔法国家に支援要請しているんだから、あながちデマとも言えねえだろ?」

「六ヵ国協議なんて、三百年ぶりって聞いたぞ?」

「なんだか大変なことが起こっているのは、間違いないわけだ?」


 現状においては、事態はまだ王国民にとって対岸の火事同然の出来事と認識されていた。

 敵の進行速度が異常なことを加味しても、教国にはまだ「第一の壁」がある。第二・第三よりも分厚く高い巨壁に、魔獣の軍勢も岩に弾かれる水の勢いで敗れ去る可能性は十分であった。


「怖いねぇ。教国が負けるとは思えないが、その教国が支援を要請するとか──」

「あの機械国家が、魔法国家群に頭を下げるってことだもんな」

「他に情報はないのかよ?」

「数少ない生き残りの話だと、連中はドラゴンを使役しているらしい」

「は、ドラゴン?」

「胡散臭いというか、眉唾というか」

「そんな伝説上の化け物まで出てきたとなれば、壁が落ちるのも頷けるな」

「……なぁ、おい」

「うん、どうし……た?」


 彼らが確認したのは、北の空の果て。

 そこに、わだかまる雨雲よりもどす黒い、球状の巨大な何かが浮遊していた。


「な、なんだよアレは」

「魔法兵。急いで本部に通達!」

「だ、だめです。「魔法通信」の回路が開きません!」


 国境警備兵が確認したものは、大規模な「転移門の魔法」そして、そこからこぼれおちる、翼を広げた伝説上の魔獣。


「あれは、ドラゴン!!」

「伝令だ! 早馬を本部、および首都に走らせろ! 残りは迎撃態勢を整えろ! 対空戦闘用意!」

「げ、迎撃って言ったってッ!!」

「あんな数を相手にっ!?」


 空を埋め尽くす竜の数──およそ数百から一千以上。

 王国の北部都市は、大量の竜による蹂躙に抵抗を続けたが、わずか一時間で全滅を余儀なくされた。






 竜の魔軍を統率する者は、彼らを引き連れ、ひたすら南へ、王都へと向かって進軍する。






 □





「国王陛下!」


 伝令から伝え聞いたことを、同席していたエミール・ガニアン・ド・シャルティエ王太子は、震えかける声を何とか抑制して読み上げた。

 凍りつく議場内。なかでも国王の狼狽ろうばいぶりは筆舌に尽くしがたい。


「馬鹿な!」


 水の入ったグラスがテーブルから落下し、音を立てて割れた。

 六ヵ国協議が開かれていた王城に早馬が到着し、伝令を受け取った時には、各国の首脳級人物が合議の大広間に参集していた。

 一報を受け取ったユーグ王国の国王エティエンヌは、急ぎ北部都市への救援部隊を編成するよう指示を出したが、その時にはすべて手遅れであった。


「これはどういうことか、“大司教アルシェヴィスク”!」

「……どういうことかと問われても、我々にもわからぬとしか」


 教国の代表者たる大司教は、平静かつ冷厳な面差しで同年代のユーグ国王に対峙する。

 国王は彼がしらばっくれていると考え、声を荒げるほかにない。


「六ヵ国協議を開いたこのタイミングで、我が国が攻撃を受けたのだぞ? 何者かの策略と考えるのが筋ではないか!」

「確かに」


 魔女の国の女王が賛同の意を示す。

 彼女はエミールが読み上げた北部都市で起こった出来事のうち、『空に浮かぶ漆黒の球状体』について言及した。


「おそらく「転移門の魔法」ね。魔法による転移には人数質量制限があるけれど、“転移門”であればそれを無視した大軍勢を転移させられる……私でも展開するのが難しい超高等魔法のひとつよ」

「女王陛下に並ぶ魔法使いが、くだんの神魔国には存在していると?」


 側近シャンタールの確認する声に女王ソルシエールは頷くのを見て、エミールは固い唾を飲み込んだ。

 そんなエミールの前で、エルフ公国の大公が皮肉気に口元を歪ませる。


「いやいや、それはどうかと思われるが? かの女王ソルシエール殿に並ぶ魔法の使い手など、そうそう現れはすまいに」

「あら。何が言いたいのかしら、エルフ大公?」


 人間よりも長く優美な耳と森の木漏れ日にも似た金髪をした大公スルスは、公女トゥルビヨンが諫言するのにも構わず、自分と同じ長命種たる魔女の女王に食って掛かった。


「いやなに。ひょっとするとだが。その「転移門の魔法」とやらを使ってドラゴンを使役しているのは、ここにおわす女王陛下なのではないかと愚考したまでだよ」

「呆れた。相変わらずの皮肉屋ね。長く生きすぎると性格が捻じ曲がるのかしら?」

「だが実際として、魔法に長じる君にしか“転移門”などというものは扱えない」

「神魔国とやらにはいるかもしれない、とは考えつかないのかしら?」

「確かにのう」


 これまでいわおのごとく沈黙してきたドワーフの国の評議長アシエが、ソルシエールの言に賛意を示す。

 鋼のような白髪と口髭、小柄な肉体が特徴的な、ドワーフの長老である。


「エルフは無駄に長く生き続けることで有名じゃからな。そのくせ、下界の世俗については疎い疎い。まったくもって嫌味な連中じゃよ」

「貴様、いま我が一族を侮辱したか?」

「そこまでにされよ」


 剣のように鋭利な声が響いた。

 ソヴァ―ル帝国の皇帝ジャン・メートルゥ・ランブランが、舌戦を繰り広げようとする両者の間に割って入る。


「今は我等が同胞、同盟者たる王国危難の時。汝らの個人的な見解をぶつけ合う時ではないと心得よ」


 第一皇女と同じ黄金の髪の皇帝が議場内の嵐を抑え込むのに一役買って出てくれた。

 ソルシエールもスルスもアシエも、今は良き王国の盟友へと敬服の意を示すべく口を閉ざした。おかげで最悪の展開は免れた。

 エミールは激する父の肩を掴み、いま必要なことに目を向けさせる。犯人捜しをしている猶予など毛頭ない。


「父上。敵がドラゴンによる奇襲強襲をかけてきた以上は」

「……ああ、わかっておる。次に狙うとしたら王都──この王城だろうて」


 ざわつく議場内で、国王は各国首脳を見渡した。


「誠に遺憾ながら、此度の協議は中止させていただく。連中が北部をおとした勢いそのままに、この城に攻め込まれては、ここにいる皆の命が危うい」


 あるいは、それを狙っている目算は大と言えた。

 この六ヵ国協議を利用し、各国の要人を抹殺ないし誘拐することこそ、かの魔軍の侵攻理由やもしれない。

 国王は随従たちに命じて、急ぎ王都を離れることを立案し、各国首脳にそれを了承させた。教国の大司教もしかり。

 エミールが指揮統率する近衛騎士に護られながら退席していく首脳たち。

 だが。

 一足早く「転移の魔法」を使い、帰還を果たそうとしていた女王ソルシエールの側近が、異変に気付く。


「あ、あれ?」

「どうかしたの、シャンタール?」

「転移、できません」

「なんですって?」

「これは、「転移阻害」です!」

「!」


 一挙にざわめきが増した。

 エミールは敵の周到さ狡猾さに驚嘆しつつも、騎士団長に命じて王都の防御を厚くする。

 だが、すべては遅きに失した。

 城内最奥に設けられた議場内に、聞いたことのない雄叫びめいた声が、外から聞こえ始める。

 それは、この場にいる誰もが物語の中でしか知りえぬ、竜の蛮声であった。


「もう来たのか!」


 絶望を深めるエミールだが、敵は待ってなどくれない。


「各国首脳は、城内の安全な場所へ退避!」


 近衛騎士団に厳命する王太子は、この城にいるもう一人の重要人物の存在に思い至った。


「ミシェル。悪いが父上を頼む!」

「で、殿下、どちらにッ!?」


 騎士団長に後事を託したエミールは、サージュのみをともにつけて走り出した。

 轟音が響き始める城内で、彼は必至に思い出す。


(ガブリエールとクロワがいるのは、城の第五応接間!)


 転移が阻害されていなければ一秒もしない距離を、王太子は階段を駆け上がり息を切らして駆けていく。

 第五応接間の扉が見えた。エミールが安堵と焦燥の交錯する思いで歩調を緩めた。

 直後だった。


「殿下、伏せて!」


 サージュに頭を押さえつけられるように廊下に突っ伏すエミール。

 同時に、爆音にも似た破砕音が全身を打ちのめしていた。

 しばらく聴覚が吹き飛ぶほどの衝撃に耐えた王太子は、頭から流血するサージュに揺すり起こされ、己の目的を思い出す。

 しかし、


「あ」


 破壊されたのは第五応接間。

 廊下に飛び出した人影は、二人。

 目の前には実弟である第二王子クロワと伝令が、流血し意識混濁した状態で倒れ伏している。


『作戦目標、捕捉──全部隊、帰還せよ』


 かすかに聞こえる人外の声。

 エミールは額から出血しつつ、全身の筋肉を叱咤し、軍装の腰にある鋭剣を抜いた。

 城の一角を破砕した竜の背に騎乗し、一人の少女を両腕に抱える炎の悪魔に向けて、単独で吶喊。

 しかし無駄だった。

 竜の翼に強打され折れる剣。

 全身の骨が砕けんばかりの咆哮に打たれ、なす術もなく床面に転がされ壁に激突する。

 それでも、エミールは手をのばした。


「や、め、ろ」


 竜の騎手たる悪魔は、エミールの渾身を振り絞った一声を無視して、手綱たづなを振るった。


「待、て──」


 主人の命令を理解した竜が鎌首を旋回させ、竜尾を王太子の方に向ける。

 エミールは半ば折れた剣を掴んで再突撃するが、それも無駄に終わった。


「待って、くれ、ッ」


 必死に愛する者の気絶した姿へと手を伸ばすエミール。

 それを無視して、ドラゴンは飛び去ってしまった。空の彼方へ。




 竜に騎乗した悪魔にさらわれる、銀髪の令嬢。




 エミール王太子の婚約者──ガブリエール・ド・モルターニュは、この日を境に、行方知れずとなる。







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