魔女1-2






 □





 時は数分前にさかのぼる。


「体は冷えてませんか? あたたかいスープもございますが」

「ありがとうございますじゃ。本当に助かりましたわい」


 ガブリエールはメイドたちと共に、夜の珍客を心からもてなした。

 冷え切った体に毛布を掛け、暖炉も食事も用意した。雨に濡れた衣服を乾かし、風邪などひかぬよう心から気を配った。


「ありがとうございます」


 ガブリエールは一瞬だが、祖母の面影を老婆の声に感じた。

 ひとごこちついた老婆は、青い薔薇の花をガブリエールたちに差し出してくる。


「せめてもの御礼です。どうか受け取ってください」

「いえ。でも、こんな高価そうな」

「どうぞお願いしますじゃ」

「──わかりました」


 人の行為を無碍むげにはできないガブリエール。

 彼女はシャリーヌに命じて、籠一杯の薔薇の束を活けさせる。


「綺麗な薔薇ですね。よくお世話されてる……」


 花の世話でガブリエールは祖母との思い出を想起させられてしまう。

 祖母は庭園の花が好きだった。

 使用人など雇えないほど貧しかったが、野菜と同じほど花々に愛情を注いで育てていた。

 そう。その庭園で見た……あまりにも美しい光景が胸に去来する。


「どうかなされましたかな」


 老婆の指摘する声に我に返る。


「いえ……少し思い出してしまって……」


 王太子エミールと第一皇女マリィの姿。

 まるで一幅いっぷくの聖画のごとき光景の神聖さと典雅さは、ガブリエールに薔薇のような棘を残したままだった。


「もしよろしければ、このばばめに、何があったのか聞かせていただけませぬか」

「……でも」


 夜の話し相手が欲しかった老婆に対し、ガブリエールも自分の胸中を吐露する相手を求めた。

 それに何故か、この老婆には身内以上の親しみやすさを感じる。

 ガブリエールは自らの内にある奇妙な感覚、二人の姿に心動かされている自分を告げてみる。

 老婆は安楽椅子の上で何度も頷いた。


「なるほど。簡潔に言えば、お嬢さんは二人の姿に」

「ええ、“嫉妬”──ですよね」


 自分でもわかっていた。これが醜く汚らわしい感情であることは。

 だが、ガブリエールにはどうしようもなかった。


「殿下は、王太子殿下は、さまざまなものを私に送ってくれております。メイドも金銭も、ドレスや宝飾だって……、けれど」

「どうしても、その時にいだいた嫉妬が拭い難い、と」


 気が付けば夢中になって話し込んでいた。偽装関係についてはさすがに話すことはなかったが、老婆は良き聞き役として、ガブリエールの相談によく応じてくれた。


「いったい、どうしたらいいのでしょう」

「どうしたら──ですか。簡単なようで難しい質問ですわね」


 老婆の口調に違和感を覚えるガブリエール。

 しわがれた声だった老婆は、いつの間にか瑞々しい声音に変わっている。


「お嬢さんはどうすべきだとお考えですか?」

「それは勿論」

「『そのまま胸に秘めたままにしておく』──その精神はご立派ですが、それだけではいけません。婚約関係にある相手ともなれば尚のこと」


 老婆は声だけでなく、肉体にも変化が生じ始めた。

 しわだらけの両手に瑞々しさが加えられ、折り曲がっていた身体はまっすぐに伸び始めている。

 老婆だった存在は、女王然とした口調で言い放つ。


「『ただ耐えるのみ』でいられるものは人形と代わりありません。あなたは、エミール王太子の、彼のお人形でありたいとお望みなのですか?」

「……それは……?」


 答えようとしたガブリエールであったが、彼女の聴覚に鋭い破壊音が飛び込んできた。

 ついで、ジュリエットが応接間に飛び込んできた。

 額から血を流して。


「お逃げください、お嬢様!」





 □




 宵闇の屋敷の門前にて。


「くそ、こんな数、キリがない!」

「弱音は吐くな! とにかく、お嬢さまの安全優先!」


 シャリーヌとクレマンスが〈魔の犬狼〉の大群を討滅しようと奮闘するが、さすがに数が多すぎた。

 前衛のクレマンスに飛びつく魔物どもは大剣に切り払われ、後衛のシャリーヌが投じる暗器によって魔者の頭頂部は串刺しにされる。だが、敵の数は一向に減らない。

 どころか、地獄の業火のような砲弾を口内で生成し射出。尋常でない数の火の玉が屋敷を焼き払うかのように思えた……が。


「クレマンス!」


 名を呼ばれたメイドが大剣を振るう風圧で、業火の弾は見る間に雲散霧消していく。


「とにかく、ジュリエットがお嬢さまたちを逃がすまで!」

「ああ、絶対に死守する!」


 シャリーヌとクレマンスが確認するように頷きあう中で、魔物のあぎと爪牙そうがは二人を包み込もうとしていた。






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