国賓2-3
□
帰りの馬車の中で、マリィ第一皇女はご機嫌な調子で鼻歌を披露する。
「そんなに人の婚約者に会えたのが嬉しかったのか?」
「当然でしょ? 幼馴染にようやく浮いた話が出来たんだから。けど、まさか本気で十五歳の娘を、ね」
そこの部分は半信半疑だったらしい第一皇女。
わざとらしく盛大にため息をついてみせる。
「あのエミールが。まさか十も歳の違う娘にゾッコンだとは」
「うるせえよ」
エミールは微妙に苦笑しつつ、とある噂のことを思い出す。
「なぁ。舞踏会や晩餐会で聞いたことがあるが」
「この私が、アンタやリッシュ伯に懸想してるとかいう、根も葉もない噂?」
「その様子だと、やはり噂でしかなかった、か」
「当然でしょ? 私は第一皇女。ゆくゆくは帝国の柱となるべき女ですもの」
そういって、第一皇女は遠くない未来を見通すような眼差しで、車窓から見える景色を見やる。
「でも」
「……?」
マリィが何か言いかけたが、微笑を浮かべるうちにやめてしまう。
二人は王城に戻った。
「お帰りなさいませ、兄上、そして皇女殿下」
庭で二人を待ち構えていたのは、王国第二王子クロワであった。
「出迎えご苦労さま」
「いえいえ、何のこれしき──二人ともお疲れでしょう、サロンに紅茶を用意しておきましたが」
「あー、俺はいい。公務が立て込んでるからな」
「そうでしたか。では皇女殿下だけでも」
「ええ──はい」
唐突に淑女然とした態度で、第二王子の後に続く皇女。
予定三日間となる第一皇女の表敬訪問は、はじまったばかりである。
□
「まったく。我が兄上にも困ったものです」
陰湿そうな瞳で、悪辣鬼謀を胸に秘めていそうな第二王子クロワ・サンス・ド・シャルティエは、上品かつ礼節に即した第一皇女のふるまいに何の疑問も懐かない。
──彼の前でのみ、第一皇女は破天荒な行状をひそめ、借りてきた猫のごとく貞淑な皇族の顔になる。
ならざるをえない、というべきか。
「皇女殿下を放置してまで執行すべき公務など、他にあるでしょうか?」
「し、仕方がないと思います。エミール王太子はご多忙の身故、ならば」
最高級の紅茶に舌鼓をうちながら、マリィは定型文じみた言葉しか吐き出せない。
熱くなる呼吸を数度の深呼吸で冷却するが、それでも、第二王子の怜悧な瞳と視線が重なるだけで、全身が熱を持つのを感じる。
「兄上の婚約者殿の屋敷に向かわれたとか──いかがでしたか?」
「え──ええ。とても聡明そうな方でしたわ。ただ」
「歳が十も離れた婚約者、ですからね」
第一皇女は頷くほかない。
「だいたい、我が兄上は何をお考えなのか。歳の差など些末な問題といえど、さすがに十も歳の離れた娘を婚約者に選定するなど、常識というものを捨てたとしか思えますまい。宮廷内でも、反発するものが出るのは必至でしょう」
「──第二王子殿下は、兄君の婚約には?」
「無論、異を唱えさせていただきたところ。我が兄上のお相手には、同い年であられる第一皇女殿下か、教国の姫巫女殿が適切だと考えていたのですが──」
彼がそう言明するのを、マリィは氷の針で心臓を刺された気分で聞き流した。
「──皇女殿下はどうお考えに?」
「そう、ですわね……」
第二王子の言に他意はないとわかっていても、マリィは言葉を濁す時間を欲した。
「……長年の友人が、ようやく心許せる相手を得られたわけです。祝意こそあれど、なんらかの異議を唱えるつもりはありませんよ」
それだけ告げて、死聖正しく第一皇女の言動を見守ってくれていた第二王子は、数ミリほど口の端を歪ませる。
「いやはや、さすがは帝国が誇る第一皇女殿下。あなたの度量の広さ深さには感服いたします」
「度量などと、そんな」
謙遜する第一皇女マリィに対し、第二王子クロワは微苦笑を浮かべかけ、
「兄上!」
背後から飛びついてくる十五の弟の抱擁を受け止め切れずに、前のめりになる。紅茶を飲み干していなければ、間違いなく中身を床と卓にブチまけていたであろう。
「今日は戦術史を教えてくれる約束でしたよね!?」
「ああ。そうでしたね──だが、ご来賓の前であることをかんがみて行動することを覚えたまえ」
「やや! 申し訳ございません、皇女殿下殿!」
「ふふ。いえいえ」
お気になさらずにと言って片手で隠しきれないマリィの口元は、第二王子の意外な姿を見られたことで緊張が解け、今日一番の笑みを輝かせていた。
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