第二章
国賓1-1
■
王暦984年──
三年前のこと──
王国と帝国は戦火を交えた。
東の大帝国──ソヴァ―ル帝国。
魔族調伏などの魔法に秀で、それにより版図を拡大させていたソヴァ―ル帝国に対し、ユーグ王国は徹底抗戦を選択。
帝国との戦いは熾烈を極めた。
が、当時、若干二十二歳であったエミール第一王子が帝国軍の侵攻をことごとく抑止、魔族という圧倒的脅威を振りかざす帝国を逆に剣と魔法、そして軍略で追い詰めてみせた。
両軍はその年のうちに矛を治め、両国は平和条約を結ぶ道を歩んだ。
この功を認めたユーグ王国のエティエンヌ国王により、エミールは三人いた王子の中で“立太子の儀”を受ける栄誉を授かり、ユーグ王国
□
ソヴァ―ル帝国、皇城。
その宮廷会議場内にて。
「では。王国王太子エミール・ガニアン・ド・シャルティエ殿と、その婚約者殿への贈答の品については、以上をもって可決、ということで」
外務尚書の提示した贈答品目について、報告という形式以上のものは含まれていなかった。
彼の発現を受けた議場の主人──皇帝──は、異を唱えるでもなく沈黙を保っている。
議長が次の確認項目を読み上げる。
「次に、王太子殿下への表敬訪問・外交特使について──ですが……」
なんとも歯切れの悪い口調で、議場の一隅に席を置く人物を振り仰いだ。
後を継ぐように外務尚書が淡々とした語調で述べる。
「我が国の第一皇女殿下、マリィ・ピオニエ・ランブラン殿下にお任せするということで」
会議場にさざなみのような驚愕と動揺が波打った。
低い囁きや疑問符の渦が止む前に、第一皇女は父たる皇帝に一礼しつつ、父の裁可をうかがう。
『許す』
その一言ですべてが決裁される。
「ありがとうございます、お父様──」
金髪紅眼の皇女、マリィ・ピオニエ・ランブランは、大華が咲き誇るような笑みと共に一礼を送る。
誰もがその美貌と教養、そして外交手腕をを認める第一皇女は、腹の底で溶岩流のような感情をもてあましつつ、王国への表敬訪問団の代表の任を引き受けた。
□
ユーグ王国。モルターニュ家の屋敷。
ランプの灯りの中で座学に励む十五歳の令嬢は、時計の針が定刻を知らせるよりも早くなるノック音に意識を向ける。
「どうぞ」
「ガブリエールお嬢様、今夜の塗り薬の時間です」
「あ、はい。お願いします、クレマンスさん──」
もうそんな時間かとノートとペンを片付けるガブリエール。
銀髪の令嬢は本格的に勉学を始めた王家の歴史書を机に置いて、いつもの日課としたクレマンスとのやりとりをはじめる。
クレマンスは不思議なメイドだ。
ジュリエット、シャリーヌと比べ恵体でありつつ、その体のところどころには戦傷と思われる痕が見て取れる。
試しに腕の筋肉を服越しに触らせてもらったところ、
あの王との謁見から一ヶ月。
さすがにガブリエールもメイドたちとの共同生活に余裕がうまれ、互いの素性を語ることにも遠慮がなくなっていた。
しかし、いまだに信じがたい思いもするガブリエールは、彼女の手指へ静かに薬を塗りこむメイドに話しかけようとして──
「クレマンスさん?」
メイドが突然、ピタリと動きを止めた。
一瞬の後に感じる、不穏な気配。
そしてクレマンスは、虚空に向かって二人のメイドの名を呼ぶ。
「ジュリエット、シャリーヌ──“ご来客”の対応を」
二人が「了解」と言う声が聞こえた気がした。
しかし、ガブリエールには何が何やらわからない。来客のベルは鳴っていない上、今は夜。こんな時間に来る来客など、ガブリエールの知る仲では存在しない。
「あの、クレマンスさん。来客というのは」
「大丈夫ですよ、お嬢様がお気になさることではございません」
すぐに済みますからとも笑顔で付け加えるクレマンス。
ガブリエールは疑問符を浮かべながら、彼女に優しく言われるまま、薬を両腕に塗りこまれるのだった。
「対応完了」
ジュリエットは宣した。
彼女の握る箒──ではなく魔法の杖で「沈黙の魔法」が
メイドの足元には、大型の四足獣──
「
「ええ。お嬢様が婚約者として王陛下が認められてから、日に日に多くなってます」
同意するシャリーヌは銀食器のナイフ──ではなく暗殺者の短剣を一閃させて、自分の背後を斬り裂いた。
はらりと墜ちていくのは蟲の死骸。
「覗き見の蟲なんて数えきれませんし──これだけの魔族魔物を調伏できるのは」
「帝国だけ、と思いたいところ……だけど」
かの国とは平和条約が結ばれて久しい。
このような魔族を王国内部に差し向けることは不可能なはず。
「何が何だか知らないけど」
「私たちの、王太子殿下のお嬢様には」
「ええ」
指一本分も触れさせない。
断固とした決意を表明しつつ、二人は夜の大掃除に励んだ。
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