企画から拝読させていただきました。
最初は神隠しというのがピンとこなかったのですが、最後まで読んで納得できました。
姥捨の村は異界とかではなく現実にあり(ただしお地蔵様の結界の中にある?)、お地蔵様の力で松五郎ととらを引き合わせた。
成長した松五郎達が姥捨村にたどり着けなかったのは、立派に成長し既に庇護する必要のなくなった者だから……と、個人的には解釈しました。
あまり出しどころのなかった作品の参加できる企画を立てて頂きありがとうございました。
作者からの返信
企画のご参加と★評価と応援コメントを頂きましてありがとうございました!
三毛猫のたまちゃん、出立から老婆に化けてたのですね。
考察もして頂いてありがとうございます。
昔話を狙って書きましたので、なぜ? どうして? は話者や聞き手がそれぞれで想像して頂くのが理想でした。
そのようにご想像頂けたのなら幸いです。
ちなみに私の頭の中ではとら=子連れ地蔵さんの一番大きいもので、他の村人は残りのお地蔵さん達や森の精霊。
それから帰れなかったのはいわゆる桃源郷話の定番。
でしたが、椰子草さんの見解の方がしっくりきますね。
児童書企画から来ました!
ずっと都会育ちの私にも、田舎の風景が目に浮かぶようです。
住んでいる人にとっては貧しい暮らしでしょうが、現代の私から見るとそれは自然と調和した美しい光景に見えます。
2話あたりまでは、私も松五郎と同じように、とら婆さんたちの村は姥捨て山なんだと思って読んでいました。
でももしそうなら、松五郎たちは婆さんたちのことを忘れずすぐに戻るはずですよね。
だから森の精霊みたいな、アニミズム的な「神様」の村だったのかな、なんて思いながら読んでいました。
とら婆さんの一人称「おれ」についてですが、30年くらい前までは現在のさいたま市などでもおばあさんたちが「おれは~~じゃねぇ」みたいな江戸弁っぽい話し方をしていたようです。
母が驚いたと話していました。令和の現在では、もうそうした話し方をするお年寄りはいないようですが・・・。
日本昔ばなしを読んだようでとても良い時間でした! ありがとうございます。
作者からの返信
応援コメントを頂きありがとうございます。
昔話の世界に浸って頂けて何よりでした。
さいたま市は政令指定都市の都会ですから、埼玉県でも秩父の方にいけばおれおれお婆さんはまだいるかも知れませんね。
企画からとのことで後で読みに伺います。