第26話 鼠に紛れて
シュートは視線を落とし、投げやりな口調で話を続ける。
「親父としては俺を遠ざけたかっただろうけど、顔も名前も知らない俺の母親は、俺を自分の息子としてきちんと育てろと親父を脅してたらしい。どうやったのかは知らねぇが。親父はその脅しに屈して、俺に医者になるには十分な教育を受けさせたよ」
ここでまたシュートは大きくため息を吐いた。婚前にできた子供が、正妻もその子供もいる家庭で心穏やかな日々を送れたとはとても思えない。シュートの子供時代は壮絶なものだったのではないだろうか、とミックは胸が苦しくなった。
「ごめん、余計なこと聞いた」
軽い気持ちで尋ねたことをミックは後悔した。人の過去には心を深い水底に沈み込ませるような、闇が隠れていることがある。父の姿が一瞬よぎった。
「いや、いいんだ。勘違いしないでほしいんだけど、俺は別に自分の境遇を哀れんじゃいない」
重たい空気を纏い出したミックに、シュートは慌てて付け加えた。
「俺にとっては一人で生きていける力を身につけさせてくれただけで十分だった。貧しくて十分な医療を受けられないやつらを、治療してやるのが俺の夢だった」
人に温かく接することのできる、シュートにぴったりな仕事だとミックは思わず微笑んだ。
「でも、親父はそれを許さなかった。中央病院で一医師として、親父の目の届く範囲で生活することを求めてきた。親父は俺から水縄家を貶めるような話が広がるのを恐れていた。俺は、遠くへ行ってほしいが、そうされるのも不安っていう厄介なやつだったんだ」
シュートは窓枠にもたれかかり話を続けた。ちらりと瞳に浮かんだ軽蔑の色は、父親に対するものだろうか。
「そこで今回の旅だ。旅に同行する医者が必要だということで俺が選ばれたんだろう」
「そうか、中央病院は王立だからすぐ話がいった可能性はあるね」
シュートはディルに頷いて見せ、窓に映る自分の顔を一瞥した。
「俺の厄介払いに王の要請に応えるという大義名分ができた。成功すれば水縄家の名が上がる。失敗したらしたで、俺を亡き者にできる。親父にとってはうまみしかない。これが、俺が占いを信じていないって言った理由だ」
現院長は、きっと婚前の相手との間にできた自分の子に、冷たく他人行儀な接し方をしてきたのだろう、とシュートの話し方からミックは想像した。
「それでも、俺は自分が役に立てるなら、それでいいと思ったんだ。それに、旅が成功すれば、親父も俺の話を聞き入れるかもしれないしな。でもよ……」
シュートは一瞬言葉を切ったが、すぐに続けた。
「でもよ……俺は恐くなったんだ。ガラに襲われるのが恐い。足を引っ張って旅を成功から遠ざけるのが恐い。でもそれ以上に―俺の力不足で仲間が傷ついたり、死んだりしてしまうのが恐いんだ。俺でなくても良かったなら、他の適任者に任せた方がいいって思ったんだ」
シュートは絞り出すように言った。そして、そういう考えに至った理由は、図書館の地下でミックにそっくりのガラに話しかけられたからだということを明かした。ラズの言った通りミックに瓜二つだったこと、しかし雰囲気は邪悪そのものであったこと、そして真名を
「え……私の真名に似てる」
ミックの真名は
「それは言って良かったのか……?」
シュートは心配そうに眉をひそめる。自分の真名は家族以外には、基本的に話してはいけないのだ。それが推察できるヒントでさえも危うい。人の口に戸は建てられない。
「ちょっと、今の聞かなかったことに……」
「はいはい、深くは考えないようにするわ」
ベルがぽんぽんとミックの頭を叩いた。実際はガンガンだったので、ミックはお辞儀するような形になった。ラズは微かに首を傾げ、ミックを見る。
「しかし、ますます貴様と無関係ではなさそうだな」
「嫌な話だけど、実は親戚だとか?」
ミックはディルに首を振った。親戚含め、ミックの周りでガラになってしまった人の話は聞いたことがなかった。それは確かなのに、ミックの胸はまだ苦しかった。
結局謎のガラについて分かったのは、理望という真名とシュートを旅から脱落させようとしていたということだけだった。姫の真名を半分知っているゾルと関係があるかも分からない。
「私達の居場所がわかったのも、何でかしらね……」
ベルはぶるっと身を震わせる。アクシデントで通らざるを得なくなったとはいえ、せっかく使者の道を歩いてきたのに場所を突き止められてしまった。魔法だろうか…。結論の出ないミックは窓の外に目をやる。空は夕暮れに染まり、不気味なほどに赤かった。
大図書館の屋根裏は、いつもは鼠たちの憩いの場となっているが、今日は違った。できるだけ離れろ、と動物の本能に訴えかける邪悪な存在がそこにはあった。
「あの医者を脱落させたかったんですよね。失敗ですか?」
環は暗く埃っぽい屋根裏の壁の隙間から、外を眺めている理望に言った。
「まあね。でも、成功とも言える」
「どういうことです?」
理望の目が暗く光る。
「絆とか、情とか、そういうのって強くなればなるほど、身動き取れなくなることあるでしょ?ほんとは簡単に壊れるのに、幻想抱いちゃって」
なるほど、と環は頷いた。
「奴らを見つけられて、ついてたなぁ。偶然だけど、奴らからしたら私が常に場所を把握してるように感じるよね」
理望達は、旅の一行が使者の道を通ったため、彼らを見失ってしまっていた。それでも、もともと泳がせるつもりでいたので、大して気にしてはいなかった。環が大図書館に寄りたいと言ったので、マルビナまで来たところを偶然見つけたのだ。せっかくだからと接触した。
「病院の薬品事件も私の仕業だと思ってるかな。私としてはあの剣士を危険にさらすメリットはないのに……まあいいや。とりあえず、次は違う方向から攻めてみようかな」
理望はごろんと埃の積もる床に寝転んだ。上機嫌で、子供が新しいおもちゃを手に入れたかのようだった。同じガラでも時折不気味に感じる理望に、だからこそ、環は大きな可能性を――深く大きく広がる闇を―感じていた。次の一手が楽しみだった。
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