第8話 ――春の終わり

「オンヤァーマーク……セット」

 俺は、ピストルを頭上に上げる。


 パン!!



 ガッ!

 その途端、スパイクが擦れる音が鳴った。皆が次々にマーカーが置いてある線を踏んでいく。

「3.67 4.01 5.20……」


 俺は、その順に記録を表に書き込んでいた。

 皆は背後から記憶を確認すると、色んな表情を見せながら戻っていく。


「あざっす!」「ありがとう!」




「いやーー皆威勢がいいねー。」

 春は、俺の近くで地べたに座りながら楽しそうに見守っていた。



 大会が終わった次の日。

 先輩達は休みだが……1年生はメニューを与えられて練習をしていた。



 いちおう、俺も1年なのでマネージャーの業務をしていた。昨日は、色々と疲れたが……同級生もサポートするのも俺の仕事だ。



「おい、雨季。ぼーっとしないで次うってくれよ!!」

「あっ……すまん!」



 パン!!

 腕で耳を塞ぎ、片耳は手で塞いでいる。が……耳が聞こえなくなりそうだな。



「いやー終わった。終わった!……次は? ダウンか?」

「えーと、200を5本。」



「はあああ!!??」

 先生のメモを読み上げた途端、皆の表情が暗くなる。


「雨季、本当なのか?」

「嘘よね? ね?」

「ガチ。……先生が、今のうちに走らせるって言ってた。」


「………。」」




「いきまーす!! よーいはい!」

「皆、頑張れーー。」

 春は、応援しながら、こっそりとピストルの弾を拾ってくれていた。


 よく破片が飛ぶんだよな……あれ。



 申し訳ないと思っているが、今は動けないので感謝するしかなかった。

「はい、200歩く」

「はい……。」



「ねぇ、雨季くん。」

 春は近づいてきていた。小さな声で囁くように俺を呼ぶ。


「拾ったよ、ぜーんぶ。ちなみにこっそりマーカーもね。……使わないやつは持っていったから。」

(そんな事まで!?)



「なんかごめん。そんな事までさせてしまっ……」

「いいの、私がしたいだけだもん。」

 彼女は、風になびかれながら空を見上げて気持ち良さそうにしていた。



「……あと、1本。」

 俺がそう言うと、皆が俺を死にかけ魚のような目で見てくる。



 さっきから、何か皆がコソコソしているが文句でも言われるのか?


「雨季、陸上部だっただろ?」

「あぁ。」


「なあー、雨季。」

 晴矢は、急にニヤニヤしながら俺に肩を回し動きを止める。なんか、嫌な予感が


「一緒に走ろうぜ? 最後の1本だけだし……いや、ほんと頼む! やる気が出ないんだ! 頼む!」


 皆も頼む!と首を縦に振る。

(マジかよ)


 別に走るくらいなら出来なくはないが……



「走りなよ、雨季くん。私、見てみたいな!」

 春が期待の目でこちらをみた。これもう逃げれそうにないな。

 やる気にさせるのもマネージャーか。


「……っよし、分かった走る! それでやる気がでるなら 俺も走る!」

 皆と春にあまりにもお願いをされ、俺は荷物を置いた。

 軽くジャンプをして皆に混じる。


「いきまーす……」

「よっしゃ!」




 そして、俺は後悔した。


 ペース配分がつかめず、ぶっ飛ばし……気がついたらダントツでゴールしていた。

(やったなこれ。)



「いやーー雨季速いじゃないか!」

「見直したぜ! これからも頼むわ。」


「……これから?」

 この件から、たまに呼ばれるようになるとは、この時の俺は思わなかった。



「いや、やっと終わった。ヤバいって~あれ!」

 あの後も、練習は続き晴矢達はフニャフニャしながら倒れ込んだ。


「っていうか、まだあるなら言えよ。……てっきり200で終わりかと。」


「……すまん、次は気をつける。じゃあ、これで終わり。お疲れ様でしたー」

「お疲れ様ー!」



 俺は皆を見送った後、フラフラの晴矢を支えながらまた正門に連れていった。


「あのさー」

「あぁ。」

 晴矢は、息を切らしながら声を出す。



「あの、おんやーなんちゃらってさぁ。中学校によって発音……地味に違くね?」

「まぁーそうかもな。というより意味というか、正しい発音分からん。」


 俺は晴矢を支えながらどうでもいい話をするのが日課だ。ま、話し相手がいるのは嬉しいし悪くない。


「ちなみに、オン ユアー マークが正解らしいぜ? 先生が言ってた。意味は分からん。」

「へぇーー知らなかった。えーと、「貴方の席につけ」って意味かな」

「そっか。知らん!」




「じゃあなー死ぬなよー。」

「もう大丈夫だ! いっつも言ってるが死なないからな?バイバイー!」

 晴矢は、元気になったようで笑いながら帰っていった。



 俺は、チャリを取り周りに誰も居ない事を確認する。

「もう、終わったの?」

「あぁ。行こうか。」



 チャリを押しながら、正門を出て道路に出る。今日は、昨日のお礼に商店街に行く事になった。


 多分、今日の分もある。



 この街の商店街と言っても、ほとんど何もない。文房具、花屋……後は食い物。それ以外はあまり興味が無い。



「何かみたい物は?」

 俺が聞くと、春はうーん。と目をつぶり捻り出すように唸る。


「じゃあ! あそこのクレープがいいな!」

 あれは……確かクソ美味しいと評判の店だったはず。あまり食に興味が無いから、詳しくは分からないし入ったことが無い。


 春は、すぐに走り出すとメニュー表を確認している。



「チャリ置いてきても?」

 俺が急いで駆け寄ると、春は何故か固まっている。


「……」

「どうした?」

 何度も何度もじっと睨みつけている。不思議そうに。


「いや…なんでもない! 雨季くん、チャリ置いてきて。」

「あっ、ああ」



 俺は、チャリを急いで止めて春の所に戻ってきた。まだ春は何かを考えこんでいる。


「気に入る味がないのか?」

「違うよ。えっと……じゃあこれ!」


 ん?

 ボードに力強く書かれていた。

『新作!! グレープフルーツ』……なんだこれ。


「本当にこれでいいのか?」

「うん……駄目?」

 まぁ、女子は新作が好きらしいと教えられた事がある。晴矢のティックフォクに。だが、クレープにグレープフルーツって美味しいのか?


「雨季くんは?」

「メープルバターかな。」

「シンプルだね」

 俺は、店の人にお持ち帰りを注文した。注文って慣れないし、クレープって結構高いんだな。


 クレープを貰い、俺は近くの公園まで持っていく。春は、カモがのんびりと泳ぐのを眺めながら待っていた。



「はい。」

 今は暗いから、きっとクレープが浮いてるのを噂される事はないだろう。



「ありがとう!……っん、美味しい!!」

 春は、受け取るとクリームを頬につけながら美味しそうに食べている。俺も真似するように頬張った。


「…っ! むつごくない、美味しい」

「でしょ?」

 パクパクと食えてしまうし胃もたれする甘さではない。あまり甘いものに興味がないがこれはハマりそうだ。


 春がいなければ……この味を知ることは無かっただろうな。


「っん! すっごく美味しかった!」

「それは良かった。」

 お小遣いはほとんど使わないし、貯めておいて悪いことはないな。



「もう7時か。」

「じゃあ帰ろっか。」


「わかった。学校まで送るよ。」

 俺は、春を学校に送っていった。暗闇でも、彼女が美味しそうに頬張る姿だけははっきりと輝いている。



「ねぇ雨季くん。」

「何?」

 春は、流し目で俺に目線を流す。少し悩んでいるような気がするが。



「実は土曜日にね。ある夢を見たんだ。」

「夢?」



「最近、夢を見るんだ。誰かと一緒に何かしたり……」

 春は、顔を下にうつむきながら呟いていく



「うん。」

「えっと、クレープ屋さんに行ったら新作のグレープフルーツ味があってね。」


「え」

 俺は、足を止めた。どういう事だ?夢が現実になるなんて。


「不思議だよね。」

「っあぁ。他には?」



 そう言うと、春はうーんと首を振った。やはり記憶が曖昧になっているらしい。

 でも……夢が本当になるとしたら、何か見えてくるんじゃないか? 


 とりあえず、夢でみた事は追ってみるとかどうだろうか?何かしら手がかりになるかもしれない。

「また、夢を見たらすぐに教えてくれ。」

「え?」

 春は、少し驚いていた。



「でも、しょうもない事かもよ? たまたまかも」

 確かに違うかもしれない。けど


 俺は、記憶を戻すという目的以外に、誰かとこうやって何かをするのが楽しいと内心感じているのかもしれない。


「なら、もう一度行って試せばいい。それで決めよう」

「……わかった! じゃあ、また言うね!」

 春は、スッキリしたような笑顔で学校に帰って行った。


 しかし、春は夢を見ないまま。晴矢達と遊んだり部活したり。気づけば、勉強して、テストと春が過ぎていく。


 春の笑顔はいつも通り輝いている。この少し不思議な生活も次第に慣れてしまっていた。



 気づけばあっという間に夏が来ている。

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