第7話 ――光

 試合当日


「行ってきます。」

「行ってらっしゃい。頑張ってね。」


 日曜日の6時に俺は家を出ていた。本当は7時集合だからもう少し寝たかったが……




 普段、日曜日の学校は空いてない。しかし、大会がある日は特別に出発の1時間前、つまり6時には入れる事になっている。


 室内で練習する人や荷物の詰め込みがあるからと言っていたが、この時間は誰もいなかった。


 だがそれでいい。



 俺はいつものように3階へ行き彼女に会いに行った。まだドアに行っていないのにドアを開けようとする音がした。俺はドアノブについた鍵をひねる。


「おはよう、雨季くん。」

「おはよう。」

 彼女は、楽しみそうにニコッと笑っていた。



「今日凄く楽しみにしてたんだ! だって、遠出なんて歩いていけないし……」



 あの日から、記憶を戻すためにはどうしたらいいのか考えていた。

 まぁ、毎日会って軽く話して帰るだけの日々で何も変化が無いのが現状だ。



 とりあえず、俺は彼女を外に連れ出してみる事にした。

「じゃあ行こう。俺準備しないといけないから。」

「そっか!」



 今日の予定を小声で話しながら彼女を連れて下におりる。



「問題なしっと」

 俺はバスに詰め込まれた荷物を確認し、次は氷をクーラーボックスに入れていく。



「雨季くんは、陸上部だっけ?」

「あぁ。マネージャーだ。」

 俺がそう答えると、彼女は不思議そうに見つめてくる。



「そっか……でも、何かしないの? 雨季くんってスポーツ出来そうだけどなー。」

「いや……あまり、する気が無いんだ。」



 静かに答え、沢山の氷が入ったクーラーボックスを持ち上げる。

「雨季くん、力あるんだね。」

「まぁ……力だけはあるかな。」



 そして、再びバスへ向かうと既に先輩達が集まっていて、ガヤガヤとしていた。



「おはようございます。」

「おはよう。今日はよろしくね。」

「おーー雨季! ちゃんと見てろよ?」


 挨拶をしているだけなのに、俺は先輩達に囲まれていた。

 肩を叩いてきたり、筋肉をみせてきたり……明らかに先輩達のテンションが上がっている。



「シーズン入っての初試合だ。とりあえず、調子に乗って怪我しないように。分かったな?」

「「はい!」」


 藤田先生が少し呆れ顔をしながらも、会が終わり、一斉にバスに乗り込んでいく。


 俺も、先輩達に挟まれ身動きが取れないままバスに詰め込まれてしまった。


(あれ)

 春を探していると、外でニコニコと手を振っていた。


(行かないのか……?)



 気になって仕方ないが先輩に押し込まれ身動きが取れないまま、大会の場所に着いてしまった。


 春……どこに行ったんだろうか。

 俺は、荷物を出しながらキョロキョロ探していると、マネージャーの先輩が悲鳴をあげていた。


「なっ…なんか、音したんだけど!?」

 バックドアから、カタッとまた音がする。


 これは……

「先輩、俺が開けます。」


 恐る恐る開けてみると、やはり彼女が荷物の隙間に挟まっている。

「ーーっ!?」

「ごめんね。人……いっぱいだったからさ。」


 春は、申し訳なさそうな顔をしている。こちらが悪かったが……今は見えないふりをしよう。


「先輩。ただの風ですよ。……ほら。」

 俺は、こっそりと春に指示をする。


「あっ本当だー!」

「なんだー! 先輩、びっくりしましたよー!」

 なんとか隠せたようだ。やはり、他の人には見えていないんだな……



 その後は、応援の準備や機材の確認。補助員の説明などを聞いていた。春も近くで見守っている。


 先輩から予定を聞き書き込んでいたが、案外マネージャーの方が忙しいのかもしれない。



(やっと一段落……)

 俺は、初っ端疲れながらに休憩所に向かう。



「あっマネージャー。モンスター買ってきて。」

「俺、イクラおにぎり頼むわ。あとアクエリ。」

「じゃあーカロリーメート。」



「はい……分かりました!」

(これは、休めそうにないな。)



 先輩達の注文を貰い、お金を持ってコンビニに向かっていると1人の女の子が出待ちしていた。

「君……三須輝くん?」



 整った顔に、クールな雰囲気。そして、ポニーテール。

 俺の中学校の女子だったはず。えーと、名前は……


「私、草原くらはら そう。覚えてない?」

「あっ…ああ、覚えている。」


 俺は、久しぶり。と答えた。忘れたなんて、言えないし……ほとんど入院していて部活の記憶が無い。



「陸上、続けてるんだね。」

「まぁ。」

 俺は、それだけ答えて去ろうとすると、先輩達の買い物メモが風に吹かれて飛んでいった。



「……っよっと。」

 草原は、反射的に飛び上がり紙を掴む。紙を見つめ、内容を理解した様子で俺を見た。



「もう、大会に出ないの?」

 俺は、コクリと頷き紙を彼女から受け取った。



「しない。したくない。……もう行かないと。」

 俺は、彼女に礼をして歩いていく。




「私……三須輝くんのパフォーマンスが好きだよ。だって、元気になれるから」

「……………」



「ーー待ってるから。また。」

 何も言えなかった。否定も肯定も何も……




 草原は、俺と同じ競技をしていた。事故があった時も瞬時に駆けつけてくれたりと、普段もよく気遣ってくれた気がする。



 でも……今になっては、その優しさが苦しく刺さる。




「ーーになります。」

「はい。……これで。」

 俺は、買い物をすましコンビニを出ると、ある男達と目が合った。


「ーっ。」

「雨季じゃないか。」



 その人は、中学校の陸上部の先輩だった。先輩は不機嫌そうな顔で俺を見る。

「よく、戻ってこれたな。」

「……すみません。失礼します。」


 

 ここは、色んな学校が来るから、会うかもとは思っていた。だから、覚悟はしていたが……



 もう嫌になりそうだ。思い出したくないのに…俺は、泣きそうになりながら走って帰った。膝がギシギシとしている。


「お前のせいで……」

 積み上げたものを俺が……っ



「大丈夫?」

「ーっ。」

 俺が顔を上げると、春が待っていたように座っていた。裸足に白い服がさらに異質に見える。



「補助員の時間、大丈夫?」

 彼女は、そう言うと時計を指さした。


「あっ…」

 危ない。あと10分で始まるんだった。



「よく分からないけど、皆の為に頑張らないとね。私も手伝うから。」

 ……そうだ。今は、今の居場所を大事にするんだ。いつも通りの毎日を過ごす為に。



「危なかった……ありがとう。」

「うん!」

 春がいれば、自然と気持ちが和らいでいく。俺は、迷いを振り払い走っていった。



「すみません!」

「良かった。ギリギリセーフだねーー。」

 先輩達に袋を渡し、すぐさま現場に向かった。何とか間に合いホッとする。



「1時間しか無いのに、コンビニに行かせたら駄目でしょー。本当に、男子はすぐ買い物に行かせるんだから。」

 マネージャーの先輩から、紙を貰い記録用紙を観覧席に貼り付ける。



 走高は……

「ここだよ。」

「そこか。」


 春に教えて貰い、何とか出来ていく。



『女子棒高』

 1位、前虹、2位…………4位が草原か。

 高1で4位は凄いな。


 あの人は、前に向かって頑張っているんだな。




 その後は、ビデオ撮影や応援。先輩達のマッサージなどを手伝っていた。春は、楽しそうに先輩の応援をしている。


「なんか俺調子いいわ。」

「マジ? ピンクの声援とかあんのか~?」

「あると思うだろ~? 無いんだわ。」



 春が応援すると、そのほとんどが好記録だったらしい。真偽は分からないが。



 そして、大会が終わり高校初めての大会が終わりを迎えた。

「ありがとう雨季くん。今日は助かったよ。」

「雨季、今日はありがとうな!」


「はい。またよろしくお願いします。お疲れ様です。」


 俺は、挨拶を終えると春の元へ向かっていた。

 氷を捨てていれば喋っても聞こえないし違和感は無いだろう。



「今日は色々助けてくれてありがとう。」

「いえいえ! それに私も楽しかったから……ありがとう。」

 春は、微笑みながら流れる氷を眺めている。


「何か……わかったか?」

「うーん。まだ分からないな。」

 今日は俺ばっかりだったからな……


「でも、楽しかった! いつも寂しかったから……ありがとう!」

 彼女が笑えば、それだけで救われるような気分になる。浮き上がるような、不思議な魅力がこの子にはあるんだろうか。


「また、お礼する。」

「本当!?」

 そう言うと、春は目を輝かせた。



「何がいいんだ?」

「うーん……」

 彼女は、少し考えるとパッと顔を上げた。



「じゃあ、商店街に行こ!! 雑貨とか~見てみたい!!」

 商店街か。確か近くにあったはず。


「何か手がかりがあるのか?」

「ううん。でも……興味があるから!」

 まぁ、それで喜んでくれるなら構わないか。


「分かった。また、予定が空いたら言うよ。」

「うん、ありがとう!」


 彼女の喜ぶ顔が、不安を全て消し飛ばしてくれる気がした。



 もうこのままでもいいのかもしれない。

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