夏の想うのは君の姿
ある夏の、昼下がり。誰もいない駅のホームに僕はいた。ついさっき、二車両編成の電車が僕の前を横切った。
今日は一段と暑い。ジリジリとアスファルトを揺らす陽射しが、足元の日陰の線を追い越さないことを祈りながら、僕は思いを馳せていた。
セミの鳴く声と、自動車の乾いた走行音だけが聞こえてくる。視線を落とせば、右手で掴まれた黒いギターケースと目が合う。黒は熱を吸収するから、きっと白いTシャツを着た僕より暑いんだろうと思った。今日の最高気温が、シャツを通して伝わってくる。
僕は待っていた。
ここは田舎だから、次の電車が来るまで約1時間かかる。僕は薄いジーパンのポケットからスマホを取り出して、友人にメッセージを送った。
『ごめん、乗り遅れた』
すぐに既読がついて、スタンプだけが送られてきた。怒ってはいないだろう、と長い付き合いの友人を思い浮かべ、既読をつけてポケットに閉まった。
それから僕は、線路を挟んだ向かいのホームを見つめた。カビみたいな色をしたベンチには、誰も座っていない。いつもなら、君がいるのに。
僕は、君を待っていた。
さっき僕の前を横切った電車に乗らなかった──いや、乗れなかった理由は、君に会いたかったらだ。君が、今日はここに来る気がして、僕はずっと待っていた。
君を最後に見たのは二ヶ月前だったか。季節の変わり目に便乗するように、君はいなくなった。
数え切れないほどの桜の花びらが、線路に落ちて轢かれるのを待っているときに、僕は君を見つけた。向かいのホームのベンチに座り、良い姿勢で本を読む女の子。君が目に映った瞬間、君以外の人間がスローモーションになった。モンシロチョウが本に止まると、それに気付いた君は嬉しそうに微笑んでいた。あの日、僕は君に恋をしたんだ。
あれから、毎日君のことを考えた。名前も知らない、声も聞いたことのない、君のことを。二ヶ月前、ぱったりと来なくなった君。二ヶ月間、より僕は君のことを考えていた。
やはり今日も、君は来ないのだろうか。
いつの間にか時間は過ぎたようで、踏切の音が聞こえてきた。音の鳴る方へ顔を向けると、僕の乗る電車が一定のスピードで近づいてきていた。徐々に縮まる距離に、僕は言葉にならない焦燥感を抱いていた。
電車がもうすぐそこまで来た時、ふと僕は向かいのホームを見た。何かの気配がしたのか、と聞かれればそうかもしれない。勝手に頭が動いた。
そこには、いつものようにベンチに座り、良い姿勢で本を読む彼女の姿があった。僕は目を見開いて、声を上げようとした。でも、その瞬間に電車が目の前にやってきて、僕と彼女を遮った。電車の扉が開くと、僕はギターを背負ってすぐに乗り込み窓を覗いた。
そこに君はいなかった。
顎が震えた。頬に塩気の強い水が伝った。
僕は悟った。もう、この世に君はいないことを。
声も出なかった。窓についた手のひらには、汗が滲んでいた。
足元がおぼついて、転びそうになる。電車が出発したのだと理解して、現実に引き戻される。僕はそのまま椅子に座って、遠くを見つめた。
僕の夏は、終わりを告げたようだ。君のいない夏なんて、つまらない以外の何者でもない。だから、僕は君を想って今日も歌う。
背中に密着したギターケースは、とんでもなく熱かった。僕が恋に落ちたあの瞬間と、同じくらいの熱さだった。
僕は目を瞑って、名前の知らない彼女の姿を思い浮かべた。
会いにきてくれて、ありがとう。
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