ドールの死骸
もしも、私があなただったら。どんなに素敵な人生を送れていたのだろうか。あなたはこの世で一番可愛くて、輝いている。
どうして私は、あなたじゃないの?
なんだかとても、憎らしい。
五歳のとき、なんでもない日に出会ったお人形。日本らしい薄い顔立ちの赤ちゃん人形と並ぶ、一際濃く浮いた人形。売れていないのか、他の人形とは著しく在庫がびっしりと詰められていた。
一目惚れをした私は、そのお人形を見つめたまま動かなくなったらしい。母は何を呼びかけても反応しない私に困り果てた挙句、結局そのお人形を購入した。私は母に感謝を述べ、それから毎日お人形と楽しく遊んだ。寝る時だって、ぎゅうっと離さなかった。
「ソフィアちゃん、今日もかわいいね」
私はお人形を「ソフィア」と名付けた。綺麗なブロンドの巻き髪が特徴的なソフィアは、私の憧れでもあった。髪の束を優しく包んで撫でながら、ぱっちりでくりくりのお目目を見つめる。ソフィアはまっすぐな眼差しで、その瞳の中に私を映していた。
いつからだったろうか。ソフィアが映す私に嫌悪感を抱き始めたのは。
「私もソフィアになりたい」
いつしか、これが口癖になっていた。
私たちはいつも、母の鏡台で遊んでいた。化粧道具を実際に使用しないことを約束して、おままごとをして過ごすのが日課だった。ときどき欲に負けて、母に怒られる日もあったが、使用禁止と言われたことはなかった。
母はどんな時でも優しくて、ソフィアの次に綺麗で可愛かった。スタイルも良くて、毎日着るお洋服も素敵だった。私の第二の憧れだった。
高校生になった私は、友達と一緒にメイクを覚えた。少しの工程で一気に顔に変化をもたらすメイクは、私の欲をぞわりと掻き立てた。
私は毎日メイクの研究をした。どうしたらソフィアみたいな顔になれるのか、そんなことを考えている時間が一番楽しかった。ソフィアの目は大きくて、睫毛の長さと青い瞳が印象的だった。小ぶりで控えめな鼻に、ぷっくりとした唇は、ラインに沿って真っ赤な口紅で彩られていた。私は必死になって自分の顔を施した。こうすれば、ソフィアになれる。
けれど何度挑戦しても、私の顔はただの真似事をする見窄らしい女止まりだった。むしゃくしゃした。どうして、とばかり思った。昔と比べて巻きが弱くなり枝毛も酷くなったブロンドを撫でながら、彼女の瞳に映る私を見つめた。
つけまつげとラインで無理やり大きく見せたケバい目、シャドウとハイライトが悪目立ちする大きな鼻、それに追い討ちをかけるように佇む真っ赤に染まっただけの唇。薄いはずのチークも、濃く見えてくる。
「なんで」
ソフィアになれない自分と、ずっと表情の変わらないソフィアが、憎らしかった。
髪に触れていた右手に力が入る。人形特有の髪質が気持ち悪かった。気付けば髪の束は汚く崩れ、ぶちぶちと悲鳴を上げながら何本かの髪の毛が床に舞い散った。それでもソフィアは、眉一つ動かさない。人形というのはなんてずるいんだろうと思った。
私はソフィアの首を絞めるように持ち、床に叩きつけた。一切表情を変えずに虚空を彷徨う青い瞳が、私の心臓を焦がし続けた。波打つ憎悪が苦しかった。
息が上がる。鼓動が聞こえる。顔の筋肉が強張る。
私は
これでソフィアも、完璧じゃなくなった。なのに何食わぬ表情で居続ける彼女が怖かった。もっと壊さないと、私より醜い顔にしないと。
ぼろぼろになったソフィアは、とても可愛くはなかった。愛らしくもなかった。でもどこか、美しかった。
鏡に映る自分とソフィアを見比べた。私の顔は醜かった。ぼろぼろになったソフィアよりも、醜くて汚くて、安っぽかった。
私は自分の頬に鋏を当ててみた。ひんやりと伝わる刃の温度が気持ち良い。ぐっと押すと骨に当たって痛かった。私はソフィアと違うから、生きているから、痛みも感じるし血だって出る。ソフィアには、なれないから。
血の滲む頬にそっと手を当てて、私は人間らしく涙を流した。頬を伝う涙が傷口に沁みて痛かった。
「ごめんね」
もう可愛かったソフィアはいない。私の憧れていたソフィアはいない。酷く崩れた彼女を持ち上げて、私は強く抱きしめた。
翌日、母に促され私はソフィアを手放した。ゴミ袋に詰められた彼女は、私を睨んでいたかもしれない。
母は私を優しく抱きしめた。ずっと私が、ソフィアにそうしていたように。
今日も母は綺麗だった。いつまで経っても変わらない美しさが、私の心を沸かせていた。
「私、お母さんみたいになりたい」
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