スターチスと少女

「ねえ、今日はどこに行くの?」


「今日は、そうだなあ。とっておきのあの場所へ連れて行ってやろう」


「とっておきの、あの場所?」


「そうだよ。いつもより少し歩くけど大丈夫かい?」


「もちろん!」


 均一で綺麗な白髪と白髭をもつ祖父の手を取り、私ははしゃいで外に出た。この街はとても暖かい。人も、空も、植物も、皆暖かく微笑んでいる。煉瓦で敷き詰められた地面は、私の足を丁寧に支えてくれる。

 街を出ると、自然に囲まれた大きな一本道がある。私の祖父は大きな図体をしているが、そんな祖父が四人ほど横並びになって通れるくらいの道幅がある。私は、祖父の大きくて硬い手をしっかりと握りながら歩いた。歩くたび靴に触れる雑草や花が、なんだかこそばゆくて口元が緩む。祖父の優しい声と、ぬくもり溢れる手のひらが心地よい。

 私は愛されている。そう思った。


「さあ、着いたよ」


 祖父に連れて行ってもらった場所は、とても綺麗な草原であった。大樹がひとつ、ぽつんと実っていた。私は吸い寄せられるように大樹のもとへ向かい、そっと幹に触れた。それはまるで呼吸をして生きているかのように暖かく、鼓動を感じた。その時、どこからか声が聞こえた。大人びた女性の声。でも、なんだか苦しそうな声だった。


 ──私を見て


 声の主を探すためにキョロキョロと辺りを見渡していると、ふと目線が下に降り、そこにはずいぶんと萎れた一輪の花があった。一歩間違えていれば、私はその花を踏んでいたかもしれない。枯れた花は、出やしない涙を流し、私に助けを求めていた。私はそっと、花を包むように手を添えた。花は見窄らしいほど赤黒く染まっていた。とても綺麗とは言えなかったが、以前はきっと素敵な赤色だったのだろうと思った。


 ──私はもう生きられないから、最後にあなたの愛を頂戴


 愛って何?

 私は必死に考えた。この花はどんな愛が欲しいのだろう、と。私は愛を知らなかった。祖父から受ける愛情は知っているのに、誰かに与える愛情を、私は何一つ知らなかった。


「明日はきっと雨が降るわ。たくさん水を受け取って。そうすれば、元気になるかも」


 私は花を抱きしめながらそう言った。


「雨が止んだら、またここに来るわ」


 花は何も喋らなかった。私はまたね、と声をかけてその場を離れた。帰り際、大樹の方に目を向けたが、そこからあの花の姿は確認できなかった。祖父に話をすると、とても悲しそうな顔をして「明日の雨で少しでも長生きしてくれたら良いねえ」と言った。


 翌日、街は一日中雨に覆われた。家の窓に滴り続ける雨粒は幻想的だった。じめじめした匂いはあまり好きじゃないけれど、雨は心をも洗い流してくれる。だから私は、雨を嫌いになれない。

 夜が明けると、空には雲一つなく、太陽が元気よく姿を現していた。私は祖父にあの場所へ行こうと言ったが、祖父は腰が痛くて動けないと言った。少し寂しい気持ちになったが、私は一人で外を出た。祖父は心配して何度も私に声をかけたが、私は「大丈夫」と言い返し続けた。

 草原に辿り着き、大樹のそばまで行くと花はまだ生きていた。でも、昨日の雨はあまり効果がなかったみたいだ。花は二日前よりも力なく萎れていた。


 ──私はもう消えてしまう


 花の声は、今にも消え入りそうだった。私はしゃがみ込み、花に手を添え上を向くよう持ち上げようとした。すると、花弁が次々と落ちてゆき、花は茎からぷつんと離れてしまった。微かな音だけを奏でてしんでいった花は、私の膝を色取った。

 私はしばらく動けなかった。それから、ごめんなさい、と嘆いた。私の愛が足りなかったのね、と涙を流した。


 いつしか、私は好きな人と結ばれた。恋をして、愛を感じていた。愛情をもらい、愛情を与えていた。愛とは何か、今も答えられはしないけれど。愛を知ることはできたと思う。

 私は数年ぶりに、あの場所へ出向いた。大樹は今でも逞しく生きていた。数年前に比べれば、少し衰えてはいるが、まだ大きく呼吸をしている。

 花は、私のことを恨んでいようか。それでもいい。私はあなたを抱きしめていよう。姿はなくとも、ずっと私の中で生き続けてほしい。そうでいなくとも、天国から私を見守っていてほしい。

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