心の奥で眠る

「もう何年も想い続けてる人がいます」


 十八歳という若さでモデル、女優として活躍する目黒柑奈は、恋愛に関するインタビューに対してその一言だけ回答した。たちまちそのインタビュー記事は波紋を巡らせた。SNS、雑誌、テレビで何度も取り上げられたが、それ以上の回答は生まれずに空言だけが飛び交っていた。


「え……」


 部屋に一人だった苑香は、スマホの画面に向かって思わず声を出した。幼馴染である柑奈の、あのインタビュー内容がまとめられた記事の全文に目を通す。


「こんなこと一言も言ってなかったじゃん……」


 苑香はまた、小さい独り言を放った。眉をしかめた彼女の声は不満気だった。

 それから、最後に聞いた柑奈の恋話を思い出した。あれは、小学四年生の冬だった。その頃、同級生の女の子は皆その人に夢中だった。高身長でイケメンで、笑顔の可愛い六年生の男の子。柑奈も私も、その人に憧れを抱いていた。「廊下ですれ違って、挨拶を交わしたの!」それが、最後に聞いた恋話だった。

 それ以降は、「告白されたけど、振った」という端的な報告だけで、想い人がいるという事実に苑香はショックを受けた。



「目黒柑奈って苑香の友達だよね? 誰なの? この片想いの相手って」


 ある日の夕暮れ、ニュースを見ていた恋人が口を開く。一年程交際している彼は、苑香にとって安心できる存在だった。


「ああ、私も分からないんだよね。久しぶりに電話でもしてみようかな」


 苑香は乾いた笑いを響かせながらそう言った。連絡先は持っているものの、もうずっと会話をしていなかった。その時、苑香の中である感情が芽生えたような気がした。寂しい、だけじゃない感情。親友としての何か、だけじゃ収まらない感情。

 その日の夜、彼が帰った後の静かな部屋で、スマホの連絡先一覧を見つめながら苑香は何度も溜息を吐いた。

 結局、柑奈へ連絡をすることはなかった。保育園からずっと一緒にいた親友にだって、一つや二つくらいの秘密があってもいいだろう、と苑香は自分に言い聞かせた。

 忙しさに追われる毎日でも、広告や雑誌、テレビで柑奈を見ない日はなかった。いつしか苑香は、親友が活躍する姿を見て喜悦する反面、胸がぎゅっと締め付けられるような感覚を覚えていた。その恋に似た感情は、彼女の中でみるみる大きくなっていった。だが、こんな想いは彼女に迷惑だ、と苑香は必死でそれを誤魔化した。



 年月が過ぎ、成人式が行われ、二人は数年振りに再会した。


「いつも見てます。握手してください」


「わあ、ありがとうございます。もちろんいいですよ」


 そんな冗談を交わして楽しそうに笑う二人は、昔と変わらない親友のままだった。何気ない近況報告と、懐かしい昔話に花が咲く。それはどんな時間よりも幸せだった。

 別れ際、柑奈は昔と変わらない愛くるしい笑顔でこう言った。


「ねえ、苑香。これでもかってくらい、幸せになってね。私も、負けないくらい幸せになるから」


 柑奈は震えそうになる唇を強く噛み締めた。彼女の言葉に、苑香は目を潤わせながら笑顔を浮かべた。


「うん。幸せになるよ」


 それ以上の言葉を交わせば我慢できなくなる、と感じた苑香は「またね」と言って背を向けた。その時、彼女の心の奥にある恋心は終わりを告げた。



 三年後、二人が再会したのは苑香の結婚式だった。未だ人気の絶えない柑奈は、休みを取って式に出席した。

 その数日後、二人で食事をしたいと柑奈から連絡があった。夫の仕事の関係で東京に引っ越していた苑香は、喜んで承諾した。

 彼女の行きつけだという穴場の喫茶店で待ち合わせ、過ぎる時間を気にせずになんでもない会話を続けた。何時間かが過ぎると、彼女が目を伏せて静かに話し始めた。


「私、小学五年生の時から、苑香のこと好きだったんだ」


 彼女は頬をほんの少し赤らめて言った。


「ずっと好きだった。友達以上の想いがあった」


 苑香には、一言一言を大事そうに言う彼女がとても愛おしく見えた。それから、彼女はバッグから小さな箱を取り出して、左手の薬指にはめた。


「結婚するんだ、私も。ついこの間、プロポーズされたの。すごく嬉しかった。……一番に、苑香に報告したかったの」


 彼女の幸せそうな表情に、苑香は今までにないほど嬉しく思った。


「おめでとう」


 苑香は彼女の綺麗な指を握って、心の底からお祝いした。


「ありがとう」


 照れながら、彼女も手を握り返した。


「実は、私も柑奈のこと好きだった」


 苑香の言葉に、彼女は酷く驚いたようだった。すれ違った奇跡に、可笑しいね、と二人は笑った。


「柑奈は、私の大切な人」


「苑香も、私の大切な人」


 二人は目を見合わせて、また楽しそうに笑った。お互いの幸せを願う二人は、誰よりも幸せそうだった。

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