楽しいひと時


「エリオット様は、ご出身はどちらに?」


 情けない老執事の顔などすぐに忘れ、ファシアはそうエリオットに尋ねた。


「フランスの北西部です。しかし幼い頃に両親と死別し、縁がありイギリスで生活することになりました。それ以来祖国へは帰っておりません」


 この青年はこれだけ美しいにも関わらず、けして平坦ではない人生を送ってきたらしい。神はエリオットに恵まれた容姿を授ける代わりに、人並み外れて険しい道のりを与えたもうたのか。


 エリオット……これからはわたくしがあなたの神になりましょう。そうすれば、あなたは何不自由せずわたくしの横で暮らすことが出来るのよ? 

 あなたはただ、美しいままにわたくしに跪いていればいいの。


「実を言いますと、私は故ロンズデール伯爵に生前、お目にかかったことはないのです。ですが、そのお人柄はよく耳にしました。大変慈悲深い、人格者であったと」


「ふふ、噂とは誇張されるものですわ。社交界ではアルヴァはまるで聖職者のように扱われていましたけれど、実際は少し意地っ張りなところのある、年相応の男でしたの」


 若かかりし頃のアルヴァはまさに溌剌とした、精力のみなぎった逞しい男であったともっぱら聞かされたものだが、ファシアが彼と出会った晩年にはかつての栄光も見る影もなく、長い年月に侵食された、ただの老いぼれへと変貌していた。


 他者に対して思いやりに溢れ、人望に厚い人物ではあった。没後に彼の妻、ファシアが開いたこのパーティの出席率から見ても、それは分かるだろう。


 しかし、アルヴァに無尽蔵の財産と高い身分が無ければ、彼女はその求婚を拒んでいただろう。ファシアは昔から、この美貌が男を引き寄せる力を持つことを自覚していた。


 男など、自らを引き立てるためのアクセサリー。老いを加味してもなおも輝く光沢がなければ、このファシアが身に付けるには値しない。

 それが彼女の考え方だった。

 

「夫人、先程かつてフランスにいたことがある、と仰いましたね。その話をお聞きしてもよろしいですか?」


 エリオットは初めてファシア本人に対する興味をその青い瞳に宿した。

 ファシアはその事実に喜びを感じたが、すぐさま次の言葉を紡げなかった。

 彼女がフランスにいた期間はごく短い間だけであり、その上当時は今ほど恵まれた状況にはいなかったからだ。プライドの高いファシアは、自分の身の上話を人に話すことを嫌った。裕福でなかった頃の自分など、思い出すだけで苦痛だ。

 

 しかしエリオットは、単に祖国への興味からこんな質問を投げかけたのだろう。それを拒むのはあまりにも非情というもの。なにより、彼のその澄んだ瞳を曇らせるのは、彼女にとって耐え難いことだった。

 しばしの葛藤の末、ファシアは口を開いた。


「……わたくしがフランスにいたのは、ほんの数ヶ月のことでした。当時、わたくしは下働きのメイドとしてある貴族の屋敷に雇われていましたの」


 エリオットは驚いたように目を見開いた。


「とても良い国だった、と記憶していますわ。イギリスよりも空気は綺麗で、街の人々にも華がありました。残念ながら一年と経たずに暇を出され、わたくしはこの国に戻ってきたのですけれど」


 全て本当の話である。

 貴族出身ではないファシアは、自分の過去に強い劣等感を抱いていた。


 不本意な帰郷からしばらく経ち、とあるイギリス貴族の家で令嬢の家庭教師を務めていたファシアは、パーティで出会ったアルヴァに見染められ、婚姻を結ぶ運びとなる。

 出自に関して厳しい貴族社会は、庶民の出であるファシアに常に鋭い牙を向けた。それを跳ね除けるためにも、何者にも負けない美しさと気高さを、彼女は求めたのだ。


 今では財力そして地位も、申し分の無いものを手に入れている。


「そうだったのですか……」

 

 ファシアの告白を聞いたエリオットは、小さく呟いた。

 結局、彼の顔を曇らせてしまった。しかし、その俯いた表情ですら、ファシアの琴線を強く揺さぶるのだ。


 ああ。今すぐ彼を、黄金でできた額縁の中に収めてしまいたい。そうすれば未来永劫変わらぬ姿で、エリオットはわたくしのことを見続けてくれるのに。


 美しい青年に見惚れるファシアだったが、彼のグラスが空にであることに気付く。


「あら、エリオット様。グラスが空ですわ」


 ファシアがメイドを呼び止めようとすると、エリオットはそれを制した。


「いえ、それには及びません」


 そう断ると、エリオットは壁際に立っていたメイドをちらりと見やる。

 下女はヘッドドレスを揺らし、小さく頷くとにワインボトルを抱え、こちらへ歩み寄ってくる。


 ――今の目配せはなに?

 一連のやり取りをみて、ファシアは胸がざわつくのを感じた。

 彼はあんな下女が好みなのかしら。

 ファシアの胸中で嫉妬の炎が燃え上がる。

 ……あの娘、名前は何と言ったかしら? 

 このパーティが終わったら、暇を出してやるわ。


 女中がエリオットのグラスに注ぎ入れたところで、彼は思い出したように言う。


「ところで、貴女に関して芳しくない噂を耳にしました。何でも、良くない内容の手紙が届いたとか」


「ああ、脅迫状のことですわね」


 対してファシアはあっけらかんとした様子で答える。


「大したことではありませんわ。わたくしのことを良く思わない何者かが、下らない手紙を送ってきただけですもの」


 エリオットの言うとおり、数日前、ファシアの元には彼女の命を脅かす内容の脅迫状が届いた。

 しかし、彼女は意にも介さなかった。

 元庶民のファシアの振る舞いが気に食わない者からの悪意ある手紙など、特段珍しいものでもなかった。

 それよりも、せっかく企画したパーティーが開催できなくなることの方が、彼女にとっては大きな問題だった。


「少々気になりますが……こうして華やかにパーティーが開かれているところを見ると、さしたる問題でもないようですね」


 エリオットは少し表情を緩めた。今のように唇を弛ませると、彼の整った顔に少年の名残りのようなものが宿る。この横顔をいつまでも見ていたい、とファシアは心の底から思った。


「そうですわ。些細なことですの。

 それよりも……貴方のことを知りたいわ」


 ファシアは頬を上気させ、輝いた瞳でエリオットを見つめる。

 永劫にこの時間が続けばいい、とファシアは心の底から思った。

 だが、楽しい時間には必ず終止符が打たれる。


「大変です! ファシア様!」


 慌てた様子で駆け寄ってきたのはグラエムである。

 良いところだったのに。ファシアは露骨に不機嫌そうに口を結んだ。


「何かしら、グラエム? そんなに慌てて……」


「先ほどポストを確認しましたところ、と、とんでもない物が……」

 

 

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