パーティーの始まり

「元ロンズデール伯爵夫人、今宵は素晴らしいパーティーへのお招きありがとうございます」


「ああ……ようこそいらっしゃいました。どうぞ、楽しんでいってくださいね」


 ファシアは丁寧にひざまずいたこの老紳士に、はてこの人は誰だったか──と内心で首を傾げながら、しかし表向きには眩いほどの笑顔を向ける。

 招待客の一人に間違い無いのだが、名前は出てこなかった。身なりの上品さから、それなりの身分の紳士であることは窺えるのだが。


 このパーティーはファシアが主催したものではあったが、招待客名簿を管理していたのは信頼の置ける使用人、グラエムだった。来客としてふさわしい貴族たちをチョイスし、招待状を送ってくれたらしい。

 正直言って、ファシアはどこの誰が来ようと構わなかった。彼女はとにかく、この素晴らしい蛇の首飾りを観衆に知らしめたかっただけなのだ。


 ファシアは先ほどの老紳士を見送り、不機嫌に口を結んだ。彼は煌びやかな銀蛇シルバースネークの魅力に気が付かなかったのか、ドレスを褒めただけだった。まあいい、あんな老人にこの装飾の素晴らしさが分かるものか。


 パーティはロンズデール邸の広間全体使って開かれている。

 この場にいる招待客はみな、爵位を持つ貴族の家系の人間である。年に数度と開催されないであろう豪華な顔ぶれのパーティになったことに、ファシアは満足していた。

 と、そこへ。


「ロンズデール伯爵夫人、素晴らしいドレスですね。

 それにこの賑やかなパーティーも見事だ。とても叔父が死んでからひと月も経っていないとは思えない。

 天国のアルヴァも、貴女が自分をすっかり忘れて男たちに囲まれているのを見て、さぞかし誇らしいでしょう」


 そんな皮肉を交えて現れたのは、爵位を引き継いで現ロンズデール伯爵となった、ランスロット・ロンズデールだった。

 黒を基調としたシンプルなタキシードを着た、くすんだ茶色の髪をした若者である。

 瞳の色も髪と同様、くすんでいる。仕立ての良いタキシードを着ていなかったら、とても貴族には見えない、冴えない容姿の男だ。

 アルヴァの甥にあたるこの青年は、彼女が遺産の大半を掠め取っていったことを快く思っていないのだ


「あら、アルヴァはわたくしが喪に服すのを嫌ったのよ。わたくしの美しさが損なわれてしまうからって。

 こんな素敵なお屋敷だもの、多くのお客様をお呼びして華やかにした方が夫だって喜ぶわ」


 ファシアはランスロットの胡乱な目つきは意にも介さず、飄々と嘯いてみせる。


 故アルヴァとファシアは余りにも年齢がかけ離れており、二人の間には子もいなかった。

 その事実は下らぬ憶測を呼び、ファシアがその多額の財産を目当てに、美しく魅力的な身体を武器にアルヴァを籠絡したのだ、という噂を彼女自身何度か耳にしたことがある。そしてそれを一番初めに言い出したのがランスロットであることも知っている。


 他ならぬ夫の遺書によって、ファシアはアルヴァの死後もロンズデール邸に留まることを許されているのである。ランスロットの恨みがましい目つきは、ファシアにとってはいい迷惑だった。


「ランスロット、あなたもお客様を呼んでもよかったのよ? 手紙を出せなくても、あなたならその口で何人ものお客様を呼ぶことができるでしょう」


 ファシアの一言に、ランスロットはあからさまに顔を歪めた。

 彼は文字の読み書きができないのだ。幼年期、熱心な家庭教師を何人も雇ったところで、ついにはシェイクスピアの一行すら読めなかったという。

 アルヴァの弟であり、ランスロットの実父である故アランも同様に字の読み書きが出来なかったという。そのおかげで、親子揃って救いようのない阿呆者と陰で揶揄されていた。

 

 もちろん公にしている話ではないが、貴族界では知らぬものはいないだろう。

 ランスロットの父も没しており、他に親類もいなかったことから、不幸なことにアルヴァ死後ランスロットに爵位が引き継がれたのだった。文字が読めない者がロンズデール家の当主となったのだから、いよいよ名家の没落も近いだろう、とファシアは踏んでいる。 

 女であるファシアは爵位にはこだわらない。自らを美しく飾り立てる財産が有れば一向にかまわないのだ。


 ファシアはランスロットに冷たく微笑みかけると、ワイングラスを置き、彼の前に右手を差し出した。

 ランスロットはしぶしぶといった風にその場に片膝をつき、跪いてみせた。

 ファシアの右手に取ると、自らの口を寄せる。


 いくら憎き相手とはいえ、習わしには従わなければならない。

 ランスロットの悔しげな表情を見て、ファシアは勝ち誇ったように目を細めた。


「随分と珍しい装飾のようだ──叔父の趣味とは異なるようですが」


 片膝をつきながら、ランスロットはファシアを見上げた。


 意外にも、この蛇の首飾りに初めに言及したのはランスロットだった。ファシアはほんの少しだけ、この鼻持ちならない男への評価を改める。


「ええ! 見事でしょう? こんな素晴らしいものは、世界中のどこを探しても無いはずだわ。

 今日、このネックレスを初めて首から下げることができてわたくし、とても興奮していますの」


「そうですね。全く、素晴らしい」


 冴えないランスロットの反応がファシアの神経を逆なでする。

 あからさまには表に出さないが、以前から互い相手への苛立ちがかすかな軋轢となって存在していた。


 テーブルをはさんで、メイドが招待客らのグラスにワインを注いでいる。頭を下げ、若いメイドがファシアたちの横を通りすぎていった。

 ランスロットはメイドをチラリと見たあと、グラスのワインをちろりと舐めた。


「しかしこのワインはなかなかいい。地中海の風味が鼻を抜けていく。イギリスのものとはまるで違うな……イタリア産ですか?」

 

 文字の読み書きはできないくせに舌のできはなかなか良いらしく、貴族たちの間でもランスロットは美食家として知られている。特にワインにかけては一線を画しており、一口飲めばぴたりと銘柄を当ててみせるのだ。あまりの的中ぶりに不正を疑われたこともあるが、文字の読めない彼がボトルのラベルを読むことなどできるはずがない。


 ファシアは酒の味には疎かった。心地良い酔いが味わえればそれでいい。だが、舌が貧しいと思われるのは癪だった。


「ええ、そうね。そうだと思うわ」と曖昧な返事をしてその場を終えようとしたファシアに、「ふん」と鼻を鳴らし、勝ち誇った表情でランスロットは去っていった。 


 どこまでも食えない男だ。ファシアはせっかくのパーティに水を差された不快感をごまかそうと、テーブル上のグラスに手を伸ばした。

 その時、ファシアの指先に何者かの手が触れる。


「あら、ごめんなさい……」


 謝罪の言葉を口にし、そちらを見やる。

 彼女ははっと息をのんだ。

 ファシアの翠眼が捉えたのは、見たこともない美しい青年の姿である。


「此方こそ申し訳ありません。この様なパーティーには不慣れなものでして……」


 気品を漂わせた美しい青年がそこにいた。

 濁りのない純粋な金の髪は、どうしようもなく人の目を惹く。ファシアも例外ではなかった。

 瞳もこれまた純粋な碧色をしており、王族の血が混じっていると言われても違和感のない。実力のある絵師が描いた絵画の中から飛び出したように、整合の取れた美しい顔立ち。血色のいい肌は、溌剌とした生気に満ち溢れている。


 無駄のないタキシードはランスロットと似通った物だったが、着る者が違えばこれほど変わるのか。


 一目惚れだった。ファシアは何も知らぬ少女に戻ったように、ただただこの秀麗な青年に見惚れることしかできなかった。

 夫が亡くなったばかりなのに、などという道徳的な感情は彼女には無縁である。その奔放な性格は、生前のアルヴァを困らせもしたが、それ以上に彼は彼女の縛られない美しさを買っていたのだ。

 ファシアは土の下で眠る夫に遠慮する気など、さらさら無かった。

 青年が口を開く。


「元ロンズデール伯爵夫人ですね。ご招待いただきありがとうございます」


「フランス……」


 ファシアはヴァイオリンの音色のような青年の声に聞き惚れ、ぽつりと独り言を漏らす。


「はい?」


 青年は不思議そうな顔で聞き返した。

 薄い唇がファシアの好みからは外れるが、下品でなくて好感が持てる。

 

「いいえ、貴方少しフランス訛りがありますのね」


 青年はファシアの返答に表情を曇らせた。


「はい。幼少をフランスで過ごしました。

 ……ご不快でしたか?」


 ファシアは慌てて首を横に振る。彼には嫌な女だと思われたくない。こんな感情は、いつぶりだろうか。


「とんでもない! わたくしも一時期向こうにいたことがありますの。綺麗な響きだと思いますわ。ところで、お名前を伺ってもよろしくて?」


「これは失礼しました。私、ドラモンド家のエリオットと申します」


「エリオット様ね……」


 呟いて、ファシアは先ほどと同じように右手を差し出す。エリオットは口元を緩め、やはり恭しく跪き、ファシアに敬意を示した。


 美しい青年は跪いたまま、顔を上げた。


「ウロボロスですか?」


 唐突な言葉に、ファシアは目を丸くした。


「その銀細工のことです。美しいですね」


 頬が熱を発するのがわかる。美しいという言葉が、自分自身に向けられたように感じたからだ。


「これは蛇ですわ。口に咥えているのは尾では無く宝石です」


「そうでしたか。失礼いたしました」


 ウロボロスと云えば、確か自らの尾を咥えて、輪のような形状になった蛇だか竜だったか──とファシアは頭の片隅で思い出し、答えた。

 野蛮な幻獣と混合されたのはあまり嬉しくないが、相手がエリオットとなれば話は別。

 ファシアはにっこりと微笑む。


「少しお相手をして下さらない?」


「喜んで」


 エリオットもまた笑顔で応じた。

 

 使用人グラエムの困ったような目つきが視界の端をくすぐったが、ファシアは気にも留めなかった。


 他の客の相手は任せたわよ、グラエム──。

 視線だけでそう告げると、グラエムは全てを察したように姿を消した。呆れ果てた表情で。

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