告発状

 グラエムは右手に持っていた手紙を掲げた。

 ファシアはそれをひったくる。

 質の良さそうな白い羊皮紙は強い香水のフレーバーを発していたが、彼女はそれに十分に気を向ける間も無く、驚愕のあまり小さく声を漏らした。


「アルヴァですって? そんな!」


 差出人欄には『アルヴァ・ロンズデール』の名が記されていたのだ。

 そしてファシアが特に驚いたのは、その文が示す内容だった。


 不意に届けられた手紙にはこのように記されていた。


『とある信用のおける友人に頼んで、もし私が近日中に死亡した場合にこの手紙をグラエムの元へ届けてもらう様に頼んだ。


 私はアルヴァ・ロンズデールである。最近私の愛しい妻、ファシアの挙動に気になるものがあって、注意深く見ていたところ、先日ファシアが屋敷の庭園の隅で見知らぬ若い男と密会しているのを目撃した。


 ファシアは見慣れぬウロボロスの首飾りをして、少女の様な顔で相手の男に駆け寄ると、接吻を交わしたのだ。


 おそらくあのネックレスも、その男からの贈り物なのだろう。その中心に着けられたルビーは血のように赤く、それなりに財力のある者なのだろうと推測できる。ファシアがその男と共に私の元から離れようとしていることは、想像に難く無い。


 私はこれから、たった今目撃した密会のことをファシアに話そうと思う。一時の過ちならば、私にも赦す用意がある。


 しかし、もし近日中に私が命を落とすことがあったならば──悪魔のように魅力的な妻、ファシアに疑いの目を向けて欲しい』


「こんなの……知らないわ! 私は夫を殺してなんかいないわよ!」


 ファシアは悲鳴をあげて床に座りこんだ。

 事実、この告発文の内容は彼女にとって寝耳に水のものだったのだ。

 アルヴァを名乗る者からの手紙は彼女の手のひらからすべり落ちた。

 

 そこへ、先ほどファシアの元に跪いた老紳士が手紙を拾い上げ、その内容に目を通した。

 「ふうむ……」と低く唸って、白黒まだら模様の髭を蓄えた顎に手を当てる。


 「元ロンズデール伯爵夫人……いや、ファシア・ロンズデール。貴女からは様々な話を聞かねばならないようです。

 場合によっては……あなたを故ロンズデール伯爵殺害の罪で逮捕せねばなりません」


「そ、そんな! わたくし、このネックレスを今日初めて公の場で着けたのですよ? こんな文章は全くのデタラメです!」


「ほう? その理由は、夫以外の者からのプレゼントだったから、ですか?」


「そんな、ひどいわ……」


 思わぬ追撃に、ファシアは項垂れた。

 老人は鋭い眼光で彼女を見下ろしながら、帽子を脱ぎ、会釈をした。


「ご挨拶が遅れました。私、レスターシャー警察より派遣されました、チェスター・バイゴッドと申します。

 本来であれば、貴女を脅迫者から護衛するためにパーティーに参加したのですが……まさかこのような事になろうとは」


 チェスターはファシアの腕を掴み、彼女を強引に立たせた。


「ご同行頂けますな?」


 老人ながらチェスターの力は強く、ファシアはなすすべがなかった。招待客らの好奇の視線が一身に突き刺さり、惨めさから羞恥の炎で灼かれたように身体が熱い。


「待って下さい、警部」


 そんなファシアに救いの手を差し伸べたのは、あの美しい青年、エリオットである。


「この告発文を書いたのは、故ロンズデール伯爵ではあるとは断定できません。何者かが夫人を陥れようとした可能性があります」


 彼は沈着とした声で告げた。


「エリオット……。根拠はあるのだろうな? お前が彼女に魅了されただけなのだとしたら、私はそれを歓迎することはできん。

 お前はレスターシャー署の期待の星ホープだ。毒婦に侵されその輝きを失ってしまうのは、大いなる損失だ」


「そうではありません、バイゴッド警部」


 エリオットはふっ、と表情を緩めた。

 側で聞いていたファシアの心臓が跳ね上がる。

 エリオットもまた、チェスターと同じく潜入していた警察官だったのか──!


「この手紙に記された"ウロボロスの首飾り"、という部分……気になりませんか。

 夫人が付けていらっしゃるのは、蛇のネックレスです。

 確かにウロボロスは蛇をモチーフにしたものですが……仮に故ロンズデール伯爵がこのネックレスを着けた夫人を目撃したとして、『ウロボロス』という単語が出てくるのは不自然です。

 夫人、念のため聞きますがウロボロスの首飾りはお持ちでは無いですね?」


「え、ええ! 夫は凝った装飾品をあまり好みませんでしたから、わたくしこの他に生き物を模した細工は持っておりません。わたくしの装飾入れを隅々までご覧になってくださっても構いませんわ」


「しかし、そうなるとなぜ伯爵はウロボロスなどと書かれたのか……」


 来客の中に紛れ込ませていた捜査員の一人に、ファシアの装飾入れを調べるよう指示を出した後で、チェスターは思案顔をした。


「それなのですが、実はこの美しい銀の蛇は、とある一点から見ると妖艶なウロボロスに変化するのです」


「というと?」


 疑問符を浮かべるチェスターをよそに、エリオットは再度ファシアに跪き、彼女の潤んだ瞳を見上げた。


「──下です。とりわけこう跪くと、蛇の咥えた宝石に遮られ、蛇が自らの尾を咥えているように見えるのです。

 警部、お気づきになりませんでした?」


 チェスターは一瞬口籠った後、決まり悪そうに視線を泳がせた。チェスターも彼と同じように、ファシアの元に跪き同じ光景を見たはずだ。しかしこの若き部下だけがそれに思い至ったことに、居心地の悪さを覚えたのだろう。


「……だが、伯爵も何かの機会で、この蛇をウロボロスと錯覚したのかもしれないだろう? それで手紙にそう記した。おかしな点はあるまい」


 エリオットは立ち上がり、穏やかな表情を見せる。


「確かにそうですね。ですが、宝石の色まで見間違えるでしょうか?」


「なに?」


 今度はチェスターも驚きを隠せなかった。

 再び紙面に目を落とし、そこに記された文章をなぞる。


「何を言っている。アルヴァ氏の手紙には、きちんと赤い宝石と記されているではないか」


 エリオットはその質問には答えず、ファシアに目を向ける。


「夫人、そちらの宝石は本当はルビーではなく、アレキサンドライトという種類のものでは無いですか?」


「え、ええ。確かそのような名前でした」


「やはり」


 エリオットは小さくため息を漏らす。


「その宝石は特殊な性質を持っていましてね。

 室内灯の下では赤色を示しますが──太陽光に晒されると、美しい緑色を発するのですよ。発見当時にはエメラルドと間違われたそうです」


 ファシアはエメラルドに似た瞳を瞬かせた。

 ファシア自身、この宝石がそのような特性を持つことを知らなかったのである。


「……なるほど。それが本当だとしたら、故ロンズデール伯爵が中庭で目撃したこのネックレスを、ルビーだと勘違いしたことは不自然だ。中庭であれば当然自然光の下だろうからな」


 納得したように頷くチェスターだったが、再び首を傾げた。


「いや──しかし、お前は何故そのことを知っていたのだ?

 ルビーやエメラルドと見分けがつかないというのなら、この宝石がアレキサンドライトとやらだと断定することは難しいはずだが」


「その通りです。実は私、以前にこのネックレスを図鑑で見かけたことがありまして……著名な職人が手掛けた作品らしく、類稀なる技巧を施された蛇の銀細工が、これまた貴重な大粒のアレキサンドライトを咥えている、この芸術的な装飾を。

 世の中に何点も存在するものではないでしょう。

 以前に盗難に遭い、それ以来消息不明と聞いておりましたが……まさか実際にお目にかかれるとは」


 エリオットの紡ぐ言葉にうっとりと酔いしれながら、ファシアは「素晴らしいわ……」と呟いた。


 美しいだけでなく、この青年はなんと博識なのか。


 

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