スポットライトを浴びるのは

 チェスターは厳しく眉間に皺を寄せた。


「お前の言葉を疑うわけではないが、その宝石が本当にアレキサンドライトとやらであるのか、後ほど調べさせよう。

 しかし、だとしたらこの手紙はいったいどういうことなのか? 間違いなくこれは伯爵の筆跡だ。伯爵が書いたとしか考えられんのだが……」


 髭をさすり呟くチェスターに対し、エリオットは思案顔をした後で、


「筆跡についてはともかく、ここで一度犯人像を整理してみましょう。

 前提として、犯人は夫人に対し恨みを持つ者、あるいは夫人が陥れられることで利益を得る者と考えられます。

 続いて、夫人の『このネックレスを公の場でつけたのは今日が初めて』という証言を信用すると、この場にいる者に絞られることになりますね。

 つまり夫人が逮捕されることで得をし、かつこのパーティーに来ており夫人に跪いた者のうちにいる、ということになります。


 グラエムさん、心当たりはありませんか?」


 突如矛先が向いたことに驚いたのだろう、グラエムはびくりと肩を震わせた。


「わ、私は何も……」


「何もあなたが犯人だと申しているのではありませんよ。心当たりはあるかと伺っただけで」

 

 その慌てぶりがおかしかったのか、エリオットはふっと余裕のある笑みをこぼす。


「しかしだなエリオット。この文字は間違いなく伯爵のものだ。

 パフュームはそうと知るものがいたらいくらでも模倣することはできるが、そうやすやすと筆跡までまねられるものではあるまい」


「なるほど。警部はその点が引っかかっているのですね」


 エリオットはまるで長考に入ったチェスの名士のような仕草で、自らの顎に手を添えた。

 招待客らは目の前の推理劇の行方がどこへ向かっているのか、好奇の目で見守っている。

 気づけば、ファシア、エリオット、チェスターの三人を聴衆がぐるりと囲うような、円形の舞台が出来上がっていた。

 エリオットは野次馬を見回し、やがてその中の一人に目を留めた。


「今回警備をするにあたって、要警護者であるファシア様以外にもロンズデール家の使用人、親類などその周辺の方々の身辺調査も行いました。

 ──ランスロットさん。あなたの発言で一つ、気になるものがあるのですよ」


「な、なんだ」


 突然自身に矛先が向いたことに驚いたのだろう、観衆に紛れていたランスロットが、動揺したように声を震わせた。


 「あなたは文字の読み書きができない、と風の噂で聞きました。

 大変例を失した質問かとは思いますが、この噂は本当でしょうか?」


 この問いかけにはファシアが答えた。


「ええ。本当のことですわ」


 エリオットはファシアを見て頷いた。


「わかりました。ではその上で話を進めますが――まず先に無礼をお許しください。先程の夫人とあなたの会話が耳に入ってしまいまして。盗み聞きするつもりはなかったのですが」


 と、ファシアとランスロットに向けて頭を下げた。

 ランスロットはやや掠れた声で答える。


「いいから話を続けろ」


「ありがとうございます。

 実は、ファシア様の警護のため我々捜査官は何名かこの場に潜入しております。アルコールを摂取していてはいざというときに身体が動かない恐れがありますので、特別にアルコールを含まない葡萄ジュースを用意してもらったのです。


 ところがこのようなパーティでジュースを飲んでいては、潜り込んでいるかもしれない賊に警戒される恐れがあります。怪しまれぬよう、あたかも中身が本物のワインであるかのような、偽のボトルまで用意させました。そうですよね、警部?」


「いかにも。私の発案だ」と、チェスターが胸を張った。


「このことは、事情を話してあるメイドと我々しか知りません。警備は密かに行われるべきですから、秘密を共有するものは最小限に抑えるべきです。

 たった一名だけ、イタリア語の文字が印字されたワインのボトルを持ったメイドが会場を回っています。我々捜査官は、グラスが空になると彼女にコンタクトを送り、注いでもらいます。

 もちろんそちらにはアルコールは含まれておりません」


 先程のメイドとエリオットとアイコンタクトにはこのような事情があったらしい。

 二人の間に何かあるのでは、という懸念が邪推であったことを知り、ファシアは密かに胸を撫で下ろした。 


 「ここで初めの疑問に戻りましょう。

 ランスロットさん、あなたは夫人との会話の中で『イタリアのワイン』というような言葉を口にされました。

 グラエムさん、今日のパーティーでイタリア産のワインは?」


「……いえ、用意しておりません」


「ありがとうございます。

 もちろん口からの出まかせという可能性もありますが……ランスロットさん、私には、あなたがワインのラベルを見たことで飛び出した発言としか思えないのですよ。

 では文字を読むことができないあなたが、どうして偽物のワインのラベルを読むことができたのでしょうか」


 ランスロットの顔がみるみるうちに青ざめていく。


「つまり、本当は彼は文字の読み書きができたのではないか、という疑いが私の中で首をもたげたのです。

 ランスロットさんが本当は読み書きができたのだとしたら、なぜそうではないふりをしたのでしょうか。


 さらに、彼の父、故アラン氏もランスロットさんと同様、文字書きは不得手であったらしいことも把握しておりました。いくら親子とはいえ、そのような点まで似るものでしょうか。


 そこで私は一つの仮説を立てました。


 一人の人物の秘密を隠すために、二人の人物が偽りの不名誉を被って生活していたのではないか、と。


 つまり、本当に読み書きを不得手としていたのは、実は故ロンズデール伯爵、つまり、と考えたのです。


 文字の読み書きは一般素養ですから、欠けているとなると貴族としての資質に問われます。なによりアルヴァ氏は長男、爵位を継ぐ方です。その事実はなんとしても隠す必要があった。

 そのため故アラン氏やランスロットさんが、長年アルヴァ氏に代わって代筆人を務めていた……という私の推理は、途方もない法螺事では決してないでしょう。

 グラエムさん……ロンズデール家に古くから使えているあなたなら真実をご存知なのでは?」


 グラエムは額から冷や汗を垂らしながら、視線を右往左往させる。


 彼の視線の先には、青白く顔を染めたランスロットがいる。

 この会場にいるもの全員の視線を受け、もはや逃げ場はないと悟ったのだろう。

 グラエムはやがてかぼそい声で語り出した。


「貴方様のおっしゃる通りでございます。アルヴァ様は聡明なかたでございましたが、なぜかいくら学んでも簡単な読み書きすらできませんでした。

 幼い頃から誰もが当たり前にできることができず、大層悩まれておりました。まるで呪いのようでした。

 そのことを何より嘆いたのは、先々代、つまりアルヴァ様のお父上でございました。

 先々代は厳格な方でしたので、爵位は長男が継ぐもの、と考えていらっしゃいました。

 しかし満足に本も読めない、手紙も書けない当主では領主としてあまりにも情けない。

 そこで一つの取り決めをなさいました。アルヴァ様の代筆をすべて次男のアラン様が行われること。代わりに、アラン様が文字の読み書きができないと振る舞うように、命じられたのです。


 これは筆跡の点から疑われぬよう、配慮したためのようです。いくら兄弟といえど、文字までそっくりでは怪しむものもいるでしょうから。

 アラン様が病で亡くなってからは、御子息のランスロット様にその役目が引き継がれました。

 アルヴァ様は文字を書けない代わりに、特注の香水を垂らすことでご自身の気持ちを文に載せていたのでしょう」


 アルヴァが文字の読み書きができなかったとは、数年寝食を共にしたファシアでさえも気がつかなかった。

 婚姻を結ぶ前、アルヴァから恋文が幾度となく届けられたことを思い出す。あれはランスロットが代筆していたということ? 思わぬ事実に数年越しにファシアは呆気に取られていた。


 しかし、これで筆跡の問題はクリアになった。


 アルヴァの筆跡=ランスロットの筆跡なのだから、犯人は疑いようもない。

 ファシアは目の前で展開されたエリオットの推理に、静かに興奮していた。自らに嫌疑をかけられていたことなど忘れ、意識はこの推理劇がどのように終結するのかだけに向いている。


「……とのことですが、いかがですかな? 現ロンズデール伯爵」


 慇懃な態度を示したのは、チェスターだった。彼の視線の先には、青白く顔を染めた渦中の人、ランスロットがいる。


「お待ち下さい、その手紙は筆跡を真似て私が書いたのです! ランスロット様には何の非もありません!」


 世代交代したばかりの主人を庇うように前へ出たグラエムだったが、その行動はランスロットの犯行を認めているようなものだった。 


「やめろ、グラエム」


 ランスロットは小さく呟き、悲しそうに眉をひそめた老執事を退かせる。


「ランスロット様は……周囲の子どもがそうであるようにスクールに通うことも許されず、孤独な幼少期を過ごされました。

 ある意味ではアラン様から引き継がれた呪いを一身に受けられていたのです。

 おおっぴらに本を読むこともできない。ご自身のための恋文をしたためることも叶わず、阿呆の謗りを受け続け、それでもなおアルヴァ様の代筆を続けてなさいました。

 爵位を継がれた現在、その呪いから解放されるかと思いきや、半分以上の財産をファシア様に奪われ、残ったのは古いだけのこの屋敷と名ばかりの爵位だけ。それではあまりにも、あまりにもご不憫で……」


 グラエムの嗚咽が屋敷中に響き渡る。


「やめろと言ってるだろ!」


 ランスロットは唇を噛み締めて、拳を強く握っていた。

 それから憎々しげに顔を歪ませ、ファシアを睨んだ。


「ハン! 俺は叔父の名を騙ったが、デタラメを書いたつもりはない。あんたさえいなければ、叔父は足を滑らせて階段から落ちるようなこともなかったんだ!  晩年のアルヴァはお前のことで頭を悩ませてばかりだった。 金遣いが荒く、すぐに他の男に色目を使うような女を娶らなければ、アルヴァは余計な心労に侵されず、今でもピンピンしていただろうさ。


 どうせロンズデール家の財産が目当てだったんだろう。お前みたいな悪女には絞首刑がお似合いだと思ったんだよ」


 潜んでいた警察官に肩を掴まれながら、ランスロットは醜悪にファシアを罵る。


「酷いわ、ランスロット……。わたくし、貴方とは仲良くやっていきたかったのに」


 ファシアは声に涙をにじませ、悲しげに目を擦った。周囲の者たちの眼差しが、罪を着せられかけ悲劇の未亡人となったファシアを同情的に包んでいる。

 しかし彼女の悲しげな表情とは裏腹に、その心中は実に穏やかなものだった。


 ──ああ、ランスロット。世間はお前が、ロンズデール伯爵の当主の座や財産を継承することを認めないでしょう。

 そうなれば、爵位はともかく財産は全て私の物になるに違いない。ロンズデール家には他に跡取りがいないのだから……。


 ファシアはそんな打算を胸に、顔には出さずにほくそ笑んだ。

 それにこうして悲劇のヒロインを演じておけば、新たな婚姻も結びやすい。ファシアは視線を下げたまま、そっとエリオットに目配せをした。

 彼はファシアの視線に気がついたのか、小さく会釈をした。


 チェスターが一歩前に出る。


「先程は大変失礼なことを申しました。無礼を許していただきたい」


「やめてください、バイゴッド様。わたくしは全く気にしていませんわ。無実が証明されたことに安堵しているだけです」


 頭を下げたチェスターに、ファシアは顔を上げるように諭す。

 疑いを向けられたことや、辛辣な言葉などファシアは歯牙にもかけていなかった。そんなものは聞き慣れているし、その程度で傷付く柔な精神では、彼女はこんなところまで上り詰めていないだろう。


 寧ろチェスターには感謝したいくらいだった。


 この眉目秀麗な青年を自分に引き合わせてくれたことに。

 ファシアは再び、エリオットに熱い視線を送った。


 ──その時だった。パーティー会場に鋭い破裂音が響き渡った。

 それは拳銃の轟だった。


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