「君は覚えているかい?初めて出会った日の事を」


 白崎部長は遠くを見つめる。

「転んだ私に君は手を差し出してくれたね。温くて優しい君の手。あの手に触れた瞬間、私は君に恋をした。運命を感じたんだ」

 恍惚の表情を浮かべ、部長は自分の手を頬刷りする。

「何を……言っているんですか?」

「愛の話だよ。雨音君」

 部長は楽しそうに笑う。

「私は君を愛していた。こんなにも、こんなにも誰かを愛した事なんて今まで無かった。君と一緒に居た時間は本当に至福だったよ。君は私の気持ちに気付いていたかい?いや、気付いていなかっただろう。君は鈍感だからね。私が君と一緒に居る時、どんなに胸を高鳴らせていたのか、君は知らないだろう。全く罪な男だよ。君は!」

 白崎部長は両腕を広げ、その場でクルクルと回る。その異様な言動に、黒原さん以外の全員が息を呑んだ。


 分からない。部長が何を言っているのか全く理解出来ない。

 僕の事が好き?僕を愛していた?部長が僕を? 

 それで、なんで……。


「ふざけないでください!僕を好きな事と、三人を殺した事になんの関係が……!」

「雨音君、私はね。飯田君がずっと憎かったんだ」

「えっ?」

 信じられない言葉が耳に届く。怒りを忘れ、思わず固まった。

「嘘ですよね?だって、部長と飯田先輩はあんなに仲良く……」

「本当さ。私はずっと、彼女を憎んでいた」

「……どうして?」


「飯田君——いや、はいつも私の邪魔をしたからさ」


 白崎部長は、怨嗟の言葉を吐き出す。

「あの女は君と私の二人だけの時間をいつも邪魔した。私は君と二人だけで居たかった。君と二人だけで話したかった。なのに、あの女はいつもいつも、私と君が会話していると割って入って来た!君と私の二人だけの時間を邪魔したんだ!」

「なっ……」

「憎かった。憎くて、憎くてたまらなかった。殺してやりたいと考えていたけど、ずっと我慢していたんだ。だけど、それも我慢の限界を超えた。あの女と君の会話を聞いてね」

「僕と飯田先輩の会話?」

「あの女は君に言ったよね。『自分の恋を応援して欲しい』って。それに対して君はこう言った。『はい!もちろんです!』って……」

「……ッ!」

 この島に来た初めての夜、飯田先輩は僕に白崎部長が好きだと打ち明けた。そして、部長との恋を応援して欲しいと頼んだ。

 当然、僕はその頼みを引き受けた。部長と飯田先輩が付き合う事に何の反対もなかったからだ。

 飯田先輩は女性同士だからという理由で、告白を断られたらどうしようと不安な様子だったけど、そんなの関係ない。僕は飯田先輩の背中を押した。

 その時、白崎部長に声を掛けられたけど、部長は何も聞いていない様子だったので僕達は安心していた。

 だけど本当はあの時、部長は僕と飯田先輩の会話を聞いていたのか。

「あの時の私の気持ちが分かるかい?はらわたが煮えくり返りそうだった。全く、本当にふざけた事をしてくれたよ。あの女は……」

「部長!」

 気付けば僕は叫んでいた。

「飯田先輩は真剣でした。真剣に部長を想っていたんです!それを……」

「そんな事はどうでもいい!」

 部長は大きく手を振り、僕の言葉を遮る。

。私があの女からの告白を断った後、君に『付き合って欲しい』と頼んだとしても、優しい君はあの女に遠慮して私の告白を断ってしまうだろう。違うかい?」

「……」

「私が許せないのはそれさ!」

 部長は自分の髪を両手でかき乱す。

「私は以前、あの女が冤罪に巻き込まれたのを助けてやった。それなのに、あの女は私と雨音君の恋愛を潰そうとした。酷い裏切りだよ。許せるものか。絶対に許せるものか!」

 それが理由?それが飯田先輩を殺そうと思った動機なのか?

「そんな……そんな事で……飯田先輩を殺すなんて……!」

「あれは必要な事だったのさ。私と君が結ばれるためにはね。あの女が居る限り、雨音君は私と付き合わない。だったら、あの女を消せば良い。そうすれば君が私と付き合わない理由は無くなる」

 部長はニヤリと嗤う。

「あの女を窓から落とす前に一度首を絞めたんだ。嗤えたよ。あの女はなんで自分が殺されるのか理解していなかった。怯え、混乱するばかりで謝罪の気持ちなんてこれっぽっちも無かった。酷い女だろ?自分の罪の重さを全く自覚していなかったんだからね」

「……部長」


 一体、彼女は誰なんだろう?本当に、あの白崎部長なのか?

 誰かが白崎部長に化けているのではないか。そんな妄想をしてしまうほど、目の前の人物は、僕が今まで見てきた白崎部長の姿とあまりに乖離していた。


「じゃ、じゃあ。どうして山本さんと伊達さんを殺したんですか?」

 田沼さんが口を開く。

「あ、貴方の目的が飯田さんを殺す事なら、山本さんと伊達さんを殺す理由は無かったはずです!どうして二人を殺したんですか?」

「山本って男を殺したのは、あいつの父親がこの島にツキノワグマを連れて来たからさ。あいつの父親がツキノワグマを連れて来たばかりに、雨音君が危険な目に遭った。私達が生きているのは運が良かったからだよ。下手をすれば死んでいたかもしれない。雨音君が死んでいた可能性だって十分あった。あの男には雨音君を危険な目に遭わせた責任を取ってもらったのさ」

「で、でも彼は熊を島に連れて来たのが自分の父親だって知らなかったんですよ?それなのにどうして……」

「親の責任は子供の責任さ。親の責任は子供が負うべきだよ。山本惣五郎は死んでもう居ない。だから、息子に責任を取ってもらったんだ」

「そ、そんな……」

「それに、あいつ自身にも罪が無いとは言わせない。この島に私達を招いたのはあの男だ。私達が死にそうになった原因は、あいつにもある」

「……だったら、伊達さんはどうして?」

「あの伊達って女は、雨音君を狙っていた」

「はっ?」

 唖然とする田沼さんに、白崎部長は言う。

「あいつは助けてもらった礼という口実で雨音君に近づこうとしていた。気持ちは分かるよ。雨音君みたいな素敵な人に助けられたら、誰だって好きになってしまうさ。だけどそれは重罪だよ。十分死刑に値する」

 ガリガリと頭を掻き毟る部長。確かに伊達さんは助けてくれたお礼をしたいと僕に言った。だけど、それは恋愛感情じゃない。

「部長、それは違います!伊達さんはただ、僕に感謝していただけで……」

「そうだったとしても関係ない!」

 白崎部長は大きく叫んだ。

「感謝が恋に変わるなんてよくある事さ。雨音君に恋をする可能性がある以上、あいつは生かしておけない。私から雨音君を奪おうとする可能性がほんの僅かでもある奴は、それだけで罪なんだ。それだけで重罪だ!」

 怒りの表情から一転、部長は嗤う。

「罪には相応の罰が必要だ。だから、あの女はなるべく苦しむ方法で死んでもらったんだよ。一番恐怖と痛みを受ける方法でね」

 伊逹さんはアナフィラキシーショックで苦しむ中、ツキノワグマに襲われるという苦痛を受けながら死んだ。そうなるように白崎部長が誘導したんだ。

 あんな殺し方をしたのは、苦痛を与えるためだったのか。

「伊達さんがナッツアレルギーだと、いつ知ったのですか?」

 黒原さんが問う。

「初日の食事会の後さ。あの時、皆それぞれ色んな人間と雑談していただろう?私もたまたまあいつと二人だけで話す機会があったんだ。その時に本人から教えてもらったんだよ。『私は重いナッツアレルギーなの』ってな。部屋の棚の引き出しに、アドレナリンが入った注射キットがある事もペラペラと話してくれた。きっと、本人は何かあった時のために話したんだろうが、まさか、後で私に殺されるなんて予想もしてなかっただろうね」

 白崎部長は「あははっ」と笑う。

「最初、森の中でツキノワグマの群れに襲われた時は怖かったよ。雨音君が死ぬかもしれないと思ったし、私も死ぬかもしれないと思った。別荘に戻って電話線がネズミに噛み切られたのを見た時は絶望を隠すのに必死だったよ。情けないけどね」

 だけど、と白崎部長は続ける。

「気付いたんだ。この状況はまさしく閉ざされた空間——クローズド・サークルだってね。外部からは干渉されないし、相手が逃げる事もない。最大の証拠になる死体はツキノワグマに食べさせれば、残らない。まさに千載一遇のチャンスだと思ったよ。これで邪魔者を始末出来るし、

「僕に……愛される?」

「なるほど、そういう事でしたか」

 部長の言葉の意味は僕には分からなかった。だけど、黒原さんは分かったようだ。

「貴方が自分で起こした事件を自分で捜査するという『自作自演』をしたのは雨音さんと事件を捜査するためだったのですね」

「それって、どういう事ですか?」

 僕の疑問に黒原さんは答える。

「招待された島でツキノワグマの群れに教われ、数人が死亡。さらに、逃げ込んだ別荘の中で殺人事件まで発生し、仲間が犠牲になります。残された男女二人は一緒に事件を調べ、やがて憎き犯人を捕まえる。

「……ま、まさかそのために?」

「悲しみや困難を共に乗り越えた二人の間には愛が生まれやすいと言われています。白崎さんは悲しみや困難を一緒に乗り越えれば、雨音さんが自分を愛してくれるようになる。そう考えたのです」

「ああ、そうだよ」

 白崎部長は黒原さんの言葉を肯定する。

「困難を乗り越えた二人がラストで結ばれるのは、物語の王道だからね。この島から帰る頃には、雨音君は私を愛してくれるようになっているはずだった。なのに君のせいで全部台無しだよ」

 鋭い目つきで白崎部長は黒原さんを睨む。

「……そんな……」

 眩暈がした。僕に愛されたいから?それで僕と一緒に事件を捜査した?


 飯田先輩を守れなかったと涙を流していたのも、一緒に事件を解決しようと言ってくれたのも、全部僕に愛されたいがために付いた嘘?


 そんな……そんなのって……。

「私に罪を着せようとしたのは、私が雨音さんに好意を抱いていたからですね」

 黒原さんがそう言うと、白崎部長は首を縦に振った。

「君が雨音君に告白した話は彼から聞いたよ。最初から誰かに罪を着せて身代わりになってもらうつもりだったけど、その役目は黒原さん、君にやってもらおうと決めた。雨音君からの信頼を失い、絶望する君を殺したかったけど——まさかこんな結末になるとはね。残念だ」

 白崎部長は大きなため息を付いた。

「く、狂ってる。まともじゃない」

 田沼さんは、まるで怪物か宇宙人を見るような視線を白崎部長に向ける。

「狂ってる?まともじゃない?そうさ!」

 部長は歓喜の声を上げた。


「私は愛に狂ってる。愛の前でまともでいられるもんか!」


 あはははは、と嗤う部長を見ながら、僕は展示室にあった『嫉妬』という絵を思い出していた。

 その絵には人間を含めた様々な生き物が幸せそうに描かれている。だけど、よく見るとどの生き物にも小さく黒いシミのようなものがあった。工藤さん曰く、その黒い点は『嫉妬』を表現しているらしい。『どんな生き物にも嫉妬の心は必ずある』絵はそれを伝えようとしていた。

 同時に、飯田先輩の言葉も蘇る。


『人は恋をすると変わるんだよ。良くも悪くもね。恋愛は人を輝かせもするし、狂わせもするんだ』


 僕と白崎部長が出会って、まだ四か月しか経っていない。それなのに……。


『恋って相手の良い所を知って少しずつ落ちるものだと思っていたけど、違った。恋に落ちるのは一瞬あれば十分なんだって知ったよ』


『恋に落ちるのに時間は関係ない。相手を好きになるのは一瞬あれば十分だ。そして一度恋に火が点けば、後は燃え上がるだけさ』


 飯田先輩と白崎部長、二人の言葉が蘇る。


 恋愛とは、嫉妬とは——ここまで人を変えてしまうものなのか?


「雨音君」

 優しく僕を呼ぶ声が聞こえる。

「君にだけは知られたくなかった。人を殺した私を君はもう信じられないだろう。だけど、私が殺人を犯したのは君を愛していたからなんだ」

 白崎部長は僕に向かって、そっと手を伸ばした。


「雨音君、貴方を愛しています。どうか、私と付き合って欲しい」


 部長は真剣な表情で僕に交際を申し込む。その目はまるで宝石のように曇り無く、純粋だった。

 僕は息を吸い込み、自分の気持ちをハッキリと口にする。

「お断りします」

「……そうだろうね」

 部長は僕に向けていた手をゆっくり下ろした。

「私の犯行が明るみになった時点で、告白を断られるのは目に見えていた」

 顔の半分を手で覆いながら、白崎部長は「はぁ」と息を吐く。

 そんな白崎部長に、黒原さんは言った。

「白崎さん、申し訳ありませんが貴方をこのままにしてはおけません。救助が来るまでこの地下室に居てもらいます。食事はきちんと用意しますのでご安心を」

 前に白崎部長が黒原さんに言った言葉、それを今度は黒原さんが白崎部長に返す。

「その前に一発殴らせろ!」

 止める間も無く、春日さんは部長に向かって行った。春日さんは白崎部長に殴り掛かるが、部長はそれを躱して回し蹴りを腹に食い込ませる。

「ガハッ!」

 口から胃液を吐き出し、春日さんはその場にうずくまった。


「まだだよ」

 部長はポツリと呟く。

「まだ私は負けた訳じゃない」


 白崎部長は懐に手を入れると、小型の折り畳みナイフを取り出した。

「部長!」

「そこを動くな。さもないと……」

 白崎部長はナイフをこちらに向けた。既に三人殺している部長の言葉が脅しでないのは、皆が知っている。僕達は仕方なく、その場に静止した。

 部長は地下室の奥へと消える。そして、ある物を手に戻って来た。

「それは……」

 白崎部長が手に持っている物。それはライフル銃だった。

「けっ!驚かせるなよ!」

 春日さんは腹を押さえながら立ち上がり、ライフルを指差す。

「それには弾丸が入ってない。知ってるんだぜ!」

 山本さんが殺される前、地下室を調べた時にそのライフルは確認した。弾丸が入っていないのは此処に居る全員が知っている。

「それはどうかな?」

 だけど、白崎部長は邪悪な笑みを浮かべた。

「思い出してみたまえ、?」

「ライフルを最初に発見した人物?あっ!」

 思い出した。最初にライフルを発見した人物……それは白崎部長だ。

「まさか、あの時!」

「そうだよ。あの時、私はライフルの弾丸を見付けていたんだ」

 部長はポケットからライフルの弾丸を取り出し、それを僕達に見せた。

「なるほど、貴方がライフルを見付けた時、本当は一緒に弾丸も見付けていたんですね。それを今まで、隠し持っていた」

「そうさ。既にこのライフルには五発の弾丸を装填してある」

 部長は僕達にライフルの銃口を向けた。

「落ち着いてください、部長!」

 僕は部長を止めようとする。

「安心してくれ、雨音君。君を傷付けるつもりはない。ただ、下手な真似はしないで欲しい。手元が狂ってしまうかもしれないし、流れ弾が他の人に当たってしまうかもしれないよ?」

「——ッ!」

 僕は足を止めた。ここは部長に従うしかない。

 白崎部長はニヤリと嗤う。


「さて、それじゃあ皆で屋上に行こうか?」

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