第七章 愛ゆえに

 そして、時間は現在に戻る。


 黒原さんは僕とした会話の内容を全て、白崎部長に話した。白崎部長は何も言わず、沈黙している。

 その沈黙を破るように、田沼さんが口を開いた。

「雨音さんからお話を聞いた時は信じられませんでした。まさか、白崎さんが犯人だったなんて……」

「わ、私も信じられませんでした」

 勝也さんも困惑を隠せないでいる。

「……」

 春日さんは無言でじっと白崎部長を睨んでいた。

「白崎さん、何か言いたい事はありますか?」

 黒原さんは尋ねる。数秒後、沈黙を続けていた白崎部長の口がゆっくりと動いた。

「……違う」

 白崎部長は激しく首を横に振る。


「違う!私は……誰も殺していない!」


 部長は大きな目で僕を見た。

「本当だよ、雨音君。私は誰も……誰も殺してなんか……」

「では、何故私を殺そうとしたのですか?」

 黒原さんが僕と部長の間に割って入る。

「罪を着せた私を殺して、事件を終わらせようとしたのでは?」

「ち、違う。飯田君の仇を取ろうと思ったんだ!」

 部長は頭を抱える。

「飯田君は大切な『ミステリー調査同好会』の仲間だった。それを殺した君がどうしても許せなかったんだ!逮捕される前に、飯田君の無念を少しでも味合わせようと思ったんだ。だけど殺すつもりはなかった。ちょっと痛めつけようと思っただけだ!」

 意外な反論だったのだろう。春日さん、田沼さん、勝也さんは互いの顔を見る。

 しかし、黒原さんは冷静だった。

「では、どうやってこの地下室に入ったのですか?」

「えっ?」

「雨音さん達は勝也さんの鍵を使って地下室に入りました。その後、中から鍵を施錠したのですが、鍵の掛かった地下室に貴方はどうやって入ったのですか?」

「それは……」

「この地下室の鍵を持っているのは二人。勝也さんと亡くなった山本さんだけです。貴方は山本さんを殺した時に奪った鍵を使って地下室に入ったのでは?」

「違う!鍵は……拾ったんだ」

「拾った?」

「ああ、雨音君と一緒に証拠を探した時、偶然見付けたんだよ。それを隠し持っていた。きっと山本さんが落としたんだろうね」

「何故、隠していたのですか?」

「最初から犯人を見付けたら、地下室に閉じ込めるつもりだった。その後、地下室に忍び込んで制裁を加えるつもりだったんだよ。でも、そんな事をしようとすれば、雨音君に止められる。だから黙っていたのさ」

「では、トレイルカメラの映像はどう説明します?どうして、電気も点けずにミキサーを使ったのですか?」

「明かりを付けるとツキノワグマに気付かれると思ったからだよ。だから、電気を点けなかったんだ。それに、ミキサーに掛けていたのはナッツじゃない。フルーツだよ。私はこっそりとフルーツを持って来ていたんだ」

「貴方が推理をした時、あるはずの無い筆跡痕が浮かび上がりました。それは何故でしょう?」

「それは……そうだ!君はメモ用紙の束をあらかじめ裏返しておいたんだ。雨音君に鉛筆で黒く塗り潰させたのは裏面だったんだ。筆跡痕も一番後ろの裏側までは残らないからね。そのトリックで君は雨音君を騙したんだ!」

 地下室がシンと静まり返る。

「貴方の主張は分かりました。では、他の皆さんの意見も伺ってみましょう」

 黒原さんは僕達四人に視線を向ける。

「今の白崎さんの話を信じられる人は手を挙げてください」

 三秒経つ。五秒、十秒と経過する。手を挙げる人は居ない。僕も挙げなかった。

「残念ですが、貴方の言葉を信じる人は誰も居ないようです」

 黒原さんはきっぱりと白崎部長に言った。白崎部長は両手で顔を覆う。


「……はぁ」


 そして大きな、とても大きなため息を付いた。

「やっぱり駄目だったか。自分で言うのもなんだけど、かなり苦しい言い訳だった」

「それは、自白と考えてよろしいですか?」

「うん、良いよ」


 白崎部長は両手を顔から外す。手の下から現れたのは部室で見るいつもの部長の表情だった。部長は普段の——日常の顔で殺人を自白したのだ。

 それが何よりも恐ろしかった。

「それにしても、まさかカメラで撮られていたとはね。それが無ければ私だとバレなかったのに……」

「いいえ」

 黒原さんは首を横に振る。

「トレイルカメラがなくとも、私は貴方が犯人だと思っていました」

「……ほう?」

 白崎部長は興味深そうに眉を上げた。それは僕も初めて聞く。

「何故、私が犯人だと?」

「最初に引っ掛かったのは、山本さんの死体を発見した後です。貴方は『山本さんを殺したのは人間の仕業かもしれない』と推理しました。その際、貴方のある発言に違和感を覚えたのです」

「ある発言?」

「貴方はこう言いました」


『犯人は山本さんを刺すか、何度も殴るかして殺した。そして、山本さんの死体を玄関まで引きずると、窓からツキノワグマが近くに居ないのを確認して外まで運び、捨てた。急いで別荘に戻った犯人は玄関ドアの鍵を掛ける。やがて血の匂いに誘われたツキノワグマの群れが山本さんの死体を見付け、食べ始めた。私達がさっき見たのはそれだよ』


「ああ、言ったね。それが?」

「私がおかしいと思ったのは『山本さんを刺すか、何度も殴るかして殺した』の部分です。何故、『何度も』と言ったのですか?」

 黒原さんは首を傾げる。

「もし、私であれば『刺すか、殴るかして』と言います。他の人でもその様に言うでしょう。しかし、貴方は『何度も殴るかして』と言いました。ワザワザ『何度も』と付けたのは何故だろうと不思議に思ったのです」

 ハッとする白崎部長に、黒原さんは言う。

「もしかしたら、この人は。そう考えたのです。山本さんの死体はツキノワグマに食べられており、凶器もおそらく死体の服の中に入れられていて、外にあった。死体が無く、凶器も無い。そんな状況の中で、山本さんが何度も殴られて死亡したと知っているのは犯行を目撃した人間か——犯人だけです」

「……ッッ!」

 白崎部長は大きく顔を歪める。

「君はあの時、『山本さんは自殺したのではないか』という推理をしたけど、腹の中では私を怪しんでいたわけか……」

「はい」

「だったら、どうしてあんな推理を?」

「貴方は全員の前で『山本さんは殺された可能性がある』と指摘しましたが、貴方が事件の目撃者で、他に犯人が居た場合、あれはとても危険な行為でした。何故なら、貴方の話を聞いた事で別荘に居る人間が全員、事件の証人になってしまったからです。もしかすると犯人は、口を封じるために別荘の人間を全て消そうとするかもしれません。そうなれば、。ですから、あえて貴方とは違う推理をしました」

 白崎部長は「そうか」と笑う。

「君があの推理をしたのは、雨音君を守るためだったのか」

「その通りです」

 黒原さんが『山本さんは自殺したのではないか』と推理した後、白崎部長はその推理の穴を指摘した。

 でも、あの推理は穴があって当然なのだ。あれは『山本さんは誰かに殺された』という白崎部長の推理を否定するために、黒原さんが咄嗟に考えた偽の推理なのだから。

 僕を守るためだけの推理だったのだから。

「だけど、それだけじゃ私が犯人だと断定出来ないよね?」

「そうですね。『何度も殴るかして』という発言だけでは、貴方が犯人なのか犯行を目撃しただけなのか分かりません。貴方が犯人だと確信したのは、飯田さんの事件が起きてからです」

「……飯田君?」

「雨音さんと貴方が飯田さんを部屋まで送った時、彼女は鍵と一緒にドアガードを掛けました。しかし、飯田さんの死体が発見され、彼女の部屋に向かうと掛けてあったはずのドアガードは外れていました。道具を使った痕跡も無かった事から、飯田さん本人が鍵を開け、ドアガードを外して犯人を中に招き入れた可能性が高い。これは貴方の言葉です」

 白崎部長は無言で先を促す。

「ここで重要なのはという点です。貴方は『飯田君の部屋を訪れたその人物は、何らかの方法で飯田君に鍵とドアガードを外させ部屋の中に入った』と言っていましたが、果たしてあの状況で飯田さんがそんな事をするでしょうか?と言っていたというのに」

 黒原さんは淡々とした口調で言った。

「雨音さんから聞きました。飯田さんは白崎さん、貴方に好意を抱いていたそうですね」

「……」

「その貴方に飯田さんはこう言いました」


『私は部長を信じます。あの黒原って子の言葉よりも、部長の言葉が正しいと、私は信じています』


「つまり、飯田さんは貴方の言葉を信じて、山本さんは事故や自殺ではなく、。『この別荘の中に山本さんを殺した犯人が居る』と思っていた飯田さんが簡単に誰かを部屋へ入れるとは思えません。もし、飯田さんが自ら部屋へ招いたとするならば、

 黒原さんは全員を見渡す。

「まず田沼さん、勝也さん、そして私の三人が訪ねたとしても飯田さんは部屋の中に入れない可能性が高いです。三人とも飯田さんとはお会いしたばかりで、十分な信頼関係を築けているとはとても言えませんから」

 黒原さんは次に春日さんに視線を向ける。

「春日さんは飯田さんの友人でしたが、話を聞く限り、そこまで深い関係ではなかった。そうですね?」

「……ああ」

 春日さんは黒原さんの言葉を肯定する。 

「俺は飯田が好きだった。だけど、あいつは俺なんて、たくさん居る友人の一人ぐらいにしか思ってなかった……と思う」

「貴方が部屋に入れて欲しいと言ったら、入れてくれたと思いますか?」

「……いいや。きっと入れなかったと思う」

「ありがとうございます」

 複雑そうな表情を浮かべる春日さんに、黒原さんは礼を言う。

「あの状況で飯田さんが部屋に入れる人物。それは同好会の仲間で、彼女から信頼を得ている雨音さんか、白崎さんのどちらかしかいません。つまり、飯田さんを殺せたのは雨音さんか白崎さんしか居ないのです」

「……何故、雨音君ではなく私が犯人だと?」

「飯田さんの部屋に向かった時、雨音さんは誰よりも早く中に入り、窓へと駆け寄りました。白崎さんがテーブルに置いてある鍵を見付けるまでの間、私はずっと雨音さんの傍に居ましたが、雨音さんがテーブルに近づく事は一度もありませんでした。雨音さんに飯田さんの部屋の鍵をテーブルの上に置く事は不可能です。なので、雨音さんが犯人というのはありえません」

 黒原さんは、白崎部長を指差す。


「よって、飯田さんを殺害したのは白崎さん。貴方しか考えられないのです」


「……なるほど」

 白崎部長は大きなため息を付く。

「飯田君が死んだ後、君がしきりに事件の調査を手伝うと言っていたのは、私が犯人だと確信したからか。君は私が雨音君に危害を加えないように監視していたんだね」

 僕は思わず黒原さんを見た。黒原さんは静かに頷く。

「そうです。貴方が雨音さんに危害を加えないように見張っていました。同じ『ミステリー調査同好会』のメンバーである飯田さんを貴方は殺した。雨音さんも貴方の標的になる可能性がありましたから」

「黒原さん……」

 証拠が無かったあの時点では、白崎部長が犯人だと言われても、僕は信じなかっただろう。だから、黒原さんは事件の調査を手伝うと言って僕の傍に居たのだ。僕を守るために。

『貴方は必ず私が守ります』

 黒原さんの言葉を思い出す。あの言葉は嘘ではなかった。

「あははははははっ!」 

 部長が突然、笑い出した。

「私はこれまで、『ミステリー調査同好会』の部長として様々な謎を解いてきた。でも、どうやら私には謎を『解く才能』はあっても、謎を『作る才能』は無かったようだ」

 部長は肩を竦める。

「……どうしてですか」

 怒りと悲しみが混じった声で僕は言った。

「なんで……どうしてこんな事を……どうしてですか!部長!」

 何故、白崎部長は山本さんと伊達さん、そして飯田先輩を殺したのか。飯田先輩はあんなにも部長を………。

「この島に来た時は、人を殺すつもりなど微塵もなかった。三泊四日の旅を楽しんで帰るつもりだったよ」

「だったら……だったら、どうして!」

「雨音君、私はね。君が好きだったんだよ」

 不意に部長はそう言った。

「後輩としてじゃない、。初めて出会ったあの時からずっと……」


 彼女——白崎明は微笑む。その笑みは殺人犯のものとは思えない、純朴な笑みだった。

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