「では、始めようか」

「はい!」

 僕と白崎部長は、まず一階を調べる事にした。

 現場百遍という言葉がある。事件現場は百回でも訪れて調べろという意味だ。山本さんの事件後、一階は既に調べているが、重要な証拠の見落としがあるかもしれない。それをもう一度調べるのだ。

「部長」

「なんだい?」

 手を動かしながら、白崎部長に質問する。

「もし、山本さんと飯田先輩を殺した犯人が居たとして……それは誰だと思いますか?」

「まだ分からないね。推理をしようにも情報があまりにも少な過ぎる」

 それはそうだ。情報が少ないからこそ、こうして調べているのだ。

 僕は質問を変える。

「じゃあ、もし犯人が居たとして『動機』ってなんだと思います?」

 犯人が山本さんと飯田先輩を殺す動機。それが僕には分からない。

「山本さんを殺す動機がありそうなのは、勝也さんです。あの二人の関係は良好に見えましたが、勝也さんは山本さんにツキノワグマの事を知らせていませんでした。それで言い争いになって、勝也さんは山本さんを殺したのかもしれません。だけど……」

「勝也さんには、飯田君を殺す動機が無い」

「そうなんです」

 部長の言葉に僕は頷く。

「勝也さんと飯田先輩は一昨日初めて会ったばかりです。そんな勝也さんが飯田先輩を殺すとは思えません」

 他のメンバーにしてもそうだ。僕達は一昨日初めて会った人の方が多い。

 山本さんと飯田先輩。片方を殺す動機があったとしても、もう片方を殺す動機が見付からないのだ。

 すると、白崎部長が口を開く。

「まず考えられるのは、食糧かな」

「食糧?」

「私達は外に出る事が出来ず、別荘にある食糧で食べていかなければいけない。だけど、それにも限りがある。犯人は自分の分の食糧を確保するために、山本さんと飯田君を殺したのかも。人数が減れば、それだけ自分の分の食糧を確保出来るからね」

「——ッ!で、でも地下室には非常食がかなりありましたよ?」

「ああ、私も食糧は十分にあると感じた。だけど、犯人もそう考えたとは限らない。昨日の話し合いの時にも言ったけど、一応、明日の正午には迎えが来る事にはなっている。でも、私達を迎えに来た人達がツキノワグマに襲われてしまったら、さらに救助が遅れてしまう」

「犯人はもし、そうなった時のために二人を殺したと?」

 白崎部長は「うん」と僕の言葉を肯定する。

「今は大丈夫でもその内、食糧が足りなくなるかもしれない。もし食糧が足りなくなれば、きっと奪い合いになる。まだ食糧に余裕があり、皆が油断している今の内に一人でも多く人数を減らしてしまおう。と考えたのかも」

「つ、つまり相手は誰でも良かったって事ですか?」

「そうなるね」

「じゃ、じゃあもし救助が遅れて食糧が少なくなれば……」

「これからも殺人は続く可能性はある」

 部長の推理に背筋が寒くなる。

「でもね、雨音君。これはあくまで考えられる動機の一つでしかない。人が人を殺す理由は色々あるんだよ」

 白崎部長は静かな口調で話す。

「恨み、金目的、ただ殺したかったという快楽目的で人を殺す人間だって存在する。人の数だけ殺人を犯す動機があるんだ」

 金や快楽のための殺人——僕には到底、理解出来ない。 

「でも、犯人にどんな動機があったとしても、こんな状況で人を殺すなんて……」

「雨音君。殺人事件で最も証拠を持っているものって何だか分かるかい?」

「殺人事件で最も証拠を持っているもの?」

 僕は少し考え、答える。

「死体……ですか?」

「そうだ」

 白崎部長は頷く。

「死因や死亡推定時刻など、死体が語る事は多い。もし、死体に犯人のDNAが残っていれば、それは決定的な証拠になる」

 白崎部長は、テレビの前にあるソファーを調べる。

「犯人側もそれを知っているから必死に死体を隠そうとする。でも、死体を隠すのは想像以上に難しい。ドラマだと死体を山に埋めたり、海に沈めたりするけど、山の土は植物の根や岩が邪魔で人の手では深く掘れないし、ドラム缶に入れて海に沈めても、死体が腐敗した際に発生するガスで浮かんでしまう。死体を完全に処理するには、機械や人手が必要だ。たった一人で死体を処理するのはかなり困難な作業なんだよ」

 だけど、今は違う。と白崎部長は言う。



 部長はため息混じりに続ける。

「専門家が死体を調べれば、自殺なのか他殺なのかすぐに分かる。だけど、山本さんと飯田君の死体はツキノワグマに食べられてしまった。その結果、二人が自殺なのか他殺なのかすら分からなくなってしまっている。犯人からすれば、今の状況は殺人をするのに絶好の環境なんだよ」

 死体がなければ、死因や死亡推定時刻が分からない。つまり、推理をするための情報が圧倒的に不足するのだ。


 閉ざされた空間——クローズド・サークル。


 推理小説ではおなじみのシチュエーションだが、閉ざされた空間で殺人を犯すのにはリスクがある。

 警察に邪魔されない、ターゲットに逃げられない、というメリットはあるものの、犯人がその場に居る人物に絞られてしまうという大きなデメリットがあるのだ。

 しかし、殺人の最大の証拠である死体を簡単に処理出来る今の特殊なクローズド・サークルは犯人にとって、あまりにも有利だ。

 犯行の瞬間を直接見られでもしない限り、殺人自体が証明されないのだから。

「じゃあ、どうすれば……」

「まずは、情報を集める事だね。死体から情報を得られないのなら、地道に別の手掛かりを探すしかない」

 それから白崎部長と僕は一階を隈なく探した。フロント、仮眠室、食堂……ソファーの中まで念入りに調べたけど、何も見付からなかった。

「何もありませんね。凶器でもあればと思ったんですけど……」

「おそらく、犯人は山本さんを殺した後、彼の服の中に凶器を入れたんだろう。今頃は森の中さ」

 白崎部長は窓から外を見る。そこにあった山本さんの死体はもう無い。ツキノワグマは山本さんの死体をある程度食べた後、残りを森の中に持ち去ってしまった。

 部長の言葉通り、犯人が凶器を山本さんの服の中に入れたのだとすれば、山本さんの死体ごと、凶器はツキノワグマによって森の奥へ持って行かれてしまった事になる。

 死体は無く、凶器も無い。どうしようかと思っていると、白崎部長が呟いた。

「——破片」

「えっ?」

「少し気になっていたんだ。割れた壺の破片が広範囲に飛び散り過ぎているのではないかとね。山本さんの身長は雨音君と同じくらいだったから大体、百七十センチ前後だろう。それぐらいの高さから壺を落として広い範囲に破片が飛び散るのは、おかしいんじゃないだろうか?」

 それは掃除をしている時に僕も思った。遠くまで壺の破片が飛び散っているなと。

 白崎部長は上を向く。その視線の先には、六メートルほどの高さに吊るされているシャンデリアがあった。

「なぁ、雨音君」

 僕の肩に手を置く部長。嫌な予感がする。

「な、何ですか?」

「ちょっとあそこまで上がってみてくれないか?」


「ぶ、部長!し、しっかり押さえててくださいね!」

「ああ、大丈夫だ。大船に……タイタニック号に乗った気でいたまえ」

「それ駄目じゃないですか!変な事言わないで!」

 僕は地下室の前に置いてあった長い脚立を使い、シャンデリアまで上がった。

 凄く怖い。下を見たら、すくんで動けなくなる。

 下は見ない。絶対に下を見ない。僕は何度も自分に言い聞かせた。

「どうだい?何かあったかい?」

「ちょっ、ちょっと待ってください。あっ、あります!何かあります!」

 僕は携帯を取り出すと、シャンデリアの上に置いてあった物の写真を何枚も撮った。

 ネットも電話も出来ないこの島では役に立たないと思っていた携帯が役に立つ。脚立から下りた僕は撮った写真を部長に見せた。

「これ、何でしょう?」

 シャンデリアの上にあったのは、四角の形をした大きな容器とロープだ。

 容器には水がたっぷりと入っている。ロープは片方の端がシャンデリアのアームに結ばれており、もう片方の端は容器に入っている水に沈んでいた。

 まさか、こんな物がシャンデリアの上にあったなんて。

「そうか!」

 突然、白崎部長が走り出した。僕は慌ててその後を追う。

「部長⁉何処に行くんです?」

「厨房だよ!私の考えが正しければ、この別荘の厨房には『あれ』があるはず!」


 厨房の扉を開け、中に入った白崎部長は奥へと進む。厨房には包丁やミキサーなどの調理道具が置いてあった。

「見たまえ雨音君。これだよ!」

 白崎部長は、大型冷蔵庫の隣にある機械を指差す。

「部長、これは?」

「製氷機だよ。沢山の氷を作る機械さ」

 部長はニヤリと笑った。

「雨音君。君がシャンデリアの上を見てくれたお陰で分かったよ」

「分かったって……まさか!」

「犯人の使ったトリックさ」

 僕は目を大きく見開く。

「本当ですか!」

「ああ、間違いない」

 部長は確信を持って断言する。


「やはり山本さんは、この別荘に居る誰かに殺されたんだ!」

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