第四章 連鎖する死
①
「皆!起きて!早く!」
早朝、ただならぬ様子で叫ぶ伊達さんの声で僕は目を覚ました。慌てて廊下に出ると、他の皆も部屋から飛び出す。
「どうしたんですか?」
「こっち!早く!」
伊達さんは自分の部屋へ僕達を手招きする。
「あれを見て!」
伊達さんは開いた窓から下を指差した。指の先を見ると、数頭のツキノワグマが何かを食べている。
何度も見たその光景、僕は全員の顔を見渡す。
今、この場に居ないのは……。
「……飯田先輩?」
嘘だ、なんで?どうして、なんで?なんで!
「飯田先輩!」
僕は反射的に窓から身を乗り出した。
「駄目です!」
黒原さんに服を掴まれ、部屋に戻される。
頭が痛い、気持ち悪い。なんで?どうして先輩が食べられている?
いや、あれは本当に飯田先輩なのか?此処からじゃよく見えない。
「雨音さん、飯田さんの部屋に行きましょう」
黒原さんがそう提案した。
「飯田さんの部屋からなら、よく見えるはずです」
そうだ、ちゃんと確認しなくちゃ!僕は飯田先輩の部屋へと走る。
「くそっ、開かない!」
飯田先輩の部屋のドアには鍵が掛かっていた。何度ドアノブを動かしても、ドアは開かない。後から来た勝也さんに向かって、僕は大声で叫ぶ。
「勝也さん!鍵が掛かってます!マスターキーで開けてください!」
「は、はい!」
勝也さんは懐からマスターキーを取り出すと、部屋のドアを開けてくれた。
真っ先に部屋の中へ飛び込んだ僕は、窓を開け真下を見る。伊達さんの部屋からよりも、ツキノワグマが食べているものがはっきりと見えた。
「飯田先輩……」
小柄な体格に、茶色がかった髪。そして、辛うじてまだ残っている大きな目。
無残な姿に変わり果てていても分かる。あれは間違いなく飯田先輩だ。
「うっ……うげぇええ」
吐き気が全身を襲う。僕は部屋の隅に走り膝をついた。
「雨音さん!」
駆け寄って来た黒原さんが、僕の背中を摩ってくれた。でも、僕にお礼を言う余裕は無い。
どうして、なんで飯田先輩が?どうして、どうして……?
何が何だか分からない。何も考えられない。
「大丈夫ですよ、雨音さん」
混乱する僕の耳元に、黒原さんは囁く。
「私が居ます。私が居ますから」
それは甘美な囁きだった。僕はその場から飛び退き、自分の耳を押さえる。
そんな僕を黒原さんは微笑みながら見つめていた。
「……飯田君は此処から落ちたようだね」
窓から飯田先輩を見下ろしていた部長は、部屋の中を歩く。
「この部屋の鍵は……これだね」
テーブルの上にはこの部屋の番号と同じ『二〇九』と書いてある鍵が置いてあった。部長はその鍵を手に取ると、部屋の外に出てドアを閉める。ガチャという音と共に鍵が掛かった。
「この部屋の鍵で間違いないな」
鍵を開け、部長は再び部屋の中に入ってきた。
「飯田君がこの部屋の窓から落ちたのは間違いない。そして、部屋には鍵が掛かっていた」
白崎部長は自分の顎を撫でる。
「普通に考えれば、飯田君は窓から誤って落ちた。という事になるが……」
「でも、窓からは相当体を乗り出さないと落ちませんよ!」
さっき僕はかなり体を乗り出したが落ちなかった。なんらかの事故で飯田先輩が窓から落ちたとは思えない。
「もしかして……」
伊達さんが口を開く。
「彼女、自殺したんじゃ?」
「自殺⁉」
僕は目を見開く。
「飯田先輩が自殺したって言うんですか⁉」
僕の声量に伊達さんはビクッと震える。つい大声を出してしまった。慌てて謝罪する。
「す、すみません」
「大丈夫、気にしないで」
伊達さんは笑顔で許してくれた。
「悪気があって言ったわけじゃないの。だけど、部屋に鍵が掛かっていて、事故の可能性も低いのだとしたら、自殺としか考えられないんじゃない?」
「……ッ!」
部屋は鍵が掛かっている『密室状態』だった。伊達さんの言う通り、状況を見れば自殺としか……。
飯田先輩は貝塚さんという友人を失くし、酷くショックを受けていたけど、白崎部長の言葉で少し元気を取り戻したように見えた。あれは一時的なものだったのだろうか?
白崎部長と僕が部屋に送った後で、また貝塚さんを失った悲しみがやって来た。そして、衝動的に自殺した。そういう事なのだろうか?
いや、そんなはずが無い!飯田先輩が自殺するなんて有り得ない!
「あの……」
田沼さんが手を上げる。
「勝也さんはマスターキーを持ってますよね?それを使えば飯田さんの部屋に入れるんじゃないんですか?」
「そんな!」
勝也さんの顔がカッと赤くなる。
「私が殺したと言いたいんですか⁉」
「そこまでは言ってないですけど……もし彼女が誰かに殺されたのなら、それが出来るのは勝也さんだけじゃ……」
「いや、そうとは限らない」
白崎部長が二人の会話に割って入る。
「勝也さん以外の人間が、飯田君を殺した可能性も十分ある」
「ど、どういう事ですか?部長!」
僕は部長に尋ねる。
「私と君が飯田君を部屋まで送り届けた時、彼女は部屋に入るとまず鍵を掛け、次にドアガードを掛けた。部屋の外から音が聞こえたので間違いない」
「はい、僕も飯田先輩がドアガードを掛ける音を聞きました」
「しかし、雨音君。さっき君は勝也さんがドアの鍵を開けるとすぐ部屋の中に入れた。ドアガードが掛かっていれば、絶対に入れないはずなのに」
「——あっ!」
「そう。ドアガードは掛かっていなかったんだ。だから、君は部屋の中に入れたんだよ」
「でも、どうしてドアガードは掛かってなかったんでしょう?」
「考えられるのは二つ」
白崎部長は指を二本立てる。
「一つ目は誰かが道具を使って外したパターン。ドアの鍵を開け、道具を使ってドアガードを外し、部屋の中に侵入して飯田君を殺した。この場合、犯人はマスターキーを持っている勝也さんという事になるが、これは無いと私は考える」
「何故です?」
「もし道具を使ってドアガードを外そうとすれば、中に居る飯田君に気付かれてしまうからだよ。そうなれば助けを呼ばれてしまうかもしれない。道具を使ってドアガードを外し、無理やり部屋の中に侵入するのはリスクが高過ぎる。ドアガードには道具を使って外された跡も無いしね」
勝也さんはホッとした様子で息を吐く。
「だから私はもう一つの方が正解だと思う」
「それは?」
「ドアガードを外したのは、飯田君本人というパターンだよ」
思わぬ言葉に僕は驚いた。
「飯田先輩が⁉どうして⁉」
「誰かを部屋に招き入れるためだよ。自分の部屋にやって来た誰かを招き入れるために飯田君は鍵を開け、ドアガードを外したんだ」
「じゃ、じゃあその人物が……」
「そう、飯田君を殺した犯人だ」
白崎部長は指をクルクルと回す。
「飯田君の部屋を訪れたその人物は、何らかの方法で飯田君に鍵とドアガードを外させ部屋の中に入った。そして彼女を殺害し、その死体を窓の外に投げ捨てると、部屋に置いてあった鍵を使ってドアを施錠したんだ。でも、鍵は掛けられてもドアガードは部屋の外からじゃ掛けられない。だから、ドアガードは外れたままになっていたんだよ」
僕は疑問を口にする。
「でも、それじゃあどうしてテーブルの上に鍵があったんですか?」
「簡単だよ。飯田君の部屋に皆で入った時、どさくさに紛れて犯人がテーブルの上に置いたんだ」
「——ッ!」
そうか、皆が飯田先輩の遺体に気を取られている間なら、テーブルの上に鍵を置いても気付かれない!
「でも、それで彼女が殺されたとは限らないのでは?本当に自殺した可能性だってあるんじゃ?」と伊達さんが言う。
「そう。私が今言ったのは可能性の一つでしかありません。飯田君は殺されたのか、それとも自分で命を絶ったのか。確かめるには死体を調べる必要がありますが、残念ながら、それはもう出来ない」
白崎部長は窓からツキノワグマに食べられている飯田先輩の遺体を見る。
同じだ。山本さんの時と。飯田先輩の遺体もツキノワグマに食べられてしまったため、調べられない。
「伊達さん」
「うん、何?」
「第一発見者は貴方です。飯田君を発見した時の状況を教えてもらえませんか?」
「分かった」
伊達さんは頷く。
「朝、七時より少し前だった。たくさんのツキノワグマの鳴き声で私は目を覚ましたの。窓から下を見たら、ツキノワグマに人が食べられていたのが見えて……急いで皆を呼んだわ」
伊達さんと飯田先輩の部屋は隣同士。だから、ツキノワグマの鳴き声にいち早く気付けたのだろう。
「夜の間、飯田君の部屋から何か物音はしませんでしたか?」
「ごめんなさい。私、自分の部屋に戻ってから一時間ぐらいして寝ちゃって……それから起きるまでの間の事は分からないの」
「で、でもすぐ隣から騒ぐ音がしたら、普通は目を覚ますんじゃ?」と田沼さん。すると、勝也さんが「いいえ」と首を横に振った。
「この別荘の各部屋は防音になっていますから隣で誰かが争っていたとしても、音は聞こえないと思います」
「廊下の音は聞こえるようにしてますよね?」と白崎部長。
「はい。万が一、火事になった場合などの緊急事態に廊下からの声が聞こえないと危険ですから」
確かに部屋の中に居ても、壺が割れる音や、伊達さんが叫ぶ声はちゃんと聞こえた。
「皆さんはそこに居てください」
部長は飯田先輩の部屋を出た。少しして隣の部屋、つまり伊達さんの部屋をノックする音と、何かを話している声が聞こえた。
「どうでしたか?聞こえました?」
戻って来た部長の問いに、僕は答える。
「はい、ノックする音は聞こえました。それに内容までは分かりませんでしたが、なにか話している声も聞こえました」
「なるほど」
白崎部長は頷く。
「私達が部屋に戻ったのが午後十一時頃。伊達さんはその約一時間後の午前十二時頃に眠りについた。その間、飯田君の部屋を訪ねた人物は居ない。もし居れば、ドアをノックする音を伊達さんが聞いているはずだ」
この別荘にインターフォンはない。部屋に居る人物を呼ぶためにはドアをノックするか、廊下から声を掛けるしかない。
その音を伊達さんが聞いていないのなら、伊達さんが起きていた午後十一時から午前十二時までの間に、飯田先輩の部屋を訪ねた人間は居ない事になる。
白崎部長は、全員に訊いた。
「午前十二時から死体が発見される午前七時までの間、誰かと一緒に居たという人はいますか?」
伊逹さんが眠ったとされる午前十二時頃から飯田先輩の遺体が発見される午前七時までの約七時間。その間、誰かとずっと一緒だったという人が居れば、それはアリバイになる。
だけどその時間、皆一人で寝ていて、アリバイを証明出来る人は誰も居なかった。
「結局、彼女は自殺したんでしょうか?それとも誰かに殺されたんでしょうか?」
田沼さんが不安そうに言う。その疑問に答える人間は居ない。
だけど、僕は確信していた。飯田先輩は自殺なんてしていない。
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