第三章 最初の事件

 音を聞いた僕と黒原さんは部屋を飛び出した。春日さん、田沼さん、勝也さんも部屋から出てくる。そこに白崎部長も合流した。

「今の音は?」

「一階から聞こえましたよね?」

「まさか、熊が入ってきたのか?」

 白崎部長の言葉に皆が戦慄した。熊が窓を割って別荘に侵入したのか?

「あり得ません。いくら熊でもあの強化ガラスを破って中に入るなんて……」

 勝也さんは困惑している。

「とにかく飯田君と伊達さん、山本さんにも知らせよう」

 僕達は手分けして三人の部屋へ向かう。飯田先輩と伊達さんは部屋に居た。

 だけど、山本さんが部屋に居ない。

「もしかして山本さん。部屋に戻らないでずっと一階に居たのか?」

 だとしたら、嫌な予感がする。

「よし、行ってみよう」

 皆で一階へ向かう。と、僕の袖を黒原さんが掴んだ。

「気を付けてください。何があるか分かりません」

「……はい」

 僕達は慎重にゆっくりと階段を下りる。

 一階は明かりが消えており、真っ暗だった。明かりのスイッチを入れようとした勝也さんに白崎部長が警告する。

「物陰から熊が飛び出して来るかもしれません。気を付けて」

「は、はい」

 勝也さんはゴクリと唾を飲み込みながら、震える手で壁のスイッチを押した。一階に明かりが灯る。死角からツキノワグマが襲って来ないか警戒しながら僕達は進んだ。

 シャンデリアの真下に来た時、全員が息を呑む。

「なんだよ。これ……」。

 床には血がべったりと付いていた。その上には何かの破片が散乱している。床に付いた血は引きずられたように玄関まで続いていた。

「く、熊だ!」

 春日さんが叫ぶ。

「工藤っておっさんの時と同じだよ!熊が中に入って来て山本さんを襲ったんだ!そして玄関から連れ去ったんだよ!」

 僕は工藤さんがツキノワグマに襲われた時の光景を思い出す。まさか、山本さんもツキノワグマに外へ連れ去られてしまったのか?

「そ、そんな!」

 勝也さんは玄関に走ると、鍵を開け、勢いよくドアを開いた。

「ひいっ!」

 外の光景に、勝也さんは悲鳴を漏らす。

 玄関から二十メートルほど先に数頭のツキノワグマ達が居た。彼らは口を真っ赤にしながら一心不乱に何かを食べている。


「や、山本さん」

 ツキノワグマが食べているもの。それは山本さんだった。


「いああああああああああ!」

 飯田先輩が悲鳴を上げた。その悲鳴に一頭のツキノワグマが反応する。まずい!

「勝也さん!」

 僕は放心している勝也さんの襟首を掴んで後ろに引くと、急いでドアを閉めた。

 鍵を掛けようとした時、ツキノワグマがドアに体当りする。あまりの衝撃で思わずよろけた。

 慌ててドアを押さえるが、ツキノワグマは開いたドアの隙間から腕を入れ、強引に中へ入ろうとしてくる。

「雨音君!」「雨音さん!」

 白崎部長と黒原さんの声が重なった。二人は僕と一緒にドアを押してくれる。さらに少し遅れて他の皆も加勢してくれた。

「うおおおおおお!」

 全員でドアを押していると、ツキノワグマは隙間から入れていた腕を引っ込めた。同時に大きな音を立て、ドアは閉まる。

 僕は急いで鍵を掛けた。悔しそうにグウウウと唸る声と、カリカリと爪でドアをひっかく音がしばらく聞こえたが、やがて音はしなくなる。 

「良かった……」

 こちらに気付いたのが一頭だけだったので、なんとかなった。集団で来られていたら、突破されていただろう。皆が安堵していると、怒号が響いた。

「ふざけんな!あんた俺達を殺す気か!」

 大声で怒鳴ったのは春日さんだった。春日さんは勝也さんを怒鳴りつけている。

「なんとか言えよ。この!」

「春日さん、落ち着いてください!」

 拳を振り上げる春日さんを僕は慌てて止めた。

「暴力は駄目です!暴力は!」

 僕が必死に訴えると、春日さんは「チッ」と舌打ちをして拳を収めてくれた。

「うっ……うう………」

「大丈夫ですか?」

 勝也さんは顔を両手で覆って泣いている。

「うっ……正様……うっ……ううっ……」

「勝也さん……」

 昨晩の夕食の時に山本さんが言っていたのだけど、勝也さんは先代の山本惣五郎氏に長く仕えていたそうで、正さんの事は子供の頃から知っていたそうだ。そんな人間が無惨にも食われたのだ。その悲しみは測り知れないだろう。

 僕は勝也さんの肩に手を置いた。こんなもので悲しみが消えるはずは無いが、僕に出来きるのはこれくらいしかない。

「あ、あの!此処に居たら私達も危ないんじゃないでしょうか?」

 田沼さんが叫んだ。

「山本さんが襲われたって事は、熊は別荘の中に入って来たんですよね?此処に居たら私達も危ないんじゃ?」

「そ、そうだ!此処にいたら俺達までやられるぞ!」

 血の気が引いた。春日さんと田沼さんの言う通りかもしれない。このまま一階に居たら、僕達もツキノワグマに襲われる可能性がある。一刻も早く、二階に非難すべきではないだろうか?そう考えていると、難しい表情をしている白崎部長の姿が視界の端に入った。

「部長、どうかしましたか?」

「おかしい」

 部長はドアを——正確にはドアの鍵を凝視している。

「やはり、おかしい」

「おかしいって……何がですか?」

「玄関ドアの鍵だよ。何故、閉まっていたんだ?」

 部長は憔悴している勝也さんへ近寄る。

「勝也さん、少しよろしいですか?」

「……な、何でしょう?」

「さっき外に出ようとした時、?」

 勝也さんは俯きながら「はい」と答えた

「私はドアの鍵を開けて外に飛び出そうとしてしまいました。軽率な行動で皆様の命を危険に晒してしまい、大変申し訳なく思っています」

「それは大丈夫です。それよりも、私が確認したいのは間違いなく玄関ドアの鍵は掛かっていたか?という点です」

 勝也さんは強く頷く。

「え、ええ。玄関ドアの鍵は閉まっていました」

「間違いないですか?」

「はい、間違いございません」

 勝也さんから話を聞いた部長は、満足そうに笑う。

「玄関ドアの鍵を開けて勝也さんは外に出た。つまり、さっきまで。ねぇ、伊達さん」

「何?」

「念のために訊くけど、?」

 伊逹さんは、ハッとした表情になる。

「ええ無理よ。熊が開けられるのは人間と同じく鍵の掛っていないドアだけ」

「だったら、?」

「あっ!」

 そうだ。玄関ドアに鍵が掛かっていたのなら、ツキノワグマは一体どうやって別荘の中に侵入して山本さんを殺したんだ?

「他の場所から入って来たんじゃないんですか?」

 田沼さんが発言する。

「一階には玄関のドアだけじゃなくて、窓とかテラスへ出るためのドアとか、外に通じてる出入口は他にもあります。そこの鍵が開いていて、中に入って来たんじゃ?」

「確かにそれらの鍵が開いていれば、別荘の中へ入れるだろう。でも、床の血は玄関へと続いている。山本さんの死体は引きずられて玄関から外に出たのは間違いない」

「他の場所から入って来て、山本さんを襲った後、鍵を開けて外に出たんじゃ?玄関ドアの鍵はつまみを捻るタイプだから外から鍵は開けられなくても、中からなら、なんとか鍵を開けて外に出られそうじゃないですか?」

「だとすると、?」

 玄関ドアの鍵はつまみタイプで縦にすれば鍵は開き、横にすれば閉まる。

 つまみを操作すれば鍵を開けられるとツキノワグマが気付けば、鍵が掛かっていても玄関ドアを開けて外に出られるだろう。

 

「つまり、鍵の掛ったドアを通り抜けるとか、念力で外から鍵を掛けるとか、そういった超能力を持っていない限り、ツキノワグマが山本さんを外に連れ出すのは不可能なんだよ」

『月辺島』に居るツキノワグマは普通のツキノワグマとは違うけど、ただの動物には変わりない。当たり前だけど、そんな超能力なんて持っていない。

「だったら、ツキノワグマはどうやって山本さんを?」

?」

「別の生き物?」

「人間だよ」

 白崎部長は強い口調でハッキリと言った。


「山本さんを殺したのは——人間の仕業かもしれない」 

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